投稿日: Mar 25, 2010 11:10:36 PM
WWの特徴の一つに、先生が教室の中にたくさんいることもあげられます。
もちろん、教師はいます。他にも、たくさんの友だちと、本物の作家たちが本や雑誌や新聞の形で存在しています。教師の価値は揺るぎませんが、友だちやメンター・テキスト(師匠ないしモデルにできる本や文章)の存在も大きいです。その意味では、基本的に友だちとはいつでも相談できる(ピア・カンファランスができる)状態が望ましいですし、教室の中に充実した図書コーナーがあることも望まれます。
しかし、何といっても子どもたちに教えるのは教師です。
従来の教え方のように、教科書を申しわけ程度に使うような教え方とは違います。
多様な形で教えます。主には、
① ミニ・レッスン (先生のページのミニ・レッスン集を参照)
② カンファランス
③ 共有の時間のファシリテーション (先生のページの共有の時間のバリエーションを参照)
などです。
時間的には、子どもたちが「ひたすら書く」時間が長いのと並行して、カンファランスをする時間が一番長くなります。ですから、オーストラリアではWWのことをカンファランス・アプローチといっていた時もあったぐらいです。(その意味では、これこそがWWの最大の特徴と言えなくもありません。)
カンファランスは、「相談に乗る形での話し合い」という意味です。主役は、子どもです。その意味では、教師に求められているのは、聞き出す能力です。
従来の作文指導は、子どもたちは書くことなどもっていないから、教師が題材を提供してあげないと書けない、という前提に立っていたと思います。しかし、WWは子どもたちは書くたくさんのこと/表現したいたくさんのこと/メッセージとして発信したいたくさんのことをもっているという前提に立っています。ですから、教師の役割は、それを引き出してあげる役ということになります。
ほめ上手というのも、求められる役割です。まずは、子どもたちが書いている作品のいいところを見つけて一つ、二つは指摘するところからスタートするとカンファランスはスムースにいきます。
そして、たとえ直したいところ/間違っているところをたくさん見つけても、それらを直すことはしません。自立した書き手を育てることが目的なのであれば、自分でそれらを直せるようになっていく必要があるからです。だからといって、間違いや内容的に弱いところを修正しなくていいということではありません。「作品をよくすること」が目的なら、全部の直してしまっていいわけですが、「自立した書き手を育て」たければ修正点は一つか、多くて二つしか指摘しません。しかも、本人が主体的に直すようにもって行く形で。教師が言ったとおりに直していては、「自立した書き手」にはなれませんから。
(つづく)