木工家具を製造販売する会社の社長(本社:岐阜県高山市)

投稿日: 2017/12/24 1:59:01

飛騨産業の岡田贊三社長

テレビ東京が木曜日の夜10時から10時54分まで放送している「カンブリア宮殿」というトーク・ドキュメンタリー番組では、作家の村上龍さんがホスト役になって話題の経営者や政財界人を取り上げ、スタジオでインタビューしていますが、ご存知でしょうか。その2017年11月30日の放送では、高山市に本社を置き、木工家具を製造販売する「飛騨産業」の岡田贊三社長(74歳)が出演されています。

番組の大部分は、バブル経済が破綻した後、売り上げが激減して赤字が膨らみ、倒産の危機に瀕した飛騨産業を立て直していく経営改革のエピソードですが、端々に見られる木工や家具にたいする思いは、すべてのものづくりに通じると考え、ご紹介させていただきます。

飛騨地方は飛鳥時代に木工の仕事を年貢にしたほどで、腕のいい職人は「飛騨の匠」と呼ばれ、様々な歴史的な建造物をつくってきました。創業から97年、飛騨産業はそうした伝統を受け継ぐ家具をつくり続けており、例えば、穂高という椅子は、雑誌「暮らしの手帖」の創刊者・花森安治さんにより「4年間、相当酷く使っていまだにびくともしないし、座り心地はいたって快適である」と評され、1969年の発売以来、60万脚を売り上げています。

しかし、飛騨産業の経営はこれまで順調だったわけではなく、バブル経済の破綻後、量販店の安価な家具に押されて売り上げが落ち、30億円もの負債を抱えた時期もありました。この危機を乗り切るために岡田社長が呼ばれたわけですが、当時は、家業の荒物屋を中部地方で10店舗を持つホームセンター・チェーンに成長させ、その経営権を譲渡して悠々自適の生活をしていたそうです。2000年、社長に就任した時の心境については「子供のころから飛騨では飛騨産業は自分たちの誇りのような存在だった。男であれば、その経営を任されたら『よっしゃ』といいたくなる」とおっしゃいます。

飛騨産業の再建にあたってのモットーは、毎朝、社員の皆さんと唱和する「良いことは即実践、悪いことは即やめる。良いか悪いか分からないことはやってみる」です。岡田社長からは「やらずに考えていると、できない理由が出てくる。できない理由は百でも千でも出てくる。時間はいくらでもやる。効果を出せば予算は出すからやれ」とのことです。

家具づくりの基本方針

飛騨産業の方針は、長年培ってきた、木材を蒸して折れないように曲げる技術を生かし、切ってつなぐよりも丈夫で削ることが少ない材料によって高品質の家具をつくることです。この曲木技術の集大成といえるのが、日本を代表する工業デザイナー・柳宗理がザインしたヤナギチェアスペシャルモデルで、46mmの極厚のナラ材を見事に曲げており、他の家具メーカーでは真似できないそうです。また、飛騨産業では、従来の体重を点で支えていたものを面で支えるようにして、腰の負担を軽減する商品も開発しています。一般的に立っている時の背骨の状態が腰には良いとされていますが、セオトEXソファでは、特殊なスプリングで座面を沈みにくくし、背もたれの腰に当たる部分を出してそれに近い姿勢を実現しています。

村上龍さんがクレセント・アームチェアに座った感想は「ぴたって椅子に吸い付く感じ、違和感がない。座り心地がいいのはもちろん、立ち上がりたくない感覚」です。これにたいする岡田社長の「椅子は座り心地が命だから、格好よりも」との答えに村上さんは「(人が椅子に)座った時には椅子を見ないから」と、椅子は格好よりも座り心地が大切という根本的な指摘をされています。また、村上さんの「家具というと最近ではイケアやニトリなど、それなりのコストパフォーマンスを出せる家具が売れている。(他の)国内家具メーカーはどれくらい厳しいのか。どういう客層がニトリやイケアとは違う(飛騨産業の)高価な椅子を購入しているのか」の問いに、岡田社長は「バブル絶頂期の3分の一の生産量になっている。そうした中で、生活を大切にされている人、家具・椅子のマニアのような客もいる。そういう層はマーケット全体の一割ほどいて、そういうコアなマーケットに対しこれだよというものを地味ながら主張していきたい」とお話しされます。さらに村上さんから「先ほどのスタンダードなクレセント・アームチェアと低価格の椅子との違いは」と問われ、岡田社長は「物理的には30年以上はもつ。購入者と一生一緒に暮らしていける。うまくいけば子供や孫まで使えるので、一日あたりで計算すると、コストパフォーマンスもいい」とのお答えです。

経営改革の基本方針

岡田社長によれば「最初に社長を頼まれた時、毎年数億円の赤字が出て、売上げは毎年落ちていく。まあ、滝のように落ちていく状況だった」そうです。ただ、就任する時の思いは「飛騨産業に対する期待や信頼をひしひしと感じた。絶対に立ち上がれる、と妄信のような確信があった。絶対に成功する、としか思わなかった」とのことです。

村上さんの「岡田さんが入っていったとき、専門知識がないまま、どうやって改革をしたんですか」との問いに、岡田社長は「最初の頃は『飛騨産業の家具はやたら高いな。どうしてこんな高い家具を売るんだ。だからダメなんだ』と思っていた。だから『なんか安くできないかと思っていた。ところが、毎日飛騨産業の家具に座って、外出してホテルに泊まると、座り心地が違った。そこで、飛騨産業の家具は違う、と分かった。それを経験したら、意識が変わってどうしてこんなに安く売らなきゃいけないんだ」と答えられています。また、村上さんの「しかし、長期的に財務を見ると、このままでは会社が潰れるかもしれないと」との問いに、岡田社長は「だから何としてでも生産体制を変えなくてはいけないと(それには10年くらいかかりましたが)。これは絶対条件だった。我々の家具製造は『木取り』から『部品作り』までいろいろな工程がある。その中で『部分改善』はできるが『全体改善』つなげるには時間がかかる。意識を持ち続けることが大変だった」と答えられています。村上さんから「生産性を上げると呪文みたいに唱えてもダメじゃないですか」と問われた岡田社長の「それはダメですね。手法を考えていかないと。生産性を上げろというだけでは手抜きをして不良品を作ってしまう。つべこべ言わず一回やってみて、結果が良ければ踏襲して、結果が悪ければさらに改善すればいい。考えているだけだと、永久に一歩が出てこない。ある程度考えたらとにかくやってみるやってみて考えれば、次の手が見えてくる」とのお言葉から、改革の要件が伺えます。

品質保証の基本方針

さらに、これまでの家具の保証は1~3年だったのですが、飛騨産業の家具は10年間の保証付きになっていて、買った商品が普通に使っていて壊れた場合、10年以内であれば無料で修理してもらえます。このようにした背景は、岡田社長が職人に「うちの家具は何年もつのか」と聞かれたところ「30年は楽に持つ」との答えがあり「それでは10年保証にしよう」となったそうです。

このように長く付き合ってもらう家具に、岡田社長はアフターフォローも充実させました。修理工房に入った岡田社長から「彼が当社の修理職人、すごい腕を持っている」と紹介された阿多野弘二(木工一筋44年)さんが、取材日に直していたのは40年間使い続けて座面が壊れた椅子です。すると阿多野さんは、修理前に座面を金づちで叩き、割ってバラバラにしてしまいます。その理由は「1ヵ所しか(修理品は)割れていないけど、叩いたら全部割れた。(ここまで確認しておかないと)1~2年たてば、また他が割れる」とのことで、依頼されたところだけではなく、全体をオーバーホールしているのです。再び組む時は、脚や背もたれにぐらつきが出ないように補強し、修理が不可能な部品は作り直します。ここまで徹底的に修理して費用(代金)は価格の3分の一程度、決して安くはありませんが、新品同様に生まれ変わります。このサービスは客を喜ばせ、感謝の手紙が多数届くのを見て、岡田社長は「涙が出てくる、こんな手紙が届いて。これが彼の励みにもなる」と話されます。

村上さんから「皆さんこまめに修理にも出されるんですね。よく言われるのは、家電でも丈夫なものをつくったら買い替え需要がなくなる、という人もいますが」との問いに、岡田社長は「ほとんど言いますね。私も良く言われる。私はでも違うと思う。家具のシェアをたくさん取っているならば、シェアを伸ばすためにそういう考えになるが、我々の持っているシェアは多くないので、長く使ってもらって蓄積していくシェアを伸ばしたい。100人全員に注目されなくても、100人のうちの一人が強く思ってくれれば十分」とのお答えです。

経営改革の方法1.在庫をなくす

飛騨産業の値の張る家具をお手頃価格で購入できる直営のアウトレットショップ「飛騨の家具館・アウトレット」がありますが、ここに並んでいるのはショールームなどで展示されていた商品です。岡田社長からは「一度店頭に並んだものだから(ここで)お値打ちで買ってもらえたら」とのお話しですが、実は「背に腹は代えられない、とにかくお金に変えよう」と必要に迫られて作った店だそうです。

社長が初めて社内を見回った時、在庫が作業場や倉庫を天井まで埋め尽くしていて「これはえらいことや」と驚かれたそうですが、これはバブル崩壊後も売れ行きに関係なくつくり続けていて抱えた在庫の山だったのです。この在庫を処理しなければと、2002年に作ったのがこのアウトレットショップで、岡田社長によると「チラシを打って旗を立てて大安売りをした。あれで大分さばけた(売れた)」とのことです。

経営改革の方法2.古い商習慣から脱却する

以前の飛騨産業は商品をすべて問屋に卸していたのですが、同じようにやっていては利益が上がらずジリ貧になってしまうので、岡田社長は中間マージンを省くべく小売店との直接取引に動きます。しかし、小売店には問屋との長い付き合いがあり、中々承諾してもらえませんでしたが、これがないと会社はもたないので「ひたすらお願いしてくれ。100回お願いに行ってくれ」と、粘り強く交渉して実現させました。これを機に岡田社長は在庫を持たないビジネスを目指して生産体制も変えます。つくれるだけつくっていたそれまでのやり方を改め、注文が入った分だけ作る受注生産に切り替え、倉庫や工場から在庫を無くしました。岡田社長によれば「倉庫料だけで月300万円以上を払っていた。これがなくなったのは大きかった」とのことです。古い商いと決別し、利益が出る体質に変わった飛騨産業は、直営店8店舗、直接取引する小売店は全国で300店にまで広がっています。

経営改革の方法3.廃棄材料を有効活用する

岡田社長が生産体制に続いて取り組んだのはそれまで廃棄されていた材料を有効に活用することでした。そのきっかけは、やはり社内を見回っていた時にまだ使えそうな大量の木材が焼却炉の前に山と積まれているのに出会ったことです。「会社が今大変なのは分かっているだろ、何故こんなに木を捨てるんだ」という岡田社長の問いに「社長、節が入っているじゃないですか。節が入った木は家具には使えません」との答え、少しでも節が入った家具は不良品、これが家具業界の常識だったのです。

木に節のあるのは当たり前、だから木の無駄使いを多くやっていた。それは大変もったいないし、経営上も困っていた。これを見過ごすわけにはいかない」岡田社長による「前例がないなら作ってしまえ」の指示に反発したのは、表面に節のある家具など考えられなかった当時の職人たちでした。「何故こんなことやるんだ。節の木材を捨てるな、とグダグダ言って」という抵抗に会いながらも、節のある家具の製造を推し進めます。そして、2001年、世に送り出したのが節をデザインの一つとしてとらえ、より木を身近に感じられるイメージを打ち出した森の言葉シリーズです。これは「わざと節を入れるのがいい。味がある。面白くて好きですね。今まで隠していた部分を出すのがすごい」と客の評判になり、業界の常識を破る商品として、年間8億円を売り上げる大ヒットになりました。

経営改革の方法4.職人の技術を共有化する

さらに岡田社長は一部のベテラン職人に独占されていた仕事を見直します。例えば、丸く曲げられた椅子の背もたれを均一に磨くのは難しく、担当できるのは二人の限られたベテラン職人だけで、彼らが休めばラインも止まっていました。以前のベテラン職人は「まだ早い」と言って若手にはやらせなかったのですが、岡田社長はそうした状況を打破して、ベテランが持っている知識を素直に教えるようにしたのです。今では多くの職人がいろんな作業をできるようになって生産性も上がり、職人の意識も会社の体質も変わりました。職人からは「初めは『この野郎』と、失礼だけど。今になって考えれば良かった」との感想です。

技術を伝承する人材の育成

飛騨産業は、未来に技術を残すために「飛騨職人学舎という常識破りの職人学校をつくり、木工人材の育成を始めています。

この学校は、2年間の全寮制で休暇は盆と正月だけしかなく、恋愛は一切禁止、携帯電話は入寮時に没収され、生徒たちは即戦力として働ける技術と礼儀などを叩き込まれます。ここで実践的に学んで卒業すれば、立派な椅子もつくれるようになりますが、入学金や学費は不要で、奨学金として月8万円が支給され、しかも卒業後の進路は他社への就職も制限なく、自由に選べるとのことです。

村上さんの「携帯没収(の修行は)、今の子たち抵抗ありそうです」の問いに、岡田社長は「けれど大丈夫。最初にその条件を言ってあるから生徒は気にしていない。本当に厳しい生活だが彼らは楽しそうにやっている。若い職人の卵たちは午前中に工場で研修する。すると、若い子が真剣にやっている、礼儀正しい、という空気が工場に流れて工場全体にいい影響を与えてくれる」と話されます。

家具の将来を担う新素材の開発

岡田社長は、家具業界に一石を投じた画期的な新素材の開発にも成功しており、それでつくった家具は座り心地もいいそうです。この新素材のもとになったのは杉で、戦後大量に植林し、花粉症の原因にもなっていますが、柔らかすぎて家具の材料には使われてこなかったのです。その開発では、得意の木材を蒸して圧縮する曲木のノウハウを応用し、杉をもとの半分ほどの厚さに圧縮して固く強い材料に変え、ナラなどと同じ家具材として活用できるようにしています

地場産業の将来にたいする思い

村上さんから「家具に限らず、地場産業は危機にあると思うんですけれど、地場産業が生き延びるために大事なことは」と聞かれ、岡田社長は「今日まで生き延びてきたのは独自の技術や特色を持っているわけですから、その特色を現代のニーズにどう合わせていくかという発想の転換が必要なんじゃないでしょうかね。昔ながらのものだから、昔は売れていたから売れるはず、じゃなくて。当時作った商品は多分創業者が新しいことに取り組んだ結果、ベンチャー企業として始まった、どんな老舗企業も。その財産を今の時代にどう生かすか、ベンチャー魂が必要かなあと思います」と答えられています。

「立ち上がりたくない」椅子:村上龍さんのまとめ

この番組の最後に、編集後記という村上さんの感想をまとめるコーナーがありますが、さすが作家のお言葉なので、そのまま引用させていただきます。

生産性向上と呪文のように繰り返される。だが、いかに難しいか、改めて実感した。一つずつ改良し、うまくいったら従業員たちがやっと腑に落ちる。地道な試行錯誤の繰り返し。それ以外に方法はない。飛騨産業の家具は過度な装飾がなく、素朴な温もりがあり、実質的でありながら五感に訴えてくるものがある。スタジオで、椅子に座ってみて座り心地がいいにとどまらない何かを感じた立ち上がりたくないと表現した。キャッチに使いたいと岡田さんに云われた。

(聞き取った放送内容について抜粋や前後の入れ替えなどしていますので、間違いや誤解などがありましたら、ご容赦のほど、お願いいたします。会員№102 中村記)