1998年春号
【パドリングエリアガイド】
長崎県五島列島中通島
この頃はシーカヤックを漕ぐことが楽しくてしょうがなく、いつも遠くに行くことばかりを考えていた。そしてなんといっても九州がお気に入り。当時はデリカのバンにシーカヤックを載せて、大阪まで走ってから南港からフェリーで九州に入るというルートをとっていた(このときのトランスポーター、デリカ・バンもかなり工夫をしており、まだ車中泊などという言葉がなかった頃から、それができる改造をDIYでやり、取材を受けた)。
この頃から、カヌーライフ誌におけるシーカヤッキングのエリアガイドの寄稿では常連になっていく。まあ、それはそうだろう。自費で遠くに行っては、それなりの写真を撮ってくるのだから。
当時はまだポジフィルム。一回遠征に行けば、結構な感材代もかかっていた。ただ、僕はこの当時、自分の撮影した写真が、商業誌に、しかもカラーで掲載されることが損得抜きに嬉しくてしょうがなかった。これも普通にサラリーマンと続けているからできること。
しかしある時、副編集長から「あなたは兼業ライターだから、専業でやっている方を優先するわね」と言われた。交通費も企画費も出ないのに何いっているんだろうとも思ったが、当時はゆくゆくは専業でやっていきたいという思いもあったので、とりあえず露出を優先にすべく黙ってはいた。
トップの写真は、そのフィールドの雰囲気や象徴的なビジュアルを持ってきている。これは現在のカヌーワールドにおけるフィールドガイドも踏襲しているけど。
さて、この五島列島遠征は、先の黒島ツーリング、九十九島で知りあった長崎シーカヌークラブ「KOPPA」の方から、「五島列島に行くけど、一緒に行きませんか?」と誘われて行くことになったものだ。
車は港に置いておき、カヤックは船会社側が用意してくれたトラックに詰め込んで島へ渡った。もちろんその方が少しでも安く島へ渡ることができるからだ。こうした交渉はすべてKOPPAの方がやってくれた。M島さん、お元気ですか?
で、肝心な海なのだけど実は結構記憶が薄れかけているのだけど(^^;、港付近の海と少し南下したところのそれは、かなり違っていた覚えがある。変化に富み、難しい海だというのがその印象。
その他、とても覚えているといえばこのエピソード。
港にはついたものの、カヤックで海に出るにはかなり離れたところにあるスロープまで行かなくてはならない(着いたのはフェリー埠頭だからね)。荷物をまとめている僕らに、港に人が声をかけてくれた。
これを使えばいいよ、と。指さしたのはフェリーに車を載せるためのスロープ。なんとサンダーバードよろしく、カヤックを載せて海まで下ろしてくれるというのだ。もちろんお言葉に甘えてそうさせていただいたが、今はとてもこんなことはやってくれないと思う。古き良き時代だったのかも知れぬ(この記事を見て港湾関係者にやってくれなど言わないでくれ、30年近く前のことだ)。
五島列島、このときは中通島だけになっていまったが、南から北まで、すべての島を巡ってみたい。