スプリングボック

明治11年に輸入された馬。その正体は…。

馬名:スプリングボック

性別:牡

父:不明

母:不明

毛色:栗毛

生年:1870年(明治年)?【資料2】

死年:不明

産地:米国

■解説

明治11年にアメリカから輸入された「スプリングボック(springbok)」という名前の牡馬。

・当時の米国競馬において同名の馬がおり、英語版wikipediaのページが存在する程度には活躍し、好成績を残した馬である。

どうやら日本側は当該馬を購入したとして手続きを進めたようなフシがある。

・しかしながら日本に輸出されたはずのこの馬はその後も米国で種牡馬として元気に仕事をこなしており、しかも種牡馬としてもかなりの成功を収めている事が確認出来る。【資料1】

・「じゃあ日本に来たこの馬は何なの?」という事態が起きているいわくつきの馬がこのスプリングボックなのである。

・なぜか「輸入種牛馬系統取調書」に記載がされていないのもその謎に拍車を掛けている。一体何が起きたのか。説としてはいくつか考えられるだろう。

・【説1:そもそも輸入は行われていない?】輸入自体はきっちりと行われたらしく、この説は採用し難い。

・【説2:偽物を掴まされた?】うーん、アメリカ側がこのような不誠実な対応をするとは思えないが…。

・【説3:ただの同名の馬だった?】説としては一番ありそうな感じがする。日本側が勝手に浮かれただけなのかもしれない。

【説4:輸入した馬は本物で米国にいる馬が偽物?】もしそうだったらトンデモな話。むしろその成り代わった偽馬の方が日本に来て欲しかったとまで言える。

・日本で生まれた産駒が一頭確認出来るため、偽物か本物かはともかく日本に輸入された事は確実と考えて良いだろう。

・産駒は「第二スプリングボック(牡)」で母は不明。当該産駒は「純粋乗用種」と書かれている事から母は血統の判明している洋種馬、すなわち「サラブレッド」である事が推測される。また地方(青森県)に下付していることから産地は取香種畜場なのではないかと思われる。【資料3・4】

・産駒の少なさから日本にいた期間はごく短かったと思われるこのスプリングボック。その存在は日本産馬界のミステリーの一つだ。

■遍歴

・1870(M3):アメリカで産まれる【資料

・1878(M11):日本に輸入された?【資料

・1879(M12):産駒「第二スプリングボック(牡)」(母不明)が生まれた?【資料3】

その後は不詳

■資料

【資料1】Wikipedia - Springbok (horse)

https://en.wikipedia.org/wiki/Springbok_(horse)

Breeding career

In his breeding career, Springbok sired the stakes winners Audrain, East Lynne, Ethel, Huntress, and Vallera.


【資料2】宮内省下総牧場における競走馬の育成調教

https://dl.ndl.go.jp/pid/1067254/1/17

輸入年:明治11年

名称:スプリングポツク

種類:米国産サラブレッド

性:牡

毛色:栗毛

生年:明治3年

産地;米国


【資料3】農務顛末 第4巻

https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/2468750/1/174

(明治16年12月8日)

畜養法

拝借洋種牡馬第二スフリングボクソン号飼養はかねて御達相成候牛馬取扱心得書に基づくといえども飼品不足を生ずるときは大豆粉糠乾草等を用いるなり。褥草は当地藁不足の場所なるにつき干し草をもってこれに充つ。運動は毎日午後3時より場内一里くらいの地を歩せしめ手入れば朝夕の2度とする。

繁殖法

専ら改良を旨とするをもって牝馬春心発動するを待って牡馬を配し、心得書に基づき媒助交尾をなさしめんとするも、いかんせん明治14年にはすでに満3歳に至ると言えども性質薄弱にして交尾を好まず。客年に至りやや強壮に復し春心発動するにより5頭の牝に配せしに本年2頭の雑種を得たり。

同県(青森県)上北郡 七戸 工藤轍郎


【資料】農務顛末 第4巻

https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/2468750/1/53

明治17年中貸与種牡馬交尾報告統計表

県名:青森

種類:純粋乗用種

名号:第スプリングボック号(*)

交接牝馬頭数:25頭

交接度数:50回

*「第二スプリングボック号」の誤記だろう。