京都府亀岡市の砥石職人

投稿日: 2016/09/12 5:02:15

砥石づくりの職人・土橋要造さん

2016年8月25日(木)に放送されたテレビ東京の番組「和風総本家スペシャル・世界で見つけたMade in Japan」で砥石をつくる土橋(つちはし)要造さん(職人歴35年、65歳)が紹介されています(土橋さんのフェイスブックはhttps://www.facebook.com/y.tsuchihashi/aboutでご覧いただけます)。ご存知のように砥石は、刃物を扱う料理人や大工さんの必需品ですが、現在は人造の石で作られるものが多く、天然の石からつくる土橋さんのような職人はもう僅かしかいないそうです。

材料となる石の切り出し

土橋さんの砥石づくりは、自宅兼作業所近くの丸尾山に軽トラックで向かうことから始まります。車を降りてから急な山道を徒歩で30分ほど分け入ると、大人二人が並んで入れるかどうかの洞窟の入り口が待っています。この洞窟の中を進むことさらに5分、ようやく少し広い石の採掘現場に到着です。土橋さんによれば、そこは2億5000万年前、南太平洋の深海底で千年に1mmずつ堆積したものが、地球のプレート移動で1年に数センチずつ日本に近づき、造山活動によって地表に隆起した世界で唯一の地層とのことです。その石は、きめが細かく、粒子が均一な粘板岩という種類ですが、柔らかく脆い性質があり、これは大きく切り出す上での難点となります。

土橋さんは「割らないように大きく取り出さないとダメ。大きめの製品の方が使いやすいし、商品価値も高い。石を大きく切り出す必要がある」と話されており、そこが腕の見せ所でもあるようです。その方法は、岩の表面に矢といわれる先端が尖った鉄製の棒を2本(長さはおおよそ40㎝と60㎝ぐらいです)、楔としてハンマーでたたき込み、頃合いを見て、2m近い鉄棒を梃にして石の固まりを落とすというものです。その際「千年に1mmずつ堆積したものなので、こことここは質が全部違う」と地層を読み、石が崩れない位置を見極めて矢を打ち込んでいきますが、これは、何十年とこの石と向き合ってきた経験があってこその技でしょう。

40㎝四方、厚さ30㎝ぐらいの石を取り出した(叩き落とした)時、土橋さんはニコニコしながら「この瞬間が一番楽しい。割って良い顔が見られた時がね。その時に例えば『東京の料理人さんに向くな』とか『長野の宮大工さんに向くな』とか、そういう具合に頭に描いてますね。職人さんの顔を」と話されています。

こうして採掘された石の固まりは、滑車のついた籠に入れ、高さ1.5mほどに張られたロープにぶら下げて地上30㎝ぐらいのところを滑らせていくという、100年以上前から変わらない方法によって駐車していた軽トラックまで運ばれます。

石を砥石に加工するまで

土橋さん宅の作業所では、運び込んだ石を垂直方向に回転する刃にあてて砥石の形に切断してから水平の円盤が回転する研磨機に押し付けて磨きます。その後、台の上に置き、3㎝×3㎝角で長さが6㎝ほどの砥石を手に持って、製品になる砥石が均一に滑らかになるまで丁寧に磨いていきます。仕上がったかどうかは、砥石を頬にこすりつけて確認するのですが、まるで出来上がった砥石に頬ずりしているような映像です。土橋さんは「ツルツル具合を、仕上がり具合を。やっぱり頬が敏感ですよね。(刃物を研ぐ際に使う砥石は)職人が使うものなので、最高の状態で仕上げて、されてる仕事が最大限の力を発揮できるように(作っている)」とおっしゃいます。

土橋さんの苦難の時代から

京都府亀岡市は鎌倉時代から天然砥石の一大産地でした。かっては100軒ほどあった砥石工房も人造砥石の登場で昭和40年代から徐々に衰退。土橋さん(25歳時)がこの道にはいったのは、そんな砥石業が下火になり始めた頃、父親である三代目の正次さんと共に、二人で細々と砥石を作り続けました。2000年代に入り、時代の荒波に襲われ、父と歩んだ砥石作りが危機的状況に。

土橋さんは、当時を振り返って涙ぐみながら「本当に辛かったですね、本当に。砥石というのはね、ほぼ大工さん用、建築関係が多かったんですよ。建築様式が変わりまして、今はプレカットとかハウスメーカーとか。ほとんど大工さん、鉋けずりとか鑿とか使う仕事がないんですよ。13、14年前ですかね。もう売り上げがガタンときて」どれくらい減ったんですかという問いに「もう何割とかじゃなく、ゼロに近くなりました」砥石が全く売れなくなり、家には在庫の山が。「このままでは苦しいから他に仕事しようかと考えたこともありました。農業をしたり。ここ丹波は松茸の産地なんですよ」慣れない農業や松茸の収穫で生計を立てる日々。さらに追い打ちをかけるように、父正次さんが病気で他界。「辛かったですね。本当に。親父に申し訳ない気持ちもありますし。砥石って掘れば必ずあるもんじゃない。一年も二年も三年もね。全く一銭にもならない時もある。そんでまあ、発破で掘り進む時もあるけど、その時の火薬代が無いから、親父はいろんな所に仕事に行って、稼いできて、また採掘したり、そんな苦労を見てますので。だから、このまま終わらせたらいかんなって・・・、ありましたね」父が守ってきた砥石作りを絶やすわけにはいかない。その一心で土橋さんは石を掘り続けたのです。製造の傍らホームページを作り、ネット販売を行うなどの努力を続けた結果、徐々にその良さが認められ、7年ほど前からは再び専業に・・・。そして、いまや世界中でものづくりにこだわる職人たちに愛用されるまでになったのです。

砥石の海外愛用者によるお話

番組では、ポルトガルの首都リスボンで土橋さんの砥石を愛用してギターをつくるオシュカル カルドーゾさん(職人歴30年、56歳)が登場し、次のように話されています。

「もう30年ぐらい愛用しています。イタリアでギター作りの修業中に日本人と知り合い、彼に買ってきてもらったんです。一度使ってしまうと、他の物がもう使えません。修業を終えてポルトガルに戻った時、父もこの道具に感激して、それから他の物は使わなくなりました。これ無しでは仕事はできないですね」

因みにポルトガルギターは通常の2倍、12本の弦が二重に張られており、ファドという哀愁のあるポルトガルの民族歌謡の演奏に欠かせない楽器だそうです。オシュカルさんは数々の有名奏者のポルトガルギターを手づくりしてきましたが、特にこだわっているのはギターのネック部分で「ネックは指をスライドさせる部分なので、滑らかさが重要になります」として、ネック部分を鑿(ノミ)や彫刻刀を使って滑らかに成形したり細かい装飾を施したりします。そんな刃物の手入れに欠かせないのが、土橋さんが作った「丸尾山蔵砥」の印字が入った砥石で、オシュカルさんは日本製の砥石を三つも持っているそうです。

「ポルトガル(をはじめヨーロッパ)では刃を回転させて研いだり、横に動かして研いだりします」(土橋さんの)砥石で研いだ鑿で腕の毛を剃って、その切れ味に「うーん、いい感じです」

ポルトガル製の砥石を奥から出してきて「もう全然使っていないのがこれです。こちらの砥石は油を付けて研ぐもので日本の物とは質が違います。よくは分かりませんがこの砥石で研ぐと、日本製で研いだ時のようなシャープさが出ないんです。日本の砥石は、キメの細かさや均一さが別格と思います」

ポルトガルの一流ギター職人も賛辞を惜しまない、天然砥石特有のキメの細かさ、これがMade in Japanの証です。

オシュカルさんの感想とメッセージ

・土橋さんの砥石作りにたいするオシュカルさんの感想

「(洞窟内の石切り現場を見て)もうだいぶ掘ってあるんですね。そんなに昔の石なんだ。日本に一ヶ所しかない石がポルトガルに来るっていうのは不思議ですよね。非常に興味深かったです。私たち使う側が最大限、力を発揮できるようにという想いで作られている、と言っていたのが印象的でした」

・オシュカルさんから土橋さんへのメッセージ

「こんにちは。私はポルトガルでギターを作っている職人です。土橋さんが丹精込めて採った石(磨き上げた砥石)を遠い土地で私が使っていることが不思議です。まさかあんな洞窟の中で、大変な作業の末に採れる石だとは想像もしていなかったです。あなたの砥石のお陰で私はギターを作ることができます。これからも安全に、そして体に気を付けて砥石を作り続けてください。心から感謝しています。素晴らしい砥石をありがとう」

土橋さんの言葉

オシュカルさんのメッセージに応えて「いやー、ありがとうございます。こうやって使っていただいて本当に嬉しいです。いやー、これが(砥石)がないと困る人がいるので、体力、気力の続く限り掘り続けて良いものを残していきたい。そして、皆さんに使っていただきたいと思っております

番組末尾のナレーション

私たちが忘れかけていた日本を見つけてくれた異国の地の人々。使い手を思いやり、より良いものをつくる。そんな世界に誇れる日本の職人さんの魅力を海外の人々がまた気付かせてくれました。(番組の内容を前後させたり、要約した箇所があります。また、文中のカッコ内は、私の判断で補足したものですが、これらも含めて聞き違いや誤解などありましたら、ご容赦のほどお願いいたします。会員№102 中村記)