「星影のステラ」というジャズの名曲がある。キース・ジャレットの同名のアルバムが有名だ。もっとも原曲は古い映画音楽であるらしい。原名は「Stella by starlight」である。しかし、邦訳は「星明りのステラ」でなく「星影のステラ」なのである。たしかに「影」には月や星の明りという意味があるので当然なのだが、「starlight」を「星明り」でなく「星影」と訳すところに、欧米文化との彼我の深層にある考え方の違いを感じる。筆者が仕事の上での友人を通して最も強く感じる外国人と日本人の差は、彼らの自分自身の自由なidea をstraight forward に表に出す態度であるといえる。いわば「starlight」の直截さと「星影」という一歩さがった表現のちがいである。
多くの留学経験者の言うところであるが、英語で思考ししゃべっている時の方が気を使わずstraight forwardに自分のidea を言えて気が楽であるという。ところが、日本語で話すといちいち婉曲な言い方をしてみたり、表現の点で気を使うところが多い。これは勿論英語が充分堪能でなく遠まわしな言い方を使いこなせていないせいもあろうが、その背景にある文化の違いを反映しているともいえる。だいいち、彼らの方が喧嘩が上手だ。日本人の喧嘩はあとにのこるためなかなか出来ないので遠まわしに批難するに止どめる場合が多いが、彼らは平気で面罵する。しかし、その数時間後はもう平気でお互いにニコニコと世問話しをしている。
特に中東アラブ人は喧嘩上手である。昨年来のイラク中東危機では彼らの喧嘩上手に喧嘩下手の日本人が翻弄されている感がある。日本の外務省の役人が「イラクでは何がおこるか予測できず、いままでの外交常識が通用しない」と言っていたが、これはいわゆる“日本の外務省の役人の常識”が通用しないのであろう。アラブ系の人間とつきあって彼らのidea に接していると例えばイラクでおこる外務官僚のいう予測できない事態のーつーつが納得できる。ここはやはり有能なる外務官僚ではなくて、アントニオ猪木議員の出番となるのは当然だったのかもしれない。
(Stella Artois)