ダブリン
明治10年購入。病弱であったので来日後ほどなくして死亡した。
馬名:ダブリン
性別:牡
父:Kentucky【資料2】
母:Zaidee【資料2】
毛色:栗毛
生年:1871年(明治4年)【資料2】
死年:1879年(明治12年)【資料8】
産地:アメリカ
■解説
・明治10年に北海道開拓使が米国より購入した馬。
・「輸入種牛馬系統取調書」には「乗用」と書かれているが、実際には「乗車用」のトロッター種であるようだ。【資料1・資料4】
・代金は500ドルだった。【資料3】
・体が弱く来日早々にぶっ倒れたため、陸軍軍馬医師アウギュスト・アンゴーがわざわざ東京から北海道へ往診に向かったようである。【資料5】
・上とは別の日だとは思われるがエドウィン・ダンが札幌の邸宅にいた時に「ダブリン号危篤」の話を聞かされ、メロスよろしく「札幌」から「新冠」まで悪天候の中を馬で駆けつけたという話もある。【資料6】
・来日後、漁村牧場で繋養され、翌明治11年に新冠牧場に移送されたが、さらにその翌年の明治12年に死亡した。【資料8】
・しかし何故か明治14年の札幌競馬場の天覧競馬に出場していたという話も聞かれる。下記の雑種産駒である可能性が高そうだ。【資料9】
・産駒には「ダブリン」という同じ名前の雑種がおり、西郷従道が600円で購入し横浜競馬などで走らせた。敵無しの強さであったようだ。【資料10】
■遍歴
・1871(M4):アメリカで産まれる。【資料1】
・1877(M10):北海道開拓使が購入し、漁村牧場にて繋養した。【資料7】
・1878(M11):新冠牧場に移送された。【資料7】
・1879(M12):死亡した。【資料8】
・1881(M14):死後に札幌競馬場での天覧競馬に出場した?【資料9】
■資料
【資料1】輸入種牛馬系統取調書
・https://dl.ndl.go.jp/pid/842117/1/15
開拓使管理局及び北海道庁において購入の分
種類:乗用
性別:牡
毛色:栗毛星
産地:アメリカ
名称:ダブリン
輸入年:明治10年
【資料2】北海道大学 北方資料データベース より
・https://www2.lib.hokudai.ac.jp/hoppodb/
馬(ダブリン)血統書(写)/E.クラボー
in 1871, (he) was sired by Kentucky.
(中略)
1st dam was Zaidee
【資料3】北海道大学 北方資料データベース より
・https://www2.lib.hokudai.ac.jp/hoppodb/
馬(ダブリン)代金500ドル手形受領(写)/E.クラボー
【資料4】日本馬政史 五
・https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/1718958/1/64
10年に米国より輸入した米国産トロッター種ダブリン、キングリチャードの2頭及び13年輸入のキングスレー、ブラックホークの2頭は新冠牧馬場において繁殖用に供したがいずれも良績を得、北海道の功労馬として斯界の話題に上がっている。
【資料5】アジア歴史資料センター
開拓へ馬送安護氏往診
米国ヨリ来着之渡馬病気ニ付当省傷馬医教師安護氏之診断ヲ受度云々御依頼之衛度了承即チ同人ヲ相達候条本日午後三時頃迄ニテ出張可致候旨此段及御報候也
【資料6】北海道開拓秘録 第1 (時事新書)
・https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/3017350/1/113
ある夜のこと、激しい雨をついて新冠から一人の若者が飛んできた。(札幌にある)私(ダン)の家に現れた彼は立つこともできぬほどに疲れていた。ウイスキーを与えて気力を回復させ話を聞くと、一万円も出した牧場第一の種馬ダブリン号が大病にかかったからすぐに来てくれとの事。今から行っても手遅れだろうとは思ったが、私は夜半11時過ぎに雨をおかして出発した。千歳までの泥道に6時間もかかり、朝方やっとたどり着くと馬を替えて先を急ぎ、鵡川に着いたのが昼。また馬を替えさらに2回も馬を乗り継いで、半ば眠りながら夢中で駆け続けた。160キロ地点のシベチャリまで来て、迎えのアイヌと店屋のあるじに抱えられて馬を下り、家に運ばれた。そして夢うつつのうちに病馬の事を尋ねると、もはや懸念は無用であるとの事で一安心。ホットウイスキーを飲んで床に着き12時間を前後不覚で眠った。翌朝起きてみると尻の肉が目に見えて落ちていた。それでも鞍に布団をくくり付けてさらに16キロを突破して牧場にたどり着いた。ダブリン号は元気な姿に戻っていた。愛馬の心これ一筋との感慨にふけった。
【資料7】恵庭市史
・https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/9570052/1/608
(明治10年)漁村の官営牧場内2万6611坪を開墾し牧草地とした。また米国から種馬2頭(*)、南部産の種馬20頭を購入し、11月、これまで放牧した放牛を全部真駒内に移し、この牧場は放馬専門となる。しかし翌年放馬を新冠牧場に移す。
*ダブリンとキングリチャーズ
【資料8】エドウィン・ダン 北海道の馬事の礎を築く(著者:田辺安一)
(インターネット上においては未公開の資料)
(明治12年)新冠牧場に牧養せる洋種馬他無倫去月(8月)25日より腸焮衝に罹り容易ならざる病状の趣、該場在勤卒業生金子安蔵、昼夜兼程出礼具状候に付、直ちに雇教師ダーン氏を該場に派出せしめ、尚在場生徒等更に間断なく治療尽力候へども、遂に薬効を奏せずダーン氏着場前同27日午後2時斃死候。
【資料9】月刊体育施設:スポーツ施設&マネジメント情報誌 29(8)(366)
・https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/7948449/1/41
明治14年の東北・北海道巡幸の明治帝は、8月31日に札幌の開拓使育種馬内で競馬を天覧された。
(中略)
3つのレースが終わったあと、審判を務めたダンは明治帝に望まれ、ダブリンで他の2頭の馬と競走することになった。選ばれた2頭は、雑種の中でもよく走る馬だが、ダンは82キロの体をアメリカ産トロッターのダブリンに乗せ180メートルの距離ハンデを付けて後方からスタートする事にした。ダブリンはかつてケンタッキーの競馬場で走っていた馬だが、疝痛を起こしてからはほどんとトレーニングをしていない。最近ではダンの乗馬用になっている。
(中略)
ホームストレッチに入ると若馬のような反応を見せ、五完歩であっという間に2頭を抜き去った。
【資料10】競馬大鑑
・https://dl.ndl.go.jp/pid/859924/1/175
この競馬に出場したる本邦人においては
(中略)
西郷中将より雑種ダブリン等を出せり。