いまさら言うまでもなく、近代科学の成功の原因は、システムを構成する要素への徹底的な還元と要素の個別的解明であった。物理学の素粒子論から分子生物学まで現代の我々に恩恵をもたらしている成功した科学は本質的に要素還元論である。従って、現在の指導的科学者たちはみな卓越した要素還元論者であり(そうでないと成功者になれない)、若い研究者への影響力や大型研究費の審査でもこれらの指導的科学者が関っている。結果として、要素還元論から離れた研究分野は主流からはずれ、若い研究者も要素還元論だけが成功への近道と信じている。
最近、植物のメタボローム研究(メタボロミクス)を始めたところ、従来の要素還元論だけでは話が進まないことが分かってきた。もちろん個別の要素(メタボロームの場合は代謝産物)の徹底した研究が必要であるが、そもそも高性能の分析機器で検出できる代謝産物の20%以下しか現時点で同定が出来ない。クロマトピークの同定と言う要素還元を一方で行い、同時に、要素間の関係や要素の統合あるいは他の階層の要素(例えば、トランスクリプトームやプロテオーム)との統合などいわゆるシステム的理解をしないといけなくなってきている。このシステム的理解と言う言葉が曲者で、一歩間違うと中世の自然史学や東洋的宇宙論と変わらなくなってしまう。つまり、システム的理解あるいはシステム生物学は要素還元論の究極でなくてはいけない。理想的には、すべての有限個の要素(ゲノム科学のもたらした最も大きな貢献は、システムを構成する要素を無限個から有限個に限定できたことである)についてその属性を明らかにし、それらの総体としてのシステムがどう振舞うかを統合的に理解する。
また、メタボローム研究にしてもそれ自体いまだ未成熟である。まず、従来の成分探索や成分プロファイリングはメタボロミクスとは違う。メタボローム研究はゲノム科学の一分野であり、従って、ゲノム機能や転写産物、タンパク質との対応付けがなくてはいけない。しかし、日々悪戦苦闘するのは成分探索や成分プロファイリングと変わらない。複数の分析技術に長けた腕のいい人が必要なのである。特に、メタボロミクスは、核酸だけを扱うゲノミクス、トランスクリプトミクスやタンパク質だけを扱うプロテオミクスと違い、扱う物質の化学的多様性が大きく、さらに存在量のダイナミックレンジも広い。従って、DNAシークエンサーやDNAチップのような自動化された単一の解析技術は存在せず、今後も存在し得ないだろう。
このような要素還元論の究極としてのシステム解析は、大量のオームデータ(トランスクリプトームやメタボロームデータ)に基づくため、データドリブンの新しいシステム生物学として勃興しつつある。これはもっぱら計算科学に基づく初期のシステム生物学とは違ったアプローチである。それでは、このシステム生物学の成功は何によってもたらされるであろうか?最も重要なのは、異なった専門分野のトップレベルにいる柔軟な発想の人たちの日常的なコラボレーションであろう。分子生物学、分析化学、天然物科学、植物科学、計算科学、生物情報学などの一流の研究者が集うところに新しいデータドリブンのシステム生物学が実現するはずである。