レゼント
明治10年輸入。輸入サラブレッドのさきがけであったが、わりとぞんざいな扱いをされた。
馬名:レゼント
性別:牡
父:ローデ
母:エバコムス
毛色:鹿毛
生年:1871年(明治4年)
死年:不明
産地:米国カリフォルニア州
■解説
・日本は馬匹改良のため明治10年に8頭のサラブレッド(牡4、牝4)をアメリカから購入し取香種畜場に繋養した。そのうちの1頭が当該レゼントである。
・輸入されたサラブレッドはことごとく「父の父がレキシントン」という非常に血統が偏ったラインナップであったが、8頭の中で唯一レゼントだけはレキシントンの血を保有していない馬であった。
・輸入されたサラブレッドの牝馬が全てレキシントンの孫ともなれば当該レゼントは輸入牝馬のお相手として重宝されてもおかしくない環境であったはずなのだが、そのような使われ方はされずに8頭のうちで唯一地方に送致されてしまう。
・「血統は重要だ」と教えられた日本側にとってはレキシントンの血をとにかく活用する事が重要だと考えて、アウトブリードという概念は持ち合わせていなかったのかもしれない。
・輸入された明治10年4月当初は取香種畜場に繋養されていたが、同年7月には下総牧羊場に移されたようだ。
・下総牧羊場は言うまでもなく羊を養うために作られた牧場であったが、湿度の高い日本ではあまり養羊は適しておらず、ウールは質が悪く羊肉もわりと不評であったため養羊業は縮小の状況にあった。なので使われていない土地の一部を馬の放牧用に使用していたのである。
・その後明治12年に岩手県の藪川牧場に送致された。藪川牧場の詳細が良く分からないのだが、外山御料牧場の前身の牧場であったのかなと考えられる。
・岩手への移送年を「明治12年」としている資料と「明治14年」としている資料が見受けられるが、下総でのレゼントの産駒が13年までしか見られない事から「明治12年」が正しい移送年であると考えられる。
・その後も外山御料牧場で種牡馬として供用され、おそらく同地で死亡した。
・当時の価値観の違いなのか、それともただ単に見栄えが悪かったのかは不明だが、米国からやってきたレゼント号は残念ながら表舞台で活用される事が無く歴史から消えていった。
■遍歴
・1871(M4):アメリカで産まれる。【資料1】
・1877(M10)4月:宮内省が購入し、取香種畜場に繋養された。【資料3】
・1877(M10)7月:下総牧羊場に移送された。【資料3】
・1879(M12):岩手県の藪川牧場(外山御料牧場の前身?)に移送された。【資料4】
・その後は不詳
■資料
【資料1】輸入種牛馬系統取調書
・https://dl.ndl.go.jp/pid/842117/1/11
大蔵内務農商務三省において購入の分
種類:乗用
性別:牡
毛色:鹿毛
産地:アメリカ
名称:レゼント
購入価格:750ドル
輸入年:明治10年
繋養地:明治14年(*)岩手県へ貸与
*明治12年の誤りか
【資料2】輸入種牛馬系統取調書
・https://dl.ndl.go.jp/pid/842117/1/63
備考
・1871年即ち明治4年5月7日産
【資料3】富里村史 史料集2(近・現代編)
・https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/9641696/1/377
同(洋種)牡ラングデン、アマドール、レセント、ラルストン
10歳4月24日牽着ランクテン同年7月5日牧羊場へ渡す
跡3頭同月13日同場(牧羊場)へ渡す
【資料4】岩手県産馬誌
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/993611/1/66
明治12年に米国トロッター種牡レゼント号及び農用種サムクライド号を貸下げされ、前記牧場(藪川牧場)に繋養せり。