■1.雉子橋御厩時代(明治2年~明治5年)
明治4年に明治政府により雉子橋御厩(きじばしみまや)にアラブ馬がいる事が確認された。雉子橋御厩とは江戸城北側の雉子橋付近に敷設された徳川幕府の厩で、おそらく以前引き取られた御用馬3頭はここで養育されていたと思われる。集合場所としては最適と言えるだろう。
ではここに集めたのは一体誰なのであろうか。具体的には不明であるが、おおむねカズヌーヴが集めたものだと考えるのが妥当なところであろうか。彼が集めたのであれば誠にその功績は大きいものであると言えよう。
ナポレオン三世の贈答馬関係については、この雉子橋には最低でも下記の5頭(4頭と産駒1頭)は集まっていたはずである。
(1)高砂
高砂はかなり早い段階で雉子橋御厩にいた事は間違い無い。明治3年にここ雉子橋で吾妻を出産するからである。
(2)吾妻
高砂の産駒。雉子橋御厩で生まれた。
(3)老松
雉子橋に居たことは確かなようだが到着年は不明。
(4)巴黎
「巴黎は何故か散逸されなかった」と記述された書類がある。明治4年に雉子橋にいたとする記述もあるため早くにこの地に居たことは確かであろう。
(5)チチアラビヤ
明治4年に宮城に移送されるため、この時期に発見され繋養されていたはずである。
■2.雉子橋時代の資料は不存在
さて、彼らはここ雉子橋においてどのような繁殖を行ったのだろうか。これが残念な事に資料が一切見つかっていない。馬のリスト?そんなものは無い。繁殖成績?わかるわけ無い。一切不明なのである。カズヌーヴの建白書が出されたのは明治6年であるし明治の初年ではまだまだ血統管理の意識は希薄であったのであろう。
■3.雉子橋時代のその他の動き
また、この雉子橋時代においては何件かアラビア馬を購入している事などが書類から確認出来る。結構すぐに地方に送ってしまう事も多いため雉子橋にどどまったかどうかも不明な馬も多く、そもそも名前も付けられていないのでそれぞれの馬名の比定や行方を追うのは非常に困難であろう。
(1)ハーフルブランデより8歳牡を購入
明治4年に仏人ハーフルブランデよりアラビア牡馬1頭を購入した。購入に際して現状の種馬の管理状況が記されており、これは情報の少ない雉子橋時代における貴重な資料であると言える。「牧畜掛は3頭の馬を所有していだけど2頭は陸羽地方に送ったよ。残りの1頭は性格悪くて牝馬に嫌われてるよ。色情絶念のこのダメ馬は売り払うからハーフルブランデ氏のこの馬買ってちょうだい」と書かれているようだ。(「駄掛」は「交配」という意味だろうか)
<参考資料>
■農務顛末 第4巻
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/2468750/1/13
辛未(注:明治4年)3月27日 牧畜掛地理大佑由良守應
アラビア父一疋 8歳 栗毛5尺
代金400両
右は横浜在留仏国ハーフルブランデ所持致居候処神奈川県官員にて買請候積り致候由然る処当掛於て父馬3疋有之候内2疋は陸羽地方へ駄掛に差遺し残りの1疋有之分は昨年までは壮健にして駄掛間に合候処今春に至て如何致候哉色情更に不催牝馬の傍らへ牽寄候とも絶念の体に相見へ申候左候迚この侭種馬無之候では数頭の牝馬追々出産の後空しく差置候では御不益に付き書面の父馬至急御買入相成候様致度存候将た色情絶念の種馬は精々売払代金返納に仕候依之至急相伺申候也
*「迚」=「とても」
(2)沼津兵学寮より引き渡し
明治5年に静岡で発見された2頭の牝牡の親子が沼津兵学寮より引き渡された。この母馬はナポレオン三世の贈答馬であるとの事なので、ひょっとしたら「老松(と武蔵野?)」である可能性も考えられる。(若紫は星栗毛なので違うと見るべきだろう)
<参考資料>
■農務顛末 第4巻
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/2468750/1/15
4月19日 目黒権少属
亜剌比亜牝鹿毛 1疋
同間の子牡馬鹿毛 1疋
右は種馬の見込みを以て先般陸軍省へ御掛合の上、沼津表出張兵学寮より当寮へ引き渡し相成り候。亜剌比馬2疋同出張所より佐藤源吉他1人を差し添え一昨17日雉子橋厩へ牽着し候。尤も道中入費の儀は追って取り調べつかまつるべく候よってこの別紙相添えこの段申し上げ置き候なり。
壬申(注:明治5年)4月
■3.内藤新宿試験場時代(明治5年~明治10年)
明治5年に内藤新宿試験場が設立された。文明開化による新しい農産物、育成方法を試作するための農場であり、現在の新宿御苑にあたる。どちらかというとメロンや洋ランなどの植物系がメインとなっており、牧畜はそれほど熱心では無かったのではないかなとも感じられる。
雉子橋に繋養されていた馬や牛は全てこの内藤新宿試験場に移送された。
<参考資料>
■大日本実業学会高等農科講義畜牛改良論
https://dl.ndl.go.jp/pid/838389/1/54
明治5年府下内藤新宿に農事試験場を設置し従来雉子橋御厩に飼養せる牛馬羊豚を之に移す
■4.内藤新宿試験場時代の資料もナシ
さて、彼らはここ内藤新宿試験場に移ったのち、どのような繁殖を行ったのだろうか。これも残念な事に資料がほとんど見つかっていない。ヽ(`Д´)ノ
農務顛末という本の第5巻には「内藤新宿試験場」についての項目があり、217ページにもわたってその内容が記載されているのだが、そのほとんどは「果実」や「養蚕」についての記載となっている。「家畜」についてはたった2ページでありしかもそれは牛についての内容である。馬は本当にここで繋養されていたのかと疑ってしまうほどにその記述が見られない。
<参考資料>
■大日本実業学会高等農科講義畜牛改良論
https://dl.ndl.go.jp/pid/838389/1/54
(明治6年)5月9日内藤新宿試験場に飼育せる牛馬等の日記を編集する事を始む
その日記…読ませて…。
■5.出産表
それでも内藤新宿試験場では「出産表」という資料が若干数残っており、これは繁殖成績が書かれている資料なのであるが…、残念な事にこの資料にもきちんとした馬名が書かれていないのである。どうも内藤新宿試験場内では各馬を番号で呼んでいたようで、現在知られている馬名と突合することがほとんど不可能なものとなっている。
<参考資料>
■農務顛末 第4巻
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/2468750/1/40
明治8年5月馬出産表
牝:第32号鹿毛雑種 出産日5日 牡駒一
牡:南部雑
牝:第15号青毛南部種 出産日8日 牡駒一
牡:第2号亜剌比亜種
牝:第11号鹿毛南部種 出産日11日 牡駒一
牡;第2号芦毛亜剌比亜
牝:第14号鹿毛南部種 出産日18日 牡駒一
牡;同 南部種
牝:第5号鹿毛亜剌比亜種 出産日20日 牝駒一
牡:第2号芦毛亜剌比亜種
合出産駒5頭 牡4牝1
このような感じとなっているため、結局のところ内藤新宿試験場では何が行われていたのか、その全貌は未だ明らかとなっていない。
■6.取香種畜場の完成
明治8年に取香種畜場という牧場が完成した。場所は佐倉牧にある「取香牧」(千葉県成田市)の跡地である。
この広大な敷地で馬の飼養が始められたものの、しかしながら明治8~9年においては洋種の馬は内藤新宿試験場から移動させる事は無かったようだ。洋馬の試験研究や実態把握には今しばらくの時間が必要だったのかもしれない。
<参考資料>
■明治前期農政史の諸問題
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/1232022/1/83
新宿試験場
・内種の馬:(8年)39頭(9年)23頭
・外種の馬:(8年)14頭(9年)17頭
取香牧
・内種の馬:(8年)85頭(9年)392頭
・外種の馬:(8年)0頭(9年)0頭
■6.取香種畜場にサラブレッド来たれり
そして明治10年。アメリカよりサラブレッド牡馬4頭と牝馬4頭が輸入された。繁殖の環境はついにここで整ったと言ってよいだろう。
<参考資料>
■宮内省下総牧場における競走馬の育成調教
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/1067254/1/16
輸入年:明治10年
(サラブレッド牡)・レゼンド ・ブラドレー ・モンマース ・ローストン
(サラブレッド牝)・ヂェシーフォールド ・クララマクゲレー ・クレー ・バランス(来日年に死亡)
ちなみにこの輸入された8頭は、そのうち7頭が「父の父がレキシントン」という非常に偏った血統構成でアメリカは馬を日本に寄越してきている。さらにそのうち2頭はレキシントンのインブリードまで施し済みである。これでどうやって繁殖しろと言うのだろうか。
事実日本初のサラブレッド産駒である第二ゼシーフォールド(父ブラドレー、母ゼシーフォールド)はレキシントンの3×3×3×4というなかなかヤバい仕上がりとなっている。
<参考資料>
■netkeiba.com 第二ゼシーフオールド https://db.netkeiba.com/horse/ped/000a01c12d/
■7.終着の地・取香種畜場時代(明治10年~)
明治10年以降、内藤新宿試験場に繋養されていたアラビア馬も順次取香種畜場に移送されていった。安住の地を得た彼らはそのほとんどは終生までこの地で暮らす事となる。
同地に到着した高砂はすでに20歳近い年齢となっていた。ここに来るまでにあまりに無為な日々を過ごしてしまった高砂は明治12年と明治15年にそれぞれ仔を産み、明治20年に老衰にて死亡。その激動の生涯を終えた。その他のナポレオン三世の贈答馬たちは残念ながらその血は後世に残らなかった。
26頭の物語はこれにて完結である。
■8.牧場のその後
取香種畜場の歴史は下記の通り。
・明治8年:取香種畜場完成
・明治13年:下総牧羊場と合併し、下総種畜場となる。
・明治18年:宮内省管轄となる。
・明治21年:下総御料牧場となる。
・昭和44年:同地に成田空港が建設されるため栃木県に移転。高根沢御料牧場となる。
最終章:完