ガイヨル 他(4頭)

トルコ皇帝による「エルトゥールル号遭難事件」に尽力した日本への贈り物。

■1.ガイヨル(牡)鹿毛

生年:1884年(明治17年)

死年:1907年(明治40年)


■2.シルベル(牡)芦毛

生年:188年(明治1年)

死年:1896年(明治29年)


■3.イルジニエール(牝)芦毛

生年:188年(明治1年)

死年:1901年(明治34年)


■4.イベルト(牝)青毛

生年:1885年(明治18年)

死年:1901年(明治34年)


4頭とも父母の血統不明、産地はおそらくオスマン帝国。

■解説

・明治23年9月、オスマン帝国のフリゲート艦「エルトゥールル号」が悪天候に晒され、和歌山県沖で大破沈没した。

・600名近くが亡くなったものの、69人は日本側の助力により救出され無事イスタンブールの地まで送り届けられた。

・当該救助に尽力した日本に対し、その謝意の証としてトルコ皇帝より4頭のトルコ馬が贈られる事となったのである。

牡馬が「ガイヨル」と「シルベル」の2頭。牝馬が「イルジニエール」と「イベルト」の2頭である。

・4頭ともに明治24年5月に宮内省主馬寮が引き取り、同年10月に下総御料牧場に移送された。

・ともに血統は不明で、4頭とも「トルコ種」という馴染みの無い馬種であったが、下総御料牧場はこの4頭をわりと積極的に活用した事が窺える。

・馬籍原簿においては産地は「亜剌比亜国」と書かれており、どこを指しているのか見当がつかないが、常識的に考えて産地はオスマン帝国(トルコ)であると考えるのが普通であろう。

シルベルは明治29年に死亡。牝馬2頭も明治34年に死亡した。

・最後に残ったガイヨルは明治39年に新潟県南蒲原郡の民間人に売却され、翌年死亡した。

ガイヨルの最後の子孫は1999年生まれの「スズノウィンディ」、シルベルの最後の子孫は1997年生まれの「ハッコーディオス」であろう。牡馬の血統はわりと近年まで生き残っていた。

・事件は有名であるわりに「馬を贈呈された」という事実が全く知られていないところは口惜しきところか。もっと有名になってもいいのよ。(´・ω・`)

■遍歴

・1884(M17):ガイヨル生まれる

1885(M18):イルジニエールイベルト生まれる。

1886(M19):シルベル生まれる。

・1890(M23)9月:【エルトゥールル号が遭難、沈没する。】

・1891(M24)1月:【生存者がトルコへ送り届けられる。】

・1891(M24)5月:贈呈さ4頭が日本に到着する到着後主馬寮繋養された。【資料2】

1891(M24)10月:4頭下総御料牧場に下付され、繁殖に供された。【資料

・1896(M29):シルベルが死亡した。

・1901(M34):イルジニエールイベルトが死亡した。

・1906(M39):ガイヨルが民間(新潟県総合会?)に売却された。【資料

・1907(M40):ガイヨル新潟県にて死亡した。【資料3】

■資料

【資料1】明治3年度 馬籍原簿(下記宮内庁公文書サイトで検索)

https://shoryobu.kunaicho.go.jp/Kobunsho

[020/340] 844 

馬名:ガイヨル 

性別:牡

毛色:流星鹿毛四白

生年:明治17年生(西暦1884年)

父:(空欄)

母:(空欄)

産地:亜剌比亜

種類:土耳其

増籍:明治24年10月14日 主馬寮より御下附

減籍:明治39年3月17日 旗野美乃里なるものへ代金70円にて払下げ


【資料2】北海之殖産(12)

https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/1524088/1/27

土耳其皇帝4頭の名馬を献す

我が金剛比叡両艦が紀州海に沈没したる土耳其軍艦「エルトグロール」号の生存者80名を搭載し、わざわざ本国に送致したる厚意に報ゆるため、該国皇帝陛下は名馬4頭を援いて我が国皇帝陛下に献せんとて仏国郵船「カレトニヤン」号に乗せ該国の陸軍士官2名を付き添え派遣したり。該郵船は去る5月16日横浜に入港したれば宮内省よりは主馬寮藤波言忠、御料局長新山荘輔ほか3名を受取方として横浜に赴き翌17日士官もろとも上京せり。かつて金剛比叡両艦に乗り込み該国に派遣せられ一時居残りたる橋本海軍大尉、清水海軍少尉他に一等水兵1名も同じ郵船にて帰朝したり。この名馬4頭を本船より横浜に揚陸する際の如きは特に一艘の蒸気船を仕立て、極めて丁重大切に取扱いたりと言う。


【資料3】新潟縣畜産誌

https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/3464403/1/50

明治40年7月管理中斃死せるガイヨル号は同20年(*1)土耳其帝国軍艦ノルマントン号(*2)の我紀州沖にて沈没するや、時に我が政府特に軍艦比叡金剛の2艦を派しその艦員を本国へ護送せらる。同皇帝は感謝の誠意を表すべく我が皇帝に贈呈するに駿馬6頭(*3)をもってせられたるその一なり。爾後下総御料牧場にて専ら種馬に供せらるること20年、明治39年県総合会において払下げたるものたり。遺体は標本材料として本県農林学校標本室に陳列せらる。

*1:「明治23年」が正しい。

*2:それは別の事件の…。

*3:4頭が定説