日本を知るということ

~英語教師の日本文化論~

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日本を知るということ ~英語教師の日本文化論シリーズ~

日本のことについて語るというのは、日本語でも難しいものです。これは習慣や行事などの豆知識だけではとらえることができないからです。「日本について説明するのは難しい」と言いながら、実はろくに理解していないことを ごまかし、知ったかぶりをしていた自分自身の反省から、なるべく具体的な例を示し、そして英語教師の視点を交えながら日本についてまとめてみたいと思うようになってできたシリーズです。

英語教師の日本文化論

  1. 日本を知るということ…原点を知ることの重要性
  2. 神輿はポータブル…神輿はなぜ移動する必要があったのか
  3. 神が仏を守るといふことPart1…東大寺と手向山八幡宮
  4. 神が仏を守るといふことPart2…薬師寺と休ヶ丘八幡宮
  5. 権現 Part1…仏が神であるといふこと
  6. 明神 Part1…神が明らかな姿で現れるといふこと
  7. 明神&権現 Part2…春日明神&春日権現
  8. 遷宮…古代を再生するといふこと

原点を知ることの重要性 ~英語圏を理解する過程で得た発想 ~

以前「アメリカを知るということ」の冒頭で書きましたが、私は歴史や文化というものには全くといっていいほど無関心でした。留学していた頃などでも、ただひたすら英語がしゃべれるようになればいいとしか考えていませんでしたし、外国の文化をちょっとばかり知っていれば、外国の歴史や日本の文化などは“専門外”で通しつづければどうにかなるとすら考えていましたし、分からなければ社会の先生に聞けばいいと開き直ってもいました。

そんな私の概念を崩したのが「語源」でした。England に隣接する Wales という国名の語源がアングロサクソン語の「外国人」に由来するということを知ったときの衝撃は今でも忘れられません。そこからそもそも「英語とは何ぞや?」という問いが常に頭から離れず、England をはじめ、United Kingdom や Ireland の歴史学習に没頭する日々が続き、United Kingdom & Ireland 放浪に出かけることになりました。翌年アメリカ合衆国での研修を受ける機会を得ましたが、そのときにもUKの歴史に関する知識が大いに役に立ったのでした。

そんな経験を経て改めて感じるのが「原点を知ることの重要性」でした。たとえば、アメリカの歴史や文化だけをいくらつきつめて研究しても、「England の歴史の延長線上としてのアメリカ合衆国」という視点がなければ“絶対”といっていいほど、アメリカを理解することはできません。イングランドの植民地政策やヘンリー8世の宗教改革などは、アメリカのみならず他のいわゆる英語圏を理解するためには欠かせないものであります。その上で、各国の原点、つまりアメリカ合衆国にしてみれば「独立戦争」というアメリカ人のアイデンティティの根幹ともいえる戦火の歴史を知ってはじめて“アメリカの今”を理解できるようになるのです。

日本を知ることへの応用

そして、この理屈を日本史にも当てはめて考えてみることにしました。日本史に無知な私が同じ要領で日本の歴史を少しでも理解するためには、どうすればよいのか?「日本人の日常生活、風俗習慣、物語、地理、歴史などに関するもの」の原点を知れば良いではないか!! そこで目にとまったのが、古事記と日本人~神話から読みとく日本人のメンタリティ~でした。不思議なもので、この本を最初に読み始めたのが2005年に2ヶ月間アメリカに研修に行くことが決まった時期でした。この本をはじめ、関連する書物をいろいろ読んでいますが、イザナギとイザナミの国産みの神話などを知ることで、事実たくさんの日本文化や日本独自のものの考え方というのが理解できはじめました。

たとえば、伊邪那岐(イザナギ) と伊邪那美(イザナミ)は子どもをつくりますが、火の神である迦具土(カグツチ)を生んだときに陰部を火傷してそれが原因でイザナミは死んでしまいます。怒ったイザナギはカグツチを剣で斬り殺してしまいます。この火の神が日本人の発想では、防火の神になり、愛宕神社、秋葉神社の祭神になります。地名で愛宕、秋葉と名のつく場所には、大きい小さいに関わらず、必ずこの系列の神社が存在しており、それが地名の由来にもなっています。

死んだイザナミは黄泉の国に行ってしまいますが、イザナギは寂しさのあまり彼女に会いに行きました。しかし、イザナミの変わり果てた姿に驚きこの世に戻ってきたイザナギは身を清めるために禊ぎをします。そのときに水の底ですすぐと底筒 之男(ソコツツノヲ)が、真ん中あたりですすぐと中筒之男(ナカツツノヲ)が、水面近くですすぐと上筒之男(ウワツツノヲ)が生まれました。この三神は住吉三神とも言われ、水の中で生まれたため、海の神、航海の神として祭られるようになりました。私が住んでいる地域にも「住吉」という地名があり、これが やはり海の近くにあります。「住吉」と名の付く神社の多くが海の近くにあるのを見ると、漁に出る前などに航海の安全を住吉三神に祈願していた昔の日本人の思いというのが身近に感じられるような気がするのです。

こうした文化、生活、風俗習慣に馴染みがあるものの、あまりに当たり前すぎて多くの日本人がこの独自性に気付いていないのもまたこの国の国民性の特徴なのかもしれません。神話や古代がなにげなく日本のいたるところで “新鮮に” 生きている。この事実が日本を日本たらしめているというのは大げさでしょうか。

古事記を英訳した Basil Hall Chamberlain は、THE KOJIKI の冒頭で次のように述べています。

Soon after the date of its compilation, most of the salient features of distinctive Japanese nationality were buried under a superincumbent mass of Chinese culture, and it is to these "Records" and to a very small number of other ancient works, such as the poems of the "Collection of a Myriad Leaves" and Shinto Rituals, that the investigator must look, if he would not at every step be misled into attributing originality to modern customs and ideas, which have simply been borrowed wholesale from the neighbouring continent. (THE KOJIKI

古事記編纂後に日本独特の文化は中国文化の下に“埋められた”というような表現を Basil Hall Chamberlain は使っています。日本の文化は隣接する大陸からの“借り物”ではないことを知るためにも古事記に注目すべきであるということを彼は述べています。やはり、歴史や文化を理解するには、原点となるものを知るということが大切だと思います。

発信力の前に、発信する内容

「自国の文化を英語で発信する力」というと響きはよいのですが、こうなると「~は英語でこういう」といった表面的な表現力に限定されてしまうおそれもあります。それ以前にやはり考えなければならないのが、たとえば日本人自身が日本の文化というものをどのように捉えているかという部分だと思います。

最近日本に来ているアメリカ人2人と話をした際に、古事記を話題にしてみたら、彼らはイザナギやイザナミ、アマテラス、スサノヲなどの話を知っていました。そして私に「日本人はなぜ自分の国の神話を知らないんだ」と尋ねてきました。それは戦後GHQが神道の思想を教育から排除したからだと伝えたら彼らは納得していました。

このように、現代は多くの日本人が日本の文化を根っこの部分抜きで捉えているために、はっきりとした文化観を示すことができないのではないでしょうか。英語で発信する以前に、“発信する内容”こそが問われるのだと思います。

そんな気持ちから「英語教師の日本文化論」が始まったのでした。