始めて生薬学や天然物化学を学んだ時に誰もが持つ最初の疑問は、「なぜ植物はこんなにも多くの多様性に富む二次代謝産物を作るのだろう?一体どういう原理で作られて、その植物にとってどんな意味があるのだろう?」という質問であろう。私も三十年以上前にこの問題に憑りつかれていまだに抜け出せずにいる。
植物は20万種に及ぶ代謝産物を生産していると考えられ、これはヒトを含めた哺乳動物のメタボローム(細胞内の代謝産物総体)の総数3000化合物をはるかに凌駕している。従って、この化学多様性の原理と意義の問題に解答を与えることは、植物の生命戦略の根源に迫ることができるばかりでなく、この原理を応用することによって有用な植物成分(医薬品ばかりでなく食品、バイオエネルギー原料までも)を合理的な戦略によって自由自在に生産することができる。この問題に迫るために、歴史的には化学的なアプローチから始まり生化学的さらに分子生物学的な手法が採用されてきた。しかし、昨今のゲノム配列解読を基盤としたゲノム機能科学(ゲノムマイニング)によって初めて根源的な答えに近づくことができる。つまり、ゲノムレベルでの天然化合物の生合成とその制御の原理、その生物における生物学的意味、進化の痕跡や道程を一挙に明らかにし、ゲノムに基盤をおいたバイオテクノロジーへの道筋を提示することが出来る。このような根源的な理解は、バイオ分野ばかりでなく合成化学的な戦略にも大いなるヒントを与えることになるであろう。
天然化合物に関するゲノムマイニングの研究は、高等植物ではシロイヌナズナのようなゲノムモデル植物ですでに成功しつつある。そこではトランスクリプトームとメタボロームを統合した研究戦略によって、新規生合成経路や新成分、新酵素や制御遺伝子の合理的な予言と、それに基づく特定遺伝子の変異体を用いた逆遺伝学手法によってin vivoでの機能証明がなされている。その結果、2万数千個の遺伝子を有するシロイヌナズナは、モデル植物でありながら当初考えられていたよりも実に多くの代謝産物を作ることが判明した。また、甘草や抗がん成分生産などの重要な薬用植物への応用も進み、重要成分生産の制御に向けた革新的な成果が生まれつつある。さらに、毒性成分に対する自己耐性機構の進化など、基礎学問的にも極めて魅力的な発見もなされつつある。また、微生物でも眠っているゲノム遺伝子を活性化することによって新規抗生物質の生産に結びついた例も報告されている。
では今後、この分野をさらに発展させるためには何が必要であろうか?それはゲノムマイニングを可能にする複数の異なる分野(天然物科学、ゲノム科学、生物情報学など)から一流専門家が集まり、有機的に連携することが必須である。当然、異なる分野の専門家からなるチーム研究となるが、相互のコミュニケーションと理解によって、分野特有の文化の違いを乗り越えることが必須である。私は日本人のもつ高い協調性と薬学がもつ幅広い分野の中にこそ天然化合物のゲノムマイニング研究の大勝利への素地があると確信している。若い研究者がこの挑戦的で根源的な大問題にチャレンジされることを期待する。