スタオンプリンス
いつどこから輸入されたのかイマイチ不明の牡馬。小松宮家に献納された。
馬名:スタオンプリンス
性別:牡
父:不明
母:不明
毛色:鹿毛
生年:1880年(明治13年)【資料2より推定】
死年:不明
産地:おそらくハワイ王国
■解説
・外国産の洋種である事はほぼ間違い無いものの、その輸入の経緯については「輸入種牛馬系統取調書」にも「宮内省下総牧場における競走馬の育成調教」にも載っておらず、いつ日本に来たのかがあまり明瞭ではない。
・ほとんどの資料には「アメリカ産である」と書かれているが、宮内庁が所有する資料には「布哇国(ハワイ王国)産」である事が書かれており、書類の信憑性を鑑みるにやはりハワイ産であるとするのが正しいのだろうと推測される。
・従ってハワイ産種牡馬「赤松」のページに記載した資料は、実はスタオンプリンスの記述であった可能性も結構出てきた事になる。ライス氏が献納したのは赤松なのかスタオンプリンスなのか。ひょっとしたら両方?ちょっとよく分からない。
・下総御料牧場は明治21年に小松宮殿下へ洋種馬1頭を献納しており、おそらくこの馬を指していると思われる。従って輸入当初は下総御料牧場に繋養されていたという事になるだろう。
・小松宮殿下は献納されたスタオンプリンス号を同年、新冠御料牧場に貸し与えた。
・その後明治25年に再び小松宮家に返納され、すぐに群馬県吾妻郡の「吾妻牧場」に寄贈された。
・明治30年現在でも同牧場にて種牡馬に供されている事は確認できるものの、その後の動向はよく分かっていない。残念ながらあまり目立った成績が残せていない事は確かである。
・吾妻牧場は「北白川家」という宮家が開牧した農場である。小松宮家の所有する馬を移送させるのもそういった関係で行われたものであろう。しかし当該牧場はもともと順調では無かった上に、北白川宮能久親王が明治28年に亡くなってしまい、その後ますますの行き詰まりを見せる事となる。その結果、吾妻牧場は明治39年に亀沢半次郎その他何名かの民間人に区分けされ、売却される事となった。
■遍歴
・1880(M13):おそらくハワイ王国で産まれる。【資料2・3】
・1888(M21)頃:日本に輸入され、下総御料牧場で繋養された。【資料1】
・1888(M21)5~6月頃:小松宮家に献納され、すぐに新冠御料牧場に移送された。【資料1】
・1892(M25):新冠御料牧場から再度小松宮家に返戻され、すぐに吾妻牧場に移送された。【資料4・5】
・1897(M30):同地で種牡馬として供用中である事が確認できる。【資料6】
・その後は不詳
■資料
【資料1】下総御料牧場沿革誌
・https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/802280/1/92
21年中洋種牡1頭小松宮殿下へとあるは特に思召をもって奉呈したるものなり
【資料2】牧場録明治21年
(宮内公文書館所蔵)インターネット上においては未公開の資料
新冠第一御料地
明治21年10月1日馬匹現在頭数
(中略)
乗用 鹿毛 8歳 スタンヲンプリンス
【資料3】牧場録明治23年
(宮内公文書館所蔵)インターネット上においては未公開の資料
小松宮へ献上馬之義伺
客年5月中新甲第10号をもって小松宮殿下より本場へ胤用として御貸与相成候布哇産スタンヲンプリンス号の御謝礼として、無代価にて本場より乗車用雑種牡馬2頭同宮殿下へ献上の義伺出候処御指令相成候につき今般左按をもって同宮殿下へ献上之義取計度此段相伺候也
父:洋種グランドエムペロー
母:内国種220号
種類:乗車用一回雑種牡馬
年齢:明4歳
名称:雲井
毛色:青毛
生年月日:明治20年4月1日
父:洋種グランドエムペロー
母:内国種156号
種類:乗車用一回雑種牡馬
年齢:明4歳
名称:黒川
毛色:青毛
生年月日:明治20年4月10日
右馬匹は去る21年6月中御貸与相成候布哇国産スタンヲンプリンス号の御謝礼として献上致度此段申進候也
【資料4】牧場録明治25年
(宮内公文書館所蔵)インターネット上においては未公開の資料
馬匹移動届
乗用洋種 スタンヲンプリンス 鹿毛 牡12歳 小松宮家返納
右及御届候也
【資料5】長野原町誌 上巻
・https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/9642981/1/337
明治24年、米国産(*)牡馬スタオン・プリンス号を宮内省調馬所長杉村氏の斡旋により購入し、種馬とする。明治25年、東北地方の各所で牝馬15頭を購入しこれを引き取る。同年(25年)米国産(*)牡馬スタオン・プリンス号を小松宮家より寄贈され、引き取り種馬とする。
*「布哇産」が正しく「米国産」は誤りと見られる。
【資料6】牧畜雑誌(145)
・https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/11209737/1/27
群馬県吾妻牧場
(中略)
目下現在(*1)馬匹総数百餘頭にして種牡馬3頭のうち2頭は米国種吾妻号(*2)、スタヲン、プリンス号と称しいずれも優等の種馬にして駿逸を出すという。
*1:明治30年11月の記事なので同年現在と見られる。
*2:「吾妻野号」の誤り。