11. 1998年ファルマシア

《 紹介 》

日本国際賞を受賞されたジョゼフ・シェル博士及びマルク・ファンモンタギュー博士の業績

ファルマシア 34 (5), 477(1998)から引用、再掲載


1998年(第14回)日本国際賞(Japan Prize)は、ジョゼフ・シェル博士(ドイツ・マックスプランク研究所・植物育種遺伝学研究部長、62歳)及びマルク・ファンモンタギュー博士(ベルギー・フランダースバイオテクノロジー大学間研究所遺伝学部長、ゲント大学遺伝学教室教授、64歳)に授与された。授賞業績は「遺伝子組み換え植物作出の理論と方法の確立」である。

1970年代前半、ベルギー王国中世の町ゲントに、クラウンゴールという植物腫瘍の形成メカニズムを解明しようとする若き科学者集団が誕生した。レーデガング通りの坂道に面したゲント大学遺伝学教室に本拠が置かれたこのグループを率いるリーダーは、 共に30歳代のシェル及びファンモンタギュー博士であった。両博士ともべルギー・フランダース地方(オランダ語圏)の生まれであり、シェル博士はアントワープ出身、ゲント大学を卒業後、微生物学を専攻し学位を取得した。ファンモンタギュー博士はゲント生まれ、ゲント大学卒業後、有機化学・生化学を専攻し学位を得た。それぞれバックグラウンドの異なる2人は、当時その実体が明らかにされていなかった土壌細菌アグロバクテリウム中に存在し植物に腫瘍を引き起こす因子の解明に協力して取り組み始めた。その結果、この細菌に含まれる Ti プラスミドの特定領域(T-DNA)が植物細胞の染色体に組み込まれ、 T-DNA 上の植物ホルモン合成酵素遺伝子が発現することによって腫瘍が形成されることを明らかにした。さらに、 T-DNA の組み込みには T-DNA の両端の配列が重要であるが、T-DNA 内部の領域は必要でなく、この領域を入れ換えることによって任意の遺伝子を安定に植物染色体に導入し、かつ後代に伝達できることを示した。1980年代に入り実際にこの方法によって、トランスジェニック(遺伝子組み換え)植物を作出することに成功した。

この成功は、植物科学の基礎及び応用面で従来考えられなかった全く新しい展開を可能にし、そのもたらしたインパクトの大きさは計り知れない。まず、基礎的な面では、特定のDNA断片を植物に導入してその機能を解析する「リバース・ジェネティクス」という研究戦略を可能にしたことである。今後、高等生物のゲノム配列が明らかにされた後の、ポストゲノム時代においてますますその重要性が増してくる。応用面では、必要な遺伝形質だけを植物に付与するという「分子育種」を可能にし、既に遺伝子組み換え植物に由来する食品、切り花がわが国の市場に出ており、この技術は我々の日常生活と直接関係し始めている。また、薬用植物の分子育種や薬用成分の生産にも応用され始めている。

筆者は10余年前にゲント大学のファンモンタギュ一博士のもとに留学し、今世紀の最も灼熱した植物分子遺伝学の坩堝のなかで直接指導を受ける機会に恵まれた。博士は常に 100人を越える教室員を擁し、研究室はあたかもかつて当地において1人の巨匠のもとにヨーロッパ各地から人が集まり、数々の名作を生み繁栄を極めた17世紀フランダース絵画の工房のようであった。この経験は私の研究者生活においても大きな転機であった。今回の受賞を門下生の1人として心からお祝い申し上げ、両博士のますますのご活躍をお祈りしたい。

なお日本国際賞は、国際科学技術財団が選考・授与し、その権威及び賞金額はノーベル賞に匹敵する大きな賞であり、本年度はバイオテクノロジー分野での両博士の他に新材料分野で江崎玲於奈博士(筑波大学長)が受賞された。