本学会の会員でもない私への本寄稿に対する編集部からの依頼は「ドライとウェットの‘シアワセ’な関係を経験をもとに書いてください」との事でした。あまり真面目な原稿を期待して訳ではないと思いますので、私の経験談をざっくばらんに書きますので読み捨ててください。
私は植物の実験科学―いわゆるウェット―がバックグラウンドですが、実のところドライとウェットの関係において‘シアワセ’を感じることはたまにしかありません。ほとんどは異種格闘技をしているようなかみ合わなさ(30年以上も前のアントニオ猪木とモハメド・アリの対戦をリアルタイムで見ていた時に感じた不完全燃焼感―これを読んで心の中でニヤッとしたあなた、同世代ですね…)と、しばしば感じる苦痛にともなうマゾヒズムです。しかし、たまに感じる‘多幸感’は私をしてドライとウェットの不条理な絆の虜にせしめ、その‘あぶない関係’から離れることが出来ません。
話は2000年夏にさかのぼりますが、科学技術振興機構(当時は事業団)で植物関係の大型予算クレストの公募が始まりました。幸いにも私が代表として申請した植物の同化代謝オミクスの研究プロジェクトが採択されました。その中心テーマとして、当時ちょうど解読されたシロイヌナズナのゲノム情報から(無謀にも)トランスクリプトミクス、プロテオミクス、メタボロミクスによって植物代謝制御の全体理解をするというゴールを設定しました。その研究推進のためには、ウェット科学(オミクス科学や分子生物学、生化学)と共にドライ科学(バイオインフォマティクス)が重要であることは明白でした。しかし、このプロジェクトに快く力を貸してくれそうなドライ研究者のあてもなく、出席した研究会やセミナーでは一緒にやってくれそうなドライの方を探していました。その中で幸いにもNS大学のKさん(現、教授)やT大学(現、准教授、当時はSS研に所属)のAさんなどドライ分野の新進気鋭の先生方に出会い、異種格闘技的な共同研究をいくつかさせていただき(それらは確実に猪木vs.アリの対戦よりもエキサイティングです)、その後も‘深く’お付き合いさせていただいています。
当時は(そして今も)メタボロミクスなどのオミクスデータ処理にはいくつもの障壁がありましたが、まず問題点を明確にすることから始まり、そのための具体的な解決策を探ると言う地道な作業から始まりました。特に、メタボロミクスについては、まず直面した問題が超高分解能質量分析装置で得られる質量分析データからの化合物アノテーションであり、次に代謝パスウェイへの投影やトランスクリプトームとのインフォマティクス統合解析でした。これらの作業は、KさんやAさんが全面的に関わり、私の研究室の当時ポスドクのHさん(現、R研チームリーダー)、大学院生のYさん、Tさんなどウェット系の人たちと殆ど毎日議論を戦わせながら進めました。その様子はまだ世界の誰もがやっていない分野を開拓するパイオニア精神に満ち溢れていました。その結果、トランスクリプトームとメタボロームの統合による遺伝子機能同定と代謝ネットワークに関する論文2報を続けて2004年、2005年に発表することが出来ました(文献1,2)。幸いなことにこれらの論文はそれぞれ翌年の植物バイオテクノロジー分野の最頻度引用論文にランクされました。これは世界の誰もが期待していたマルチオミクスの統合解析によって、実質的なゲノム機能科学での成果を収めることが出来た初めての成果であり、そのベストタイミングのために多くの人が引用してくれたものと思います。これらの論文での大きなブレークスルーは、ウェットから出てくるオミクスデータをドライによって処理して仮説を構築し、それを再度ウェットに戻して実験的な証拠によって仮説を証明すると言う、ウェットとドライの理想的なサイクルがうまく回せたことです(図)。
このような成功例もあって、2005年から理化学研究所において植物メタボロミクスを中心にすえた植物ゲノム機能科学プロジェクトが本格的にスタートしました。前述のKさん、Aさんに加えて理研に以前からおられたユニットリーダーのSさんなどがバイオインフォマティクスの主要メンバーです。当初、月に1回、ウェットとドライの人々の合同ミーティングを開きましたが、そこではまずお互いの言語が違う言語問題の克服と研究アプローチや考え方の違いの理解から始まりました。これはそれまでのような一研究グループの中でのウェットとドライの共同研究に止まらず、複数研究グループからなるプロジェクト全体における相互理解や共同研究を推進する必要があったため、よりチャレンジングな作業でした。これらの議論の中から、現在理研植物科学研究センターのPRIMe サイト(http://prime.psc.riken.jp/)からリンクされているメタボロミクスを基盤としたオミクスデータベースが充実されてきました。
現在、理研での植物メタボロミクス研究も5年目を迎え、ウェットとドライの人々の関係もある意味で定常状態になってきて、相互に一応の理解をしながら(まだ不十分ですが…)いくつかの優れた成果が出てきています。これらの研究成果を海外の研究室でのセミナーで話をすると、「どうやってウェットとドライの融合をうまくやるのか?」と聞かれることがしばしばあります。その時は「私は両方から話を聞いて、両方に分った、分ったと言っておきながら、実はぜんぜん分っていないですよ」などと冗談めかして半分真実を言うようにしています。私は、最後は「和をもって尊しとなす」という精神が異種格闘技を楽しみながら‘シアワセ’な関係を築く秘訣ではないかと思います。ここで皆様のために‘シアワセ’な関係を築く助けになるチップスを紹介します。当たり前のことばかりですが、参考になればと思います。
文献
1. Masami Yokota Hirai, et al., Integration of transcriptomics and metabolomics for understanding of global responses to nutritional stresses in Arabidopsis thaliana. Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 101, 10205-10210 (2004)
2. Takayuki Tohge, et al., Functional genomics by integrated analysis of metabolome and transcriptome of Arabidopsis plants over-expressing an MYB transcription factor. Plant J., 42, 218-235 (2005)