聖書を英訳するということ

PartⅡ~古英語時代の聖書英訳 Bede~

古英語時代の聖書英訳

「バイブルの翻訳というと、いかにも宗教改革期のプロテスタントがはじめてやったことのように一般には思われがちであるが、すでに Bede が晩年にそのOE(Old English 古英語)訳を試みていたことが知られる。つまり735A.D.には「聖ヨハネ」の英訳が進んでいたのであるが、残念ながらこれは残っていない。しかもその後も聖書のOE訳は試みられており、Wycliffe の4世紀も前に、West-Saxon方言のものが出ていた」(イギリス国学史 p.230 渡部昇一著 第22章 Parker による古英語聖書の出版)

まだ古いのがおったのか~!と Bede(またはBeda) という人物の存在を知ったときに思ってしまいました。私が聖書の英訳について最初に知った人物は当然ながらスチュアート朝時代のJames1世による欽定訳聖書でした。次に知ったのが William Tyndale で、彼のことを調べていくうちに John Wycliffe にたどり着き、それ以前の聖書英訳というものはなかったと思い込んでいました。しかし、Bede という人物がなんと古英語(Old English)時代にすでに聖書の英訳に取り組んでいました。

とはいえ、当時の聖書の英訳というのは、聖書の概要を英語でまとめるという趣旨のものが中心で、完全な翻訳ということではなかったようです。これが古英語時代の聖書英訳の特徴でもあるようです。

代表的な聖書英訳の時代背景

Bede はどのような時代に生きていたのでしょうか。「古英語時代における聖書の英訳」というコンテクストをつかむために、次のような表を作ってみました。聖書を英訳、または推進した代表的な人物をピックアップして、英語史の流れと、イングランドにおけるキリスト教史の流れ、 翻訳者の死後の扱われ方という項目を作って並べてみるとこのようになります。

Bede(672/673-735年) 古英語(5世紀~11世紀頃まで)*ゲルマン語が中心

当時のイングランドのキリスト教:カトリック

死後の扱われ方:修道院に埋葬される。後にダラム大聖堂に移される。

Alfred, the Great(849-899) 古英語

当時のイングランドのキリスト教:カトリック

死後の扱われ方:ウィンチェスターの Old Minster に埋葬され、後にNew Minster に移される。

John Wycliffe(1320頃-1384) 中英語(11世紀頃から15世紀後半頃)

*Norman Conquest によるフランス語の流入が主な特徴

当時のイングランドのキリスト教:カトリック

死後の扱われ方:墓を掘り起こされ、骨を焼かれたうえに、川に流される。

William Tyndale(1494/1495-1536)初期近代英語(1450年頃から1650年頃)

当時のイングランドのキリスト教:1534年にヘンリー8世が「国王至上法(Act of Supremacy)」を制定して、ローマ・カトリック教会と分離。

死後の扱われ方:焚刑に処せられる。

James Ⅰ(1566-1625) *イングランド王として「一世」

初期近代英語(1450年頃から1650年頃)

当時のイングランドのキリスト教:プロテスタント(英国国教会)

死後の扱われ方:シーアボールズ宮殿で死去。

John Wycliffe や William Tyndale だけを聖書の英訳者として知っていた頃の私は、 「聖書の翻訳という行為は “罪” である、という認識が当時はあったんだろう」と単純に考えていたのですが、こうしてみるとイングランドがローマ・カトリック教会下にあった時代においても、聖書の翻訳が“罪”であったわけではなかったことが分かります。

秘術としての文法(p99)には「神秘家があまり問題ではなかった時代のカトリック教会は、聖書の翻訳についてはむしろ無関心、ときには後援していたのである。英語学をやっている人なら、古英語時代に聖書の翻訳があったことを知っている。聖書の翻訳自体が問題なのではなく、十四世紀ごろから現れてきた聖書を用いての教会攻撃をいやがったということなのであった」と解説されています。上の表を作って、この解説を再度読んでみると、よく理解できました。

Bede, the Venerable

Bede(672/673-735)はイングランドのキリスト教聖職者で、後に Bede, the Venerable (尊敬すべきBede) と呼ばれるようになったそうです。Bede は様々な分野において著作を残していますが、最も代表的なのが「イングランド教会史(The Ecclesiastical History of the English People)」です。

「イングランド教会史」といっても、あくまでも Bede の時代における「イングランド教会史」であるので、上の表を見ていただければ分かるように、16世紀のヘンリー8世以降から現在に至るまでの「英国国教会」の内容ではありません。ローマ・カトリック教会のキリスト教がいかにイングランドに伝わってきたかということや、ローマ帝国支配下のブリテン島のこと が綴られています。

講談社百科事典(23巻p276)の Bede の項目では「科学、歴史、神学に関する多数の著作を残す。晩年には<ヨハネ伝福音書>の初の英訳を完成し、古英語散文文学の先駆となる」と解説されるなど、多方面に渡って功績を残しました。

古期英語の時代と中期英語の境界線としてよく挙げられるのが、Norman Conquest です。Norman Conquest によっていきなり古英語がなくなったわけではなかったのですが、フランス語の語彙や構文が英語に流入したため、中期英語時代になると古英語の文献の研究というものはされなくなり、研究が始まったのは近代になってからのようです。当然ながら Bede が生きた時代には印刷技術はなかったので、現代でも彼の名はあまり知られてないのでしょう。

「英語の表現を理解するには、聖書を読むことが大事」というのはよく言われることです。と同時に、聖書がいかなる過程を経て英語に訳されてきたのかということに注目することも非常に意味のあることだと思います。

イギリス国学史 (渡部昇一著) 第22章 Parker による古英語聖書の出版

秘術としての文法 (渡部昇一著) 世界最大の言語戦争

講談社大百科事典 (23巻p276)