39. 日本歯科医師会雑誌21年8月号

連載「人間と科学」

植物と薬と人間(4

ファストフードと植物

日本歯科医師会雑誌 Vol. 74, No. 5 , pp. 2-3 (2021年 8月号)から引用、再掲載

理化学研究所環境資源科学研究センター長 斉藤 和季

 筆者は十年位前には非常に海外出張が多く、その時期に保有していた有効期間が10年のパスポートは、ついに出入国管理のために各国のスタンプを押すスペースがなくなり、旅券事務所でパスポートに増ページの手続をしてもらった。それらの海外出張のほとんどは1週間ほどで、国際会議への参加やそれと前後しての海外研究機関への研究訪問であった。すると、海外の初めての都市に一人で滞在することになる。もちろん、地元のグルメ料理も楽しみたいと思うが、なにかと不案内だし地元のレストランは敷居が高いので、世界のどの都市にもある有名なハンバーガーのファストフード店に入って旅の空腹を満たすことも多かった。また、海外に限らず国内でも手短にお昼をすませようと思えば、このファストフード店は便利なところである。

 実はこの手のファストフード店は不思議に心が安らぐのである。なぜかと考えて見ると、外国のトラムの停車場近くや国内の大型ショッピングモールの中などでの漂う空気の暖かさ、家族連れや小さな子が多い客層に囲まれて、緩やかな人の往来を眺めながらの安心感が大きいように思う。それに加えて、本来人が持っている欲求である糖質や脂質の摂取が、容易に満たされる満足感に依るところが大きいのであろう。

 この人が持っている糖質や脂質への欲求は、生命の本質的な属性であるエネルギー生産の原料となる還元レベルの高い炭素化合物への欲求である。糖質や脂質はその分子中にエネルギーを内包した炭素化合物であり、この分子中の炭素原子を二酸化炭素までに徹底的に酸化することによりエネルギーを取り出しているのである。

 このエネルギー代謝の本質原理は当然ながら細胞や個体の生命体レベルから、地球上の人間活動全体によるエネルギー循環についても適用される。つまり、この問題は地球における炭素エネルギーの循環と近年の地球温暖化とその解決への指針にも繋がるのである。

現代の大きな問題である地球温暖化は、人口増加によって増えた人間活動に伴う、還元型炭素に富んだ石油や石炭などの燃焼の結果生じた、二酸化炭素の排出によるものである。植物などの光合成を行う生物は、太陽エネルギーを使って、人間の活動によって排出された二酸化炭素を吸収・還元・固定して、炭素化合物からなる食料や医薬品・バイオ工業資源に変換している(図)。これらの炭素化合物を、再び二酸化炭素に酸化する過程で生じたエネルギーを用いて、私たちの人間活動が支えられている。しかし、化石燃料の燃焼による二酸化炭素の排出量が多すぎて、そのすべてを吸収・固定することができず、大気中の二酸化炭素レベルが上昇して地球温暖化をもたらしている。

実は、このエネルギーや化学工業の原料として、現代の私たちの生活を支えている石油や石炭は、3億年から2千万前の太古の時代に生きていた植物や光合成生物の遺骸が変化した化石資源である。それを、炭素エネルギーの循環という視点から考えると、当時の植物などが太古の時代に降りそそいだ太陽エネルギーを使って、光合成によって二酸化炭素を還元・固定して、石油や石炭などの中に炭素化合物として、内包する化学エネルギーと共に蓄えておいたものである。それを、現代の私たちは燃焼して、その過程で生じたエネルギーを生活に利用している。つまり、現代の私たちは、太古の時代に降りそそいだ太陽エネルギーを、当時の植物などが上手に蓄えてくれたエネルギーと資源を一方的に浪費し、それによって、二酸化炭素の増加と温暖化という生存に関わる重大な危機を自らもたらしている(図の上段)。このようにみると、現代人は、先祖が蓄えておいてくれた大切な遺産を食い潰すだけでなく、遺産を食い潰した挙げ句に出た排出物に埋もれ、瀕死の状態にいるとんでもない放蕩息子か末裔のようにも見える。

それでは、この問題を解決するにはどうしたら良いのだろうか?あるべき未来は、まず、石油や石炭の燃焼による二酸化炭素の排出を止めることである(図の下段)。このため、化石資源の浪費は、地球の炭素循環が可能な範囲までの最小限に抑えなければならない。しかし、現在、化石燃料に依存している人間活動を止めることはできないので、化石燃料の代わりに現存の植物などの光合成機能を今よりも増強して利用することが必須である。地球上の植物は降りそそぐ太陽エネルギーの1%くらいしか利用していないとの試算もあるので、この効率を上げる余地は十分にある。それが実現すれば、炭素化合物とそれに伴うエネルギーは、完全に循環型に移行し、二酸化炭素の排出と吸収はその収支がゼロに抑えられ、地球温暖化に歯止めがかかると同時に、人間の生存を支える活動はその循環のなかで行われる。

このように、地球人口が恒常的に増加している中で、あるべき未来の持続可能な発展に向けて、炭素の循環型社会に移行するためには、自然科学だけではなく様々な分野の努力が必要である。しかし、この植物が有する光合成や物質生産機能を最大化することは、間違いなく最重要課題である。

ファストフード店で緩やかな人の流れを眺めながら、元々は植物が生産したエネルギーを摂取して、満腹感を享受しながら考えるのである。

 

*本稿の記述の一部は本著者による下記から改変引用している。

「植物メタボロミクス−ゲノムから解読する植物化学成分—」斉藤和季、(株)裳華房、2019年


 化石資源も含めた炭素とエネルギーの循環(現在とあるべき未来)