Norman Conquest

~The Battle of Hastings~

イングランドと英語の歴史を大きく変えた権力闘争

「英語とは『発音をひどくしたフランス語である』と冗談めいて言われてきた。」 (「英語のなかの歴史」オウエン・バーフィールド)

As a matter of fact, the progress in English is due not to the increase of education, but to its practical disappearance among those who used the national speech. It is the result, not of national prosperity, but of two national disasters - the Danish invasion and the Norman Conquest. (The English Language p.8 L.P.Smith)

フランス語流入の理由 ~The Battle of Hastings~

英語のなかには、フランス語源の単語が多くあります。英語という言語は、もともと現在のドイツあたりのゲルマン民族の言葉でした。一方、フランス語は、イタリア語、スペイン語などと同じロマンス語でした。それでは、なぜ語族の異なる英語にフランス語が多く流入してきたのでしょうか。

1066年10月14日、イングランド南東部にある Hastings の地で、イングランド史と英語という言語を大きく変える「The Battle of Hastings ヘースティングズの戦い」がくりひろげられました。Harold (イングランド軍:正確に言うと「Saxon軍」なのかもしれません。)と William(フランスのノルマン軍)の2人がイングランド国王の王位継承権を主張し対立して戦った結果、ノルマン軍が勝利して William が王位につき、イングランドはフランスの影響を受けることになったのです。この出来事を、"Norman Conquest"といいます。

どうして Harold と William が、王位継承権をめぐって対立するようになったのでしょうか。最大の原因は、1066年にEdward一世が世継を残さずに死んでしまったことにあります。Edward は生前、自分の死後、血縁からすると遠いけれど、フランスにいる William を王位につかせると約束していました。しかし、Edward の死後、実際に王位の座についたのは、William ではなくサセックスの Harold でした。Harold は、Edward の妃の兄であったため王位を得ることができました。こうした経緯を考えると、William は血縁関係から考えても妥当であり、自分に約束されていた王位継承権を Haroldに横取りされた、ということになります。激怒した William はノルマン軍を編成し、イングランド侵略にむけて準備を整えます。この権力争いには、実はもう一人デンマークの Edgar the Aetheling がいましたが、王位につくには若すぎると考えられていました。

1066年10月14日、とうとう Hastings の地でこの2人が対決することになります。Harold 率いるイングランド軍も、William 率いるノルマン軍も兵士の数は、それぞれおよそ7,000人で、規模としてはほぼ同じでした。しかしながら、決定的な違いがありました。イングランド軍はほとんど歩兵でした。つまり 、馬は戦場へ向かうための交通手段で、戦う際には馬から下りて戦うという方式でした。一方、ノルマン軍には、優秀な2,000人の騎兵隊(cavalry)がいました。騎兵隊は、馬に乗ったまま戦うことができたので、当然優位な展開ができました。

ヘースティングズの戦いでは、↑こんな感じでイングランド軍が高台に軍を構え、ノルマン軍は低地の方にいました。このため、ノルマン軍はなかなかイングランド軍を攻め落とすことはできませんでしたが、「偽りの撤退」という作戦(撤退するふりをして、追いかけて丘から降りてきたイングランド軍を包囲して攻撃するというやり方)を使ったり、上の図の矢印のように矢を放ち、イングランド軍に矢の雨を降らせたりしました。この矢が Harold に命中し、彼は死んでしまいます。王が死んでしまったイングランド軍は敗北し、ノルマン軍の勝利に終わりました。この戦いで、何千人もの兵士が亡くなったと言われています。

1066年12月25日に、William はウェストミンスター寺院で戴冠式を行い、実質的にイングランド王になります。これが、現在の英国王室の始まりと言われています。この後、1087年に彼が死ぬまで、イングランドに新しい経済体制、軍制度、政治組織などを導入して変革をもたらしました。

「ノルマン」という人々 ~英語への影響 "Social Bilingualism"~

こうして、イングランドはフランスの影響を受けていくことになるのですが、正確に言うと「フランスのノルマン地方の影響」と言ったほうがいいのかもしれません。この違いを理解するためには、まず "ノルマンという人々"が何者なのか知る必要があります。

「ノルマン」というのは、響きから分かると思いますが、「ノルウェー」あたりにいた海賊 Viking のことで、「北の人たち」という意味です。つまり、British Isle やフランスなどを侵略していた北欧出身のバイキングの一派が、フランスの一地方に住み着き、その土地が Normandy と呼ばれるようになったのです。彼らが定住しはじめたのは、Norman Conquest の約100年前でした。

このため、ノルマン地方のフランス人が話すフランス語は、本来のフランス語とは異なることが多かったようです。例えば、chamber という語ですが、フランス語は ch を[シ]に近い音で発音していたようですが、ノルマン人は[チ]に近い音で発音していたので、英語では ch が[チ]の音で定着するようになりました。

Norman Conquest 以降、貴族はフランス人(ノルマン人)で一般庶民はアングロ・サクソン人という構造ができあがります。そのため、上流階級はフランス語、庶民は英語を使うという「社会的二重言語」(Social Bilingualism)の社会になりました。食べ物に使われる表現に、この影響がよく現れています。

牛肉 beef 豚肉 pork 羊肉 mutton のように食卓に上った状態の肉の名称はフランス語源ですが、牛 ox 豚 swine, pig 羊 sheep など、もともと英語にあったものが、動物の名前として使われています。フランス語からの影響は、この Norman Conquest からだけではなく、16世紀以降にもフランス語が流入してくる時期があったようです。しかし、いずれにせよこの Norman Conquest がなければ、英語やイングランドは、現在の状態とははるかにかけ離れたものになっていることは確かです。

「英語は外国語を柔軟に取り入れた言語」と言われることがありますが、このように歴史を振り返ると、「フランス語を受け入れざるを得ない状況」であったことが分かります。冒頭のL.P.Smithの "The English Language" からの引用にあるように、英語の発達に貢献したものは、"the increase of education" や "national prosperity" ではなく、"national disasters"であったというのは皮肉な事実であります。

The Battle of Hastings について、BBCの7分の動画を見つけたので埋め込んでおきます。

他の動画による解説もたくさんありますので、興味がある方は御覧ください。

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