高砂

フランスより贈られた日本アラブ界の始祖。

馬名:高砂(たかさご)

性別:牝

父:不明

母:不明

毛色:芦毛

生年:不明

死年:1887年(明治20年)

産地:アルジェリア(フランス国植民地)

■解説

・現在の競走馬の血統表から遡れる最古の日本の馬。

・慶応3年(明治0年相当)にナポレオン三世より徳川幕府へ寄贈された26頭の馬のうちの一頭とされる。

・贈呈された26頭のうちで現在も子孫が残っているのはこの高砂のみ。

芝山仁王尊観音教寺にある「吾妻号の碑」の説明文には「徳川幕府が高砂と名付けた」と書かれているがその説は根拠不十分に感じる。

(吾妻号の碑にある説明文)

■子孫について

・高砂は主に初子の「吾妻」によって大いに子孫が繁栄した。

・アラブ競馬においては絶大な血脈の広がりをみせており、最後のアラブ競争「開設60周年アラブ特別レジェンド賞」(2009年福山競馬場)においてもなお出走した7頭のうち6頭が高砂の血を保有していた。

・その後アラブ競争が廃止されたため、アラブ馬を生産する意義を失い急速に血脈が縮小することとなった。

・2023年1月現在、高砂の血を持つ競走馬はわずか3頭となっている。(マルカンベルガー、ヨシンマックス、シュヴィル)

・競馬界では絶滅したが、馬術競技界においては今なお高砂の直系牝馬現存している。

宮内庁御料牧場で種牡馬となっているフジナミカイドウは高砂の子孫である。

■遍歴 (  K=慶応    M=明治  )

・1867(K3)頃:アルジェリアからフランスへ移送される。

・1867(K3)3月:フランスを出発し、日本へ移送される。

・1867(K3)4月:日本に到着、太田陣屋(横浜市日の出町)に繋養される。

・1867(K3)6月:大手門にて贈呈式が行われ、徳川幕府へ正式に引き渡しが行われた。

・1868(K4)1月:神田の騎兵屯所に移送、その後に下総国中野牧(千葉県松戸市)へ移送され

・1868(K4)4月:沼津兵学校へ移送される。

・1869(M2):徳川幕臣の誰かへ配布された。

-----以上の資料については「ナポレオン三世の馬」を参照のこと-----

・1869(M2)明治政府に発見され、雉子橋御厩で繋養される

・1870(M3):雉子橋御厩にて「吾妻(牝)」を出産。(父:不明)【資料

・1872(M5):内藤新宿試験場へ移送される。【資料

・1875(M8):「第二東京(牡)」を出産。(父:内藤新宿試験場第三号)【資料

・1878(M11)頃:取香種畜場へ移送される。【資料

・1879(M12):「第二高砂(牝)」を出産。(父:ブラドレー)【資料

・1882(M15):「第四ブラドレー(牡)」を出産。(父:ブラドレー)【資料

・1887(M20):老衰により死亡【資料

■資料

【資料1】明治3年度 馬籍原簿(下記宮内庁公文書サイトで検索)

https://shoryobu.kunaicho.go.jp/Kobunsho

  [007/340] 番号二:吾妻(父不明、母高砂)、生年:明治3年、産地:東京雉子橋元御厩

  [008/340] 番号十二:第二高砂(父ブラドレー、母高砂)、生年:明治12年6月6日、産地:三里塚区

  [010/340] 番号二四:第四ブラドレー(父ブラドレー、母高砂)、生年:明治15年6月19日、産地:三里塚区


【資料2】大日本実業学会高等農科講義畜牛改良論 

https://dl.ndl.go.jp/pid/838389/1/54

明治5年府下内藤新宿に農事試験場を設置し従来雉子橋御厩に飼養せる牛馬羊豚を之に移す 


【資料3】静岡県田方郡誌

https://dl.ndl.go.jp/pid/9536586/1/190

馬名:第二東京号

毛色:鹿毛

年齢:明治8年5月

産地:東京雉子橋

血統:父は仏国第三世拿破翁より徳川家へ送りたる芦毛高砂号

   母は勧農局試験場に繋蓄せる洋種第三号

※生まれは「東京雉子橋」ではなく「内藤新宿試験場」が正しい。また「父」と「母」の明記は逆である。


【資料4】日本馬政史 第4巻

https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/1225470/1/71

又高砂というてこれまた原名不明なれども蘆毛牝馬であって明治十年内藤新宿試験場より下総種畜場に転管になったものもある。

※移転の年を明治10年としているが、【資料5】を見ると10年4月に来て8月に再度内藤新宿へ返却されている。明治10年は種付けを行う為だけに来たものと見られ、定住するのはもう少し後であったものと考えられる。


【資料】富里村史 史料集 2(近・現代編)

https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/9641696/1/377

洋種牝 高砂 10年4月27日東京新宿より廻る 同8月26日同所へ返却


【資料6】事業録明治19~20年

(宮内公文書館所蔵)インターネット上においては未公開の資料

高砂 廿年2月に老衰斃死す。

産駒

1870年(明治3年)  吾妻 【父:不明】

下総御料牧場で繁殖牝馬となる。12頭の産駒を残し明治29年死亡。

1875年(明治8年)  第二東京 【父:内藤新宿試験場第三号

明治14年に静岡県に送られ種牡馬となる。明治27年に種牡馬を廃用、その後は不詳。

1879年(明治12年) 第二高砂 【父:ブラドレー】

下総御料牧場で繁殖牝馬となる。頭の産駒を残し明治31民間に売却

1882年(明治1年) 第四ブラドレー 【父:ブラドレー】

下総御料牧場で種牡馬となる。明治21年に新冠御料牧場に移送されおそらく同地で死亡した。