38. 日本歯科医師会雑誌21年6月号

連載「人間と科学」

植物と薬と人間(3

植物はなぜ薬を作るのか

~動かない植物の戦略~

日本歯科医師会雑誌 Vol. 74, No. 3 , pp. 2-3 (2021年 6月号)から引用、再掲載

理化学研究所環境資源科学研究センター長 斉藤 和季

 前回お話ししたように、植物は人間などの動物よりも圧倒的に多くの化学成分を作り、これは人間にとって薬や健康機能成分などの恵みとなっている。しかし、植物の側から見たときに、植物は私たち人間に恵みを与えるつもりでこれらの化学成分を作っているのだろうか?

 恵みをもたらしていると考えているのは、一方的に人間の側からだけ見た勝手な思い過ごしではないのか?もし、そうだとしたら、なぜ植物はこのような化学成分をつくり出すのだろうか?

 この問いに答えるために、まず、植物の生存戦略を進化のなかで考えてみよう。

 46億年の地球の歴史を1年に換算してみると、太陽エネルギーを使って光合成を行う原始生物は5月7日に誕生した。さらに植物は11月27日に陸に上がり、現在まで繁栄を続けている。一方、我々現生人類(ホモサピエンス)が誕生したのは、12月31日午後11:37であり、大晦日の23分前にすぎない。このように、植物は土に根を生やして動かないという動物とは異なる生き方を選択し、人類よりも千〜2千倍も長い生命の歴史を有する。

 生存戦略といっても、そもそも生命が命を繋いで何万年も生き残るために持つべき属性(共通して備わっている性質や特徴)は何だろうか?その答えとして一般的には次の2点が挙げられる。

1. 生存のための物質代謝、エネルギー代謝が出来ること

2. 自己を複製して次世代に受け継ぐこと


 生物は、物質代謝によって細胞を構成する様々な物質を作ったり、分解したりする必要があり、その物質代謝や細胞の活動のためにエネルギーを作り出して様々な場面で使えることが必要である。また、1つの細胞から分裂した次の細胞へ、あるいは個体から次世代の個体へ、正確な複製を繰り返して受け継ぐことも必要である。

 これらの生命の属性を満たすために、動かない生き方を選択した植物は、物質代謝の点で私たち動物とは異なる生存戦略を発達させた。

 第1に、植物は、太陽からの光エネルギーを使って、空気中の二酸化炭素と土からの無機物によって、有機化合物(糖、脂質、アミノ酸などの一次代謝産物)を自ら生産する光合成機能を備えた。私たち動物は動けるため捕獲や採集によってこれらの有機化合物を食料として取ることができるが、植物は食虫植物などのごく一部を除いて、光合成経路によって必要な有機化合物を自ら生産する。

 第2に、動けない植物は外敵や環境ストレスなどから自らを守るために、化学構造が複雑で多様な成分を作る化学防御機能を発達させた。これらの化学成分は外敵など他の生物に対して強い毒となり植物自身の身を守る。例えば、前回述べた強い薬理活性を有するアルカロイドなどがその代表である。また、紫外線などの環境ストレスを緩和するフラボノイドなどの化学成分によっても身を守る。動物は動くことによって外敵やストレスから逃げることができるが、動いて逃げることができない植物はいわば化学兵器によって対抗しているのである。

 第3に、植物は生殖のために花粉を運ばないといけないが、風に乗せて運ぶやり方は効率が悪い。そこで、より効率がよい受粉のために昆虫に運んでもらう方法がある。そのため、植物の花は色や香りのついた化学成分を作り、昆虫を引き寄せて受粉を助けてもらう。植物は、着飾ったり香水をつけて自ら婚活パーティーに参加する代わりに、受粉をしてくれる昆虫を引きつけるために着飾ったり香水を用意するのである。

 この第2、第3の戦略に関わる成分は二次代謝産物であり、それらには化学構造の多様性と特異的な生物活性を有しているという特徴がある。それは、例えば動物などの捕食者に対する防御作用という点から容易に想像できる。捕食動物の神経を興奮させる、あるいは遮断するなどの強い薬理作用のためには特異的な化学構造が必要だろうし、多様な構造を有した化合物を用意しておいた方が堅牢な化学防御となる。ここで大事な点は、植物二次代謝産物が有するこのような強い生物活性と多様な構造という特質は、薬の開発においても必要なものであるという点である。こうして、動かない植物が発達させた生存戦略によって生み出された多様な二次代謝産物は、とりもなおさず薬や健康機能成分の源泉になりうるのである。

 一例を挙げると、現在臨床的に用いられている植物に由来する抗がん剤は4種類あるが、いずれもこれらの抗がん成分はガン細胞の分裂を阻害する。しかし、この細胞分裂の阻害作用はがん細胞に限ったものではなく、通常の細胞の分裂も妨げる。つまり、これらの抗がん成分は、もともと植物が外敵からの防御のために作った細胞分裂を阻害する毒成分なのである。使い方次第で、毒は薬、薬は毒、という揺るがない真実が横たわっている。

 このように、植物は人間に恵みを与えようとしているわけではなく、植物は自らの生き残り戦略のなかで作り出した多様な化学成分を、我々人間が少しだけ使わせてもらっているという真実が見えてくる。

*本稿の記述の一部は本著者による下記から改変引用している。

「植物はなぜ薬を作るのか」斉藤和季、(株)文藝春秋、2017年


図1 植物の進化の歴史

2 動かない選択をした植物の生存戦略