2006年(冬号)
<寄稿記事>
◾️カラー特集:東シナ海の紺碧の海を漕ぐ:カラー6P
◾️パドリングエリアガイド
・岩手県大船渡:カラー4P
・静岡県内浦~大瀬崎:カラー3P
◾️日本におけるシーカヤッキングのひとつのオリジン。
ジョンダウド、ダンルイスを迎えて
:モノクロ1+1/4ページ
【カラー特集】
東シナ海の紺碧の海を漕ぐ
表紙のトップにもタイトルが書かれている本企画、沖縄西回り航路開拓プロジェクトの最終章だ。第1回、沖縄本島から慶良間諸島、第2回、慶良間諸島から渡名喜島、そして最終回が渡名喜島から久米島となるのだが、僕は第2回をスキップせざるを得ない状況となっていた。当時勤めていたボーダフォンが大規模な人員整理に入り、ちょうど予定していた時期に「残るか辞めるかをこの期間に決めろ」という通達があったのだ。このカヌーライフの原稿料は食える額ではなかったし、だいたい経費でさえ請求できない状況だった。好きなことを続けるためには「食うため」の職業が必要だったので、「残る」ことを会社に伝えるために休むわけにはいかなかったわけだ。それは結局最後まで変わらなかったけどね。
ガイドは言わずと知れた「漕店」の大城さん。おそらくこうした遠征を任せられる最初で最後のガイドだろうな(違っていた、ということを望んでいるけど)。
渡名喜島までカヤックを運んで、翌日朝、出発。最初逆潮でなかなか進まなかったけど、そこを過ぎるとカヤックのデッキを超える波の中を進んだ。そのデッキを超えてくる波が砕けて透明な青から泡とともに透明になる変化は今も鮮明に思い出せる。
その中を普通の一眼レフ、それもフィルムカメラで撮り続けた自分は我ながら凄いと思っている。集団の中、前後を行ったり来たりしたしね。今も世話になっている歯科医の公文さんが、カツオを釣り上げた時は、ほぼ先頭から最後まで漕ぎつけた。
そしてようやく辿り着いた久米島の東端、はての浜での写真が最初の見開きだ。
久米島にいられた時間はわずかだったけど、そこまで漕ぎ渡ることができたという充実感がすごく強かった。色々忘れてはいるけれど、この海の青さは決して忘れることはないだろう。
また仲間と海を渡っていくことの楽しさも、この後も何度か島渡りはするんだけど、この時ほど強烈な思い出になったパドリングは・・・慶良間で雷雲に囲まれたとき以外は・・・ないかな。
【パドリングエリアガイド】
岩手県大船渡
三陸の「海旅」イベントで漕いだところを、後日、Seasonの鈴木氏にエスコートをお願いして、いつもの岩手の仲間と漕いだ、らしい。ここも後年の東日本大震災の後に漕いでいないので、状況は大きく変わってしまっていると思う。逆に言えば、震災前の貴重な海の姿と言えなくもない。
【パドリングエリアガイド】
静岡県内浦~大瀬崎
一度SWENの遠藤氏(当時。今はもっと偉い人になってしまった)にエスコートしてもらったが、あまり天気が優れなかったので、情報をいただいて、再度今も世話になっている公文さんと漕いで取材してきた場所だ。
いわゆる伊豆半島の西側の肩のところ。景観的には伊豆半島の他のエリアと比べるべくもないが、荒れることも少ないし、自分的には往年の客船、スカンジナビア丸が係留されていたので、それを間近に見られてよかった。後年、どこぞの会社に買われて、回航中に串本付近で沈没するという謎の事件が起こる。検索するとwikiによると、「沈没した状態の様子を記録するプロジェクトが、2025年現在、テクニカルダイバー野村昌司が率いる潜水チームで取り組まれている」とのことなので、今後新たな情報が出てくるかも知れないね。
しかし、最近このエリアはカヤックの出艇が禁止になったと、噂レベルで申し訳ないが聞いている。原因はやはりフィッシングカヤックの愛好家。もう全国的にやばい存在になっているんじゃあないですかね。もちろんきちんとマナーを守っている人の方が割合的には多いかも知れないけど、外れた人の方が目立つのはどんな趣味でも同じ。あるnoteで「出艇場所は教えると人が集まって使えなくなるから教えない、知りたいならお金払って」というものを見つけた。これってある意味カヤックフィッシング愛好家の本質を表しているんじゃないかな。
【レポート】
日本におけるシーカヤッキングのひとつのオリジン。ジョンダウド、ダンルイスを迎えて