投稿日: 2017/07/20 12:41:37
テレビ東京が平日の夕方4時54分から5時45分まで放送しているその名も「ゆうがたサテライト」という番組をご存知ですか。その2017年7月12日(水)の放送で、「独自路線が」カギ ″百貨店″が百貨店を救う!?と題して日本百貨店の活動が紹介されています。
(日本百貨店おかちまちは、JR東日本の秋葉原駅と御徒町駅とを結ぶ高架線下の中ほどにあります)
この放送では、まず東京都台東区にあるその店舗の一つ「日本百貨店おかちまち」を訪れ、鹿児島県南九州市の木原製作所による伝統工芸品である錫製花小皿、群馬県桐生市の松屋畳店による畳製のブックカバー、和歌山県海南市の高田耕三商店による棕櫚たわし、東京都江戸川区の篠原風鈴本舗による江戸風鈴の映像が流れ、職人手作りの知る人ぞ知る逸品だけを販売する様子が紹介されています。
また、ひっきりなしに来店する客からは「赤べこは普通赤だけど、青いものがあったり、こんなものもあるんだとか思わず手を出したくなるものが多い」とか「厳選されたものが集まっている感じがする。どれも良いモノばかり」といった声が聞かれます。
日本百貨店は2010年のオープン以来、右肩上がりの成長を続け、10店舗合計の年商が約10億円に上りますが、この仕掛け人が、これまで全国から二万点以上の逸品を買い付けている鈴木正晴社長(42歳)です。社長による「作り方とか作り手さんの想いに僕らが共感して、これを一緒に売っていきたいなと思ったものばかり並んでいますね」というお言葉から、買い付けの基準がうかがえます。
鈴木社長、もとは大手商社で海外ブランドを扱うエリート商社マンでしたが、東京に一人しかいないブリキ職人・三幸製作所の柳沢総光さんとの出会いが、日本百貨店を創業するきっかけになりました。社長からは「跡取りがいるのかなと思ってその話をしたら『俺の代でこれ全部捨てるんだ。辞めるんだ』とおっしゃられたんで、そういう(モノづくりを続けてもらう)環境をつくるのは商売人としてできることだと思った」とのことで、日本のものづくりを守りたいという一心で日本百貨店をおつくりになったことが分かります。
(創業のきっかけになった柳沢総光さん作のブリキのおもちゃは「日本百貨店おかちまち」入り口直ぐのコーナーに展示されています)
放送は次に、鈴木社長が型染めという伝統的な技術で雑貨をつくる大野耕作さん(41歳)の工房(ボンビン堂)を訪ね、ものづくりのコツについて大野さんと問答する場面に移ります。作業する大野さんの後姿を見つめる社長の優しい眼差しが印象的ですが、商品選びには必ず工房に足を運び、職人の技術や想いも一緒に店に並べようとする姿勢が表れています。
(秋葉原駅近くの「ちゃばら」内にある「しょくひんかん」の入り口付近の様子です)
また、4年前には東京・秋葉原に「日本百貨店しょくひんかん」という食品専門店をオープンしましたが、こちらも東京ではあまり見かけない珍しい食品を揃えています。その店内で「今一番の売れ筋は」と聞かれた鈴木社長のお答えは「今といっても、もう1年以上の大人気は『おふ』なんです」。
この愛知県岡崎市の麩屋藤商店が一つ一つ手づくりしている「純手焼たま麩」という大きなお麩は、お吸い物に浮かべると、お餅のような食感になり、ひと月で五千袋も売れているそうです。
(写真にある5㎝間隔の格子表示からも分かりますが「しょくひんかん」の大人気商品の「たま麩」は10㎝近い大きさがあります)
「ここにしかない」という戦略で「しょくひんかん」も大盛況の日本百貨店は、東京駅、サービスエリア、デパ地下などにも出店し、店舗の数を続々と増やしています。
この後、風景は沖縄県那覇市に変わり、アメリカ統治時代の1952年に開店した老舗百貨店「デパート・リウボウ」の企画会議に臨む鈴木社長を映します。店舗企画部高岡義泰部長による「日本の良いものを揃えておくことが、私たちリウボウに来ていただくための一つの方策でもあるし、新しい客にどう訴求していくか、客層を広げていくために日本百貨店と組むことにしたのです」というご発言から社長が来店した目的が分かります
2015年、イオンモールが沖縄県に進出し、さらに再来年には県内最大の商業施設ができるなど、沖縄小売業を取り巻く環境は厳しくなる一方で、新しい顧客の獲得が沖縄小売業の死活問題になってきています。高岡部長の「ますます競争が激しくなる中で、独自の商品を揃えていくことが、勝ち残っていく一つの作戦だと考えています」とのお言葉がこれを裏付けています。
この7月3日、リウボウの閉店後に日本百貨店の売り場の設営が始まりましたが、鈴木社長はその会場で「一通り何でも百貨店さん置いていますからね。例えば鉄瓶といえば、ちゃんと鉄瓶が置いてある。切子といえば切子はある。だけど切子の中でも、これはないとか見たことないとか、そういうものはまだまだ探せばあると思う。それは僕らが日々やっていることですので」とお話しされています。
翌日「日本百貨店おきなわ」がオープン、1フロアの三分の一という大規模な売り場に、青森の伝統的な雑貨や東京の江戸切子など沖縄にはない厳選された五千点が並べられ、そこには日本百貨店創業のきっかけになったブリキのおもちゃも含まれています。鈴木社長は自らその店頭に立って「どうぞご覧くださいませ。いらっしゃいませ」の呼び込みから「焼いているお菓子で、豆を炒ってから焼いているので、すごく豆が香ばしくて美味しい」と、熱のこもった接客をされています。
オープンの初日、売り場には外国人客や若者など、これまでのリウボウには少なかった客層が目立ちました。その買い物客からは「(リウボウ)にはあまり来ないんですけど、ネットで見て来てみたいなと思った」とか「日本古来のものとか懐かしいものとかあって、とくに沖縄であまり見当たらないものが多かったりするので、子供たちに良かったなと思って」といった声が聞かれます。また、高岡部長は「これだけ多くの方に、新しいお客に来ていただいているのは、新しい風が間違いなく吹いているなと思います」とおっしゃいます。
老舗デパートの起爆剤となった小さな百貨店は、これからも日本の逸品を全国に広げていく起爆剤にもなっていくはずです。
「職人のために(と考えてのことですか)?」のインタビューに答える鈴木社長の「そうです。そうです。それしか考えてないです。楽するならもっと楽な商売はあると思うけど、僕が最初に決めたことなので。『つくっている人にきちんとお金を回す』ことをずっと(きちんと)やっていきたいと思う」のお言葉に、本学会の設立理念とも共通するものを感じ、心強い限りです。
(放送内容を聞き取ってまとめましたので、間違いや誤解などありましたら、ご容赦のほど、お願いいたします。会員№102 中村記)