飛花

明治5年に寄贈された。北海道における洋種繁殖牝馬のさきがけとなった

函館市中央図書館:デジタル資料館より

( http://archives.c.fun.ac.jp/fronts/detail/photos/5807c56d1a5572ad4600057c )

※【資料8】にて当該馬と同定

馬名:飛花(ひか?)

別表記:牝馬一号(ひんばいちごう)

性別:

父:不明

母:不明

毛色:

生年:1865年(慶応元年)

死年:不明

産地:アメリカ

■解説

・明治5年に川村純義が横浜で購入し開拓使に寄贈した月毛の牝馬。血統は不明だがアラブ馬であったようだ。【資料1】

・日本馬事協会の「70年のあゆみ」によればこの馬はケプロンが連れてきたという事になっている。川村純義がケプロンから買い取ったのかもしれない。

・他の資料では「明治2年に英国大使パークスから購入した」という説もあるようだ。また、この説においては馬名を「飛火」と明記している。いずれにしても説としてはちょっとあり得ないかなとは思うのだが、この馬は「ひか」と読むのではないかと考えるに足る貴重な情報であると言えよう。【資料2】

・また一部の資料では「シユヒクワ」と書かれており、「ヒクワ(飛花)」の前につく「シュ」は一体何なのか。謎である。【資料10】

寄贈後、七重官園にて繁殖牝馬となった。…と多くの書物に書いてあるが、実際にはある程度の期間、東京第三官園で繋養されていたようである。第三官園の帳簿に月毛のそれらしい洋種牝馬が記載されているためである。【資料4】

・ちなみにこの第三官園の帳簿には栃栗毛の洋種牝馬も記載されているのだが、この馬が何者なのかは一切不明である。

・明治8年、北海道の七重官園に移送された。【資料2】・【資料4】

・明治14年の明治天皇巡幸の日誌においては「牝馬一号」と明記された飛花と思われる馬が記載されている。当該牝馬一号と(正体不明の)牝馬三号の2頭を使って函館大経による騎乗天覧が行われ、函館大経は金10円を賜った。【資料5】

・確認できる産駒は頭。牝馬ばかりである。【資料

・明治20年に園田牧場に貸与。同地で死亡したものと考えられる。明治24年の同地の現況一覧には洋種牝馬の記載が見られないため、園田牧場での生活はそう長くはなかったようだ。【資料9】

注:この七重の施設は名前の変遷が非常に激しいので、記事内では総称である「七重官園」で統一させていただきます。

江戸時代:ガルトネル農場

明治4年:七重開墾場

明治8年:七重農業試験場

明治9年:七重勧業課試験場

明治12年:七飯勧業試験場

明治12年:七重勧業試験場

■遍歴

・1865(K1):ニューヨークで産まれる。【資料2】

・1871(M4):ケプロンと共に日本に来る?【資料2】

・1872(M5):川村純義が(①横浜の人 or ケプロン or パークス)から、(①購入した or ②貰った)。【資料1~3】

・1772(M5):開拓使に寄贈され、東京第三官園で繋養された。【資料4】

・1875(M8):七重官園に移送された。【資料】・【資料

・1878(M11):「七重ノ郷(牝)」を出産。(父ドンジュアン)【資料7】

・1879(M12):七重ノ緑(牝)」を出産。(父ドンジュアン)【資料7】

・1881(M14):明治天皇が巡幸。箱館大経が騎乗天覧を行った。【資料6】

・1882(M15):「アメリカ(牝)」を出産。(父ポップエークルス)【以下全て資料

・1883(M16):「ワシントン(牝)」を出産。(父ポップエークルス)

・1885(M18):「第二キングスリー(牝)」を出産。(父キングスレー

・1885(M19):「第二アドミラール(牝)」を出産。(父ジユニオルアドミラール

・1887(M20):園田牧場に貸与した。

・その後ほどなくして同地で死亡したようだ。

■資料

【資料1】十勝馬産史

https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/1256616/1/34

明治5年河村海軍卿が米国人某より横浜において買入れ、寄贈したアラブ月毛牝馬飛花号ならびに12年米国前大統領グラント氏寄贈の米国産牡馬「ホツプエークルス」号の2頭であって、これは七重試験場において繁殖用に供しいずれも良好の成績を収めたのである。


【資料2】日本馬事協会 70年のあゆみ

https://www.bajikyo.or.jp/pdf/70year.pdf

(94ページ)

1865年にニューヨークで生まれた流星月毛の純血アラブの雌馬で、ケプロンが日本に連れて来た。飛花は明治8年に開拓使の七重官園へ入り、9年と14年の明治天皇七重行幸の折に大経の騎乗で天覧馬術に供された。明治5年11月に函館大経が開設し、函館~森間を路線馬車で結んだ馬車会所に、神戸という雌馬がいた。富士越と同時に渡道したと思われる。1861 年イタリア産、鹿毛粕と記録される貨車用馬で、7 年に七重官園へ移り、17 年に死亡した。


【資料函館大正史郷土新聞資料集 2

https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/9490660/1/91

明治2年黒田長官は川村海軍卿から名馬飛火号を贈られ五稜郭につなぐ。これが洋種繁殖牝馬の元祖である。これが我が国鉄道敷設の大恩人英人ハルリパークス(公使になる)の愛馬を貰ったもの。


【資料4】開拓使官園動植品類簿

https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/1911322/1/17

開拓使笄橋三番官園洋種畜類

牡種馬貳疋

・丈5尺2寸5分 毛色黒鹿毛後足縞爪(*1)

・同5尺5寸 同青毛(*2)

牝種馬貳疋

・丈5尺 毛色月毛後足一白(*3)

・同4尺5寸 同星栃栗毛(*4)

*1:ドンジュアン *2:ブラッキプリンス *3:飛花 *4:正体不明


【資料明治前期産業発達史資料 第5集

https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/2468353/1/222

7年 函館支庁馬車用馬18頭を移し耕馬となし、内伊太利産牝馬1頭(*1)は牧馬となす。

8年 東京青山試験場より米国産牝牡各1(*2)を移す。(中略)洋牡馬1頭(*3)耕馬2頭病にて斃れる。洋牡馬1頭(*4)札幌に移し種馬とす。

*1:神戸【資料2】 *2:ドンジュアンと飛花  *3:ブラッキプリンス  *4:富士越


【資料明治十四年開拓使函館支庁管内御巡幸日誌

https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/780902/1/12

第二家畜房畜養の牡馬北星「鹿毛粕本場産洋種」、玉蘭「鹿毛五分雑」、紋鼈「同上」、七草木「青毛同上」、牝馬一号「月毛米国産」、三号「流星栗毛本場産洋種」、

(中略)

等を天覧に供す。終わって同場在勤本使御用係函館大経の乗馬(牝馬第一号、第三号)天覧あり、同人へ金拾円を賜う。


【資料7】Hippophile = ヒポファイル (54);2013・10

七重官園の馬匹改良事業(田島芳郎)

https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/11694796/1/14

1号 七重ノ郷   流星栗毛 11.5.25生 父ドンジュアン 母飛花

2号 七重ノ緑   流星栗毛 12.4.28生 父ドンジュアン 母飛花

3号 亜米利加    鹿毛   15.3.25生 父ポップエークル 母飛花

4号 ワシントン   鹿毛   16.5.6生 父ポップエークル 母飛花

5号 七重      流星栗毛 17.4.21生 父ドンジュアン 母七重ノ郷

6号 (第二)ドンジュアン  星栗毛  18.3.14生 父キングスリー 母七重の緑

7号 (第二)キングスリー  星栗毛  18.3.20生 父キングスリー 母飛花

8号 第三ドンジュアン 星鹿毛 19.4.15生 父JA  母七重の緑

9号 第二アドミラール 河原毛 19.4.16生 父JA  母飛花


飛花号は流星月毛、1865年(慶応元年)米国ニューヨーク州産。明治8年5月7日東京より移入。明治20年6月園田実徳に貸与。園田牧場(七重官園付属桔梗野牧馬場を払下げ)で死亡したものと思われる。


【資料8】元開拓使七重勸業試験場写真説明/大正15年(下記宮内庁公文書サイトで検索)

https://shoryobu.kunaicho.go.jp/Kobunsho

[9/16]

第弐拾壱図

牧牛事務所前の広間にて撮影せしものにして左側の牝馬月毛飛花号、当歳は七重緑号、中央は北星号にして右端は七重ノ里号。牧牛事務所は国道西側に建設せり。


【資料9】牧畜雑誌(60)

https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/11209647/1/10

目下牛馬の現数左のごとし(※明治24年7月の記事)

(省略)

・種馬2頭

純粋アラブ種(ハンガリー国より宮内省にて購求せられたる馬匹3頭のうちの1頭なる金色サリフ年齢5歳)

ハンガリー種

・耕馬10頭(雑種馬)

・和種牝12頭

・一回雑種 牝16頭、牡14頭

・二回雑種 牝9頭、牡4頭

・三回雑種 牡2頭

計69頭


【資料10】陸軍獣医事(33/34)

https://dl.ndl.go.jp/pid/1525728/1/45

乗用種牡馬初蕾は明治22年3月8日北海道庁種畜場に産し、身幹5尺1寸5分を有し毛色は鹿毛にして明治28年京都に開設したる第4回内国勧業博覧会に出陳してすこぶる内外人の喝采を博し、特に両度まで天覧の栄を賜りし逸物なり。父は明治19年輸入せる米国産乗用種「ジユー、ビー、フエルグーソン」にして母は乗用種華聖頓なり。華聖頓の父は有名なる乗用種「ポツプエークルス」にして母は乗用種「シユヒクワ」なり。之れ亦た名馬の称ありし。