「シロなら日本が謝罪せよ」だって?なんでやねん!!
本日(7/12)の産経新聞の掲載記事『韓国が制裁違反疑惑で国際機関の調査を提案「シロなら日本が謝罪せよ」』を読んで仰天した。これはいわゆる『悪魔の証明』を日本に課し、結果的に日本を失敗させ、あわよくば、「輸出規制」を撤廃させた上で、日本を国際的な悪者に仕立て上げようという魂胆が丸出しではないか。
https://www.sankei.com/world/news/190712/wor1907120021-n1.html
ちょっと長文になると思うが、私の思うところを書かせていただく。全部入り切れるかな。(親韓派の人には薦めない)
『韓国大統領府の国家安全保障会議(NSC)は12日、<略>国連安全保障理事会の専門家パネルや適切な国際機関に日韓両国の輸出統制体制の違反事例に関する「公正な調査」を依頼するよう提案すると発表した。
調査の結果、韓国側の過ちが見つかれば、韓国政府が謝罪して即、是正措置を取るとする一方、過ちがないとの結論が出れば「日本政府が韓国に謝罪」し、韓国向け輸出管理の厳格化措置を撤回すべきだと主張した。輸出管理をめぐる議論が対北制裁の履行に絡む日韓の軋轢(あつれき)に拡大した形だ。』
ご存知のように『悪魔の証明とは、ひとつの例でも成立することが証明できれば証明終わりとなるような問題(有ることの証明)ではなく、無限の例についてそのすべてが成立しないことを証明しなければならない(無いことの証明)という証明問題。』として知られているが、もともとの意味は『非常に証明することが困難(現実的には不可能)な問題』である。また、証明の対象が「日韓両国の輸出統制体制の違反事例」であるということにも注意を要する。
仮に日本の輸出統制体制が相当に厳格なものであるとする場合。既に報告されている昨年の違反事例は10件に満たないが、しかし北朝鮮への輸出事例も含まれている事からも分かるように、さらに、その報告書には会社名まで明記され公表されていることからも、かなり厳格なものであることは明らかである。
これに引き替え韓国の方は、この4年間で156件にも上り、しかも、会社名の記載はなく、北朝鮮への輸出事例はないという。こんな報告書では肝心の会社名からの追跡調査も出来ないし、輸出規制のためのコントロールも出来ない。いったい何の役に立つのだろう。
瀬取りまで行っていることが国連にまで報告されている韓国が、北朝鮮への不正輸出をやっていないなんて信じられるだろうか。あるいは、これだけのことを言い出すからには、北朝鮮への輸出は「国家ぐるみで」既に入念に消去されている(あるいは消去されつつある)のであろう。
これだけの隔たりのある、この2国間の「公正な調査」が果たして可能なものであろうか。
というのは、この韓国の金有根(キム・ユグン)NSC事務処長の発言(前述)がいうところの「解釈」を記せばこのようになる。
『(有限の時間的制限や人的資源を制約事項として持つところの)国連安全保障理事会の専門家パネルや適切な国際機関に、日韓両国の輸出統制体制の違反事例に関する「公正な調査」を依頼し、その結果で、韓国と日本の勝負を判断しようではないか?』という提案である。
いざ調査を開始すればどうなるか、韓国は国家の威信にかけて、死に物狂いで「虚偽証言や、捏造資料を次々と垂れ流す」ことは間違いなく、なおかつ、その調査に当たる専門家パネルや適切な国際機関の調査員に買収工作を持ちかけることも厭わないだろう。かくしてその調査を「無限に」妨害するであろう。
所詮、「有限の期間・人員」しか割り当てられない「専門家パネルや適切な国際機関」に、この「悪魔の証明問題」が証明できるわけがない。ただし、この場合、韓国側の過ちが見つかるような調査自体が出来ない(無限/有限=無限に発散する)ことを意味している。「公正な調査」を依頼するとは、どの口が言っているのか。
思い出されよ、韓国の絡んだスポーツの国際試合などでの不正や買収事件は枚挙にいとまがない。
スポーツと政治は異なると言われるかもしれないが、これは「それを行う者の、人格の問題」である。スポーツであればスポーツマンシップとも呼ばれるが、要は「嘘をついたり、敵の目の届かないところでズルをしたり、反則をしたり、挙句の果ては、審判(勝負)を金で買うようなこと」をしないという事である。それを行いたいという「邪心」を自ら禁じ、「公明正大」を旨とするという「自制心」を持つ事ではないだろうか。韓国という国家が全体としてそのような「徳」を持ち合わせない国家であるという事を、彼ら自らが、延々と世界各国に証明し続けてきたのではなかったか。
日韓を問わず、報道の大半は、これは日本側が貿易問題に政治問題(徴用工問題の報復)を持ち込んだもので日本が悪いとしているが、この考えは間違っていると思う。なぜなら、日本が持ち込んだのは「政治」ではなく、それを行うところの基本、人間としての「倫理」の問題である。「倫理」にもとる隣国にお灸をすえたに過ぎない。いい加減に目覚めよと。
そういえば、韓国にはキリスト教の教会も信者も多いらしいが、この人たちは現在どのような信仰をもっておられるのだろうか? 韓国人の平均点を上げるような信仰をお持ちであることを願う。かつて、ローマ法王が韓国を叱ったことがありましたね。セウォル号沈没事件の時でした。ローマ法王フランシスコは、「韓国民が、この事故を契機に“倫理的に”生まれ変わるよう望む」と述べた。出典: <https://www.zakzak.co.jp/…/20140501/frn1405011140001-n2.htm…>
韓国が勝てば(つまり韓国に違反事例がないことを証明できれば)、日本側に、今回のいわゆる「輸出規制」を撤廃させようというものだ。これは、大きな利益を韓国にもたらすだろう。国家的な死活問題と言っても良いくらいなのだろう。これに引き替え、日本が勝ったところで、得るものは何もない。日本が勝てば(韓国に違反事例があることを証明できれば)、その時は「輸出規制」を撤廃しなくても良い。現状維持であるに過ぎない。韓国は負けて元々の戦いをしてみようというだけのことだ。
「やっぱり韓国は嘘つき国家だった」という認識を国際間に広めることにはなるかもしれないが、過去の65年の日韓基本条約「日韓請求権協定」の無視や、慰安婦問題での「和解・癒やし財団」の一方的解散や、レーダー照射事件の嘘に嘘を重ねる推移、さらにこの原因となったとされている、いわゆる「徴用工問題」の韓国大法院での判決の誘導の仕込み方などを見るにつけ、そのようなものは彼の国にとっては「一時の恥」でしかない。すぐに忘れ去り、虎視眈々と機会を見つけて日本に自国の虚像に基づいた「歴史戦」を仕掛けるであろうということを思わずにはいられない。ちなみに、日本側は既に、違反事例を会社名を含めて公表しているのだから、負けを認めているようなものだ。やはり、戦う意味などない。無限に発散する韓国と、負けに収斂する日本、勝負などしてはならない。
さらに、記事は言う。『李洛淵(イ・ナギョン)首相も12日、国会で対北制裁の忠実な履行を強調し、戦略物資の流出が「疑われるなら相互検証をし、信頼を回復することが急がれる」と述べた。「むしろ日本が原料を北に輸出したという証拠資料が出た」とも指摘した。野党議員が11日に日本側の資料を基に日本で1996年から2013年にかけて30件を超える対北不正輸出が摘発されたと発表していた。』もしこの30件の対北不正輸出が、日本人の几帳面さと正直さのゆえに資料として残されたものであるならば、さもありなんである。几帳面に記された資料とそれを記した謹厳実直な役人の姿が目に見えるようだ。
ちょっと寄り道。
いわゆる米軍による占領統治下でWGIP(War Guilt Information Program)によって、「洗脳」され、「無力化」されてしまった 日本人は、現在、2~3世代を経た頃であろうか。おかげさまで無邪気に「平和」を信じ、「戦争」や「軍隊」や「武力」を毛嫌いし、「戦時」を想定した「訓練」までも憲法違反だと言い出す始末。
有事の際にも戦車は「灯火」を付けて敵に発見されやすくし、挙句の果ては交通信号機の前で停止して敵の餌食にならねばならないと聞いた。真面目が取り柄な、ものすごくナイーブな国民が出来てしまったものです。その後、何か変わったんですかねえ?
WGIPによる、言論統制(新聞社が違反すれば新聞用紙そのものが供給停止となる)、NHKしかなかった頃の家族団らんの中で流されたプロパガンダ放送「真相はかうだ」、「眞相箱」、「質問箱」などによる影響も大きいと思われる。GHQの言論統制・検閲も占領下の憲法改定もみな国際法違反だと聞いていますが、当時そんなことを言えるような人は、どこにもいなかったんでしょう。
ちなみに、なぜここにWGIPを持ち出してきたかというと、GHQが定めた30項目ものプレスコードこそが、今日の日韓問題の発端と見ることが出来るからだ。それはこのようなものだった。長いが全部書く「敗戦国の辛さ・悔しさを、じっくりと味わってほしい。」。これだけ制限されたら、まさに日本という国は「去勢された雄牛」のようなものだったろう。
① SCAP(連合国最高司令官もしくは総司令官部)に対する批判。
② 極東国際軍事裁判批判
③ GHQが日本国憲法を起草したことに対する批判
④ 検閲制度への言及
⑤ アメリカ合衆国への批判
⑥ ロシア(ソ連邦)への批判
⑦ 英国への批判
⑧ 朝鮮人への批判
⑨ 中国への批判
⑩ その他連合国への批判
⑪ 連合国一般への批判(国を特定しなくても)
⑫ 満州における日本人の取り扱いについての批判
⑬ 連合国の戦前の政策に対する批判
⑭ 第三次世界大戦への言及
⑮ 冷戦に関する言及
⑯ 戦争擁護の宣伝
⑰ 神国日本の宣伝
⑱ 軍国主義の宣伝
⑲ ナショナリズムの宣伝
⑳ 大東亜共栄圏の宣伝
㉑ その他の宣伝
㉒ 戦争犯罪人の正当化および擁護
㉓ 占領軍兵士と日本女性との交渉
㉔ 闇市の状況
㉕ 占領軍軍隊に対する批判
㉖ 飢餓の誇張
㉗ 暴力と不穏の行動の扇動
㉘ 虚偽の報道
㉙ GHQまたは地方軍政部に対する不適切な言及
㉚ 解禁されていない報道の公表
(以上、ケント・ギルバート「まだGHQの洗脳に縛られている日本人」より)
いかがでしょうか、占領当時のプレスコードを見れば、GHQが隠したかったことから、やってしまったことなどが、全てが裏返しになって、出てきていますよね。初めて見た時、実に生々しいと私は感じました。この中の⑤~⑨の各国への批判を禁じた中に、⑧朝鮮人への批判というのが、他国と並べて入っています。戦時中は日本の一部だった民族が、他の連合国とならんで入っているのです。迫害に会うので保護する目的もあったのかも知れませんが。
『これらGHQによるプロパガンダは「各層の日本人に、彼らの敗北と戦争に対する罪、現在及び将来の苦難と窮乏に対する軍国主義者の責任、連合国の軍事占領の理由と目的を、周知徹底せしめること」を眼目として開始され、「大東亜戦争」という言葉の抹殺及びそれに代る「太平洋戦争」という言葉の導入によってそれが持つ意味、価値観が入れ替えられることとなった。』(Wikipedia)
さらに、それを心から信じた当時の大人たちは、学校教育によってその「罪の意識」を「愛国心」の代わりに、当時の子どもたちに植え付けていったのだろう。そうして2~3世代が経ち、その直系の子孫たちの中から、純粋培養された現代の日本の指導者たちが現れてきたわけだが。ようやく2~3世代を経て、甘い眠りから覚めようとしている人たちがいる。
その人たちの中の先達者は、まだ惰眠をむさぼっている人たちがこんなにも多いことに驚き、「覚醒せよ」と大声を上げ続けているが、肝心のその「声」を届ける役目の、新聞やテレビなどのマスコミの上層部などには、このまま目を覚ますこともなく、静かに永遠の眠りに就きたいものも多い?らしく、その声は届かない。この濁り切った水が流れ去ってしまうまで待つしかないのかも知れない。(百年河清を待つようなもの?)
寄り道はここまで。
しかしながら、なぜ、韓国と日本が対北不正輸出の件数の暴きあい合戦(国連安全保障理事会の専門家パネルや適切な国際機関を介すとしても)を、行わなければならないのだ? さらに、その結果日本側の件数が多かったとして、なぜ、下記のようなことになるのだろうか?
『調査の結果、韓国側の過ちが見つかれば、韓国政府が謝罪して即、是正措置を取るとする一方、過ちがないとの結論が出れば「日本政府が韓国に謝罪」し、韓国向け輸出管理の厳格化措置を撤回すべきだと主張した。輸出管理をめぐる議論が対北制裁の履行に絡む日韓の軋轢(あつれき)に拡大した形だ。』
私が言いたいのは、売りたくない相手に売らない自由だって認められるんじゃないだろうか? という事だ。韓国のように、日本を侮辱し続け、貶め続け、何度も何度も裏切り、ゴールポストを動かし続け、そこから帰納的に推論される、倫理や道徳のかけらもなく、法律も憲法もないがしろにし、その理念さえも理解できない国家に、こんな危険なものを売り捌いていいのか? という事だ。
少なくとも、売ってほしければ、それなりの態度というものがあるだろう。金だけ払えば売ってもらえるなんて考えが、いささか甘っちょろいのではないか? という事だ。昔から言うではないか「商売は信用が第一」と。「それは報復だ!」と解釈するというのなら、それもよかろう。おこがましいかも知れないが「人倫の道」を説いているに過ぎないのだ。
このように、日本が負ければ韓国に多大な利益となるが、仮に日本が勝っても得るものは何もないという、不毛な戦いになるだけである。こんな手に乗ってはいけない。
日本が危険を感じ、嫌悪を感じるような国に売ってやる必要は無い。韓国で作られた製品が世界的に払底し、日本だって困ることになりますよ。というならば、日本国民は韓国国民(全部とは言わないが、すくなくとも韓国政府・三権の機関)の眼が覚めるまで、心を入れ替えて「人間としての基本的倫理観」を身につけ、「地球人の仲間入り」を果たすまで「我慢」をし続けようではないか。それが、日本が彼の国に対して与えられる「人類愛」というものではないだろうか。
なお、このような反論をする人がいるかもしれない。かつて読んだ(観た?・聞いた?)ことがあるのだが、日本に帰化した元済州島出身の学者である呉善花(オ・ソンファ)女史は、日本に来た頃、日本人の友人と親しくなれないという悩みを抱えていたという。韓国では、いったん友人同士と相互に認め合えば、相手の筆箱の中から黙って鉛筆を取り出して使っても、また、先がちびた鉛筆を礼も言わず返しても構わないという。相手もそれを認めており、何も言わない。
そういう習慣が身についているというのである。それが韓国流の親しさの表現なのだという。これを日本に来て、親しくなった友人に対してやると、やんわりとたしなめられたそうである。それをもってして、自分は日本人の友人を持てないのだと悩んだという事である。
そのような独自の風俗・習慣・慣習があることは、べつに構わないし、認められるべきだと思う。しかし、それを異なる風俗・習慣・慣習の国に行って、それが世界標準だと思い込んで行ってはならない。それはそうだろう、相手がまさにパクつこうとしている饅頭を横取りして食ってしまうという場面など、韓流ドラマなどでよく見かけるが、日本人はこのような行動に対し、無礼を感じ、次に浅ましさを感じるであろう。しかもそれは日本だけではなく、他の文明諸国でのほぼ普遍的な反応であろうと思う。
そのような、日本人が予期しきれないような風俗習慣が韓国にあるから、韓国は日本を友人としての親しみを感じて、日本人から見れば礼儀を欠いた、無礼な行動を次から次に繰り出すのだと。それにいちいち目くじらを立てるのは日本がまだまだ精神的に幼稚なのであるからだと。そのように韓国に肩を持つ解釈を述べる人もいるかもしれない。もちろんそれだけでなく過去の併合時の恥辱感や、受けてしまった差別や暴行や陵虐もあるだろう。半世紀以上にわたる恣意的な反日教育の影響もあるだろう。
また、それとは真逆の、たぶん、併合期に日本語教育を受けたような世代が語る「真実」、あの時代は良かった、という発言などへのイラつき、さらにまた、若い世代の現代の日本への憧れなどもないまぜになって、現代の韓国国民の対日本感情は捻じれに捻じれているに違いない。しかし、それは韓国国内の風俗習慣に留めおくべきだ。現代の世界共通のマナーには適っていないし、そこからみれば、極端に突飛で野卑な行動にしか見えないだろうから。
世界中のあらゆるものが韓国を発祥の地とするのならば、現代の世界共通のマナーもウリジナルのはず。ならば、世界共通のマナーに立ち返るのも簡単なはず。まあ、この件に関しては、韓国国内という極めてローカルな個人間のコミュニケーション・スキルを全世界共通のものだと思い込んでいるとするならば、とんでもないことだ。重大事件を引き起こす前に早くそのような妄想は捨てて、本当の世界共通のマナーや倫理・道徳観念、近代法の基本原理(不遡及の原則)、法治国家の理念等々早く身に付けて欲しいものだ。
そうなった時にようやく、ローマ法王も「安堵」するに違いない。
《おまけ》
今回のような日韓の問題を考えるにあたって、それぞれの国家を一人一人の人間に例えてみると分かり易いのではないだろうか。多少正確性に欠けるきらいはあっても簡単に振り返ればこんなものではないだろうか。
おおきな歴史の流れの中で、今日の日韓関係を捉えなおせれば、理非曲直を間違えずに理解できるようになるのではないかという老婆心から、このようなおとぎ話のようなものを書いてみた。
これまで、始終嘘をつき、勝手にゴールを動かしたりして、さんざん町内会の嫌われ者になっているK君と、かつては、K君の家を、他家の土地にでも力ずくで押し入ろうという乱暴者のR君から守るために、隣家であるK君の家の補強工事を、自分の智慧と労力とお金で賄ってあげたN君。これは(多少不純な考えの家族もなかにはいたかもしれないし、そうした事例もあったかもしれないけれど)、多分に「侵略や帝国主義ではなく自衛の為」でした。
その分、大変に貧しくその日の生活にも困窮していたK君の家には、道路も鉄道もダムも学校も農地の改良事業や、はげ山になっていた山林に植林までもして、自分も苦しい中、(国)家としての体裁が整うまで、援助を続けたN君の家でした。そしてK君の家族はN君の家族とともに暮らしたいと思う人も出てきたりもして、二つの家族は、およそ百年も昔に(当時としては多くの友人も認める方法で)一緒になったのです。
しかし、時が経ち、戦争が終わると、A君を始めとする連合軍と、共に戦った一つの家族となっていたK君とN君の家でしたが、N君にとって信じられないことが起こりました。あれほど面倒を見て同胞とも思っていたK君の家が、自分たちは「N君の家と戦争をして勝った」のだと言い始めたのです。「もともと敵だった」のだと言い始めたのです。おかげで、N君の家はK君の家に残してきた莫大な財産(血のにじむような家人の血税の塊りである)をK君の家にタダで譲らなければならない羽目となり、さらには、賠償金まで払わなければならないことになったのです。
それだけではありません、資産を放棄し賠償金を払った上で約束した、「これで何もかも帳消しにしようね。」「うん、そうしよう。」と言った、その約束まで、およそ50年もたたないうちにひっくり返されてしまったのです。理由は、K君の家がN君の家に一緒にされた時の個々人の「精神的苦痛」なんだそうです。戦争中にN君の家に加勢に行った人や、行かされた人の「賃金」は賠償金で清算されたとしても、家が一緒になったその時に受けた「精神的苦痛」は賠償金の対象ではなかった。個人の請求権は依然として残っているという理屈なんだそうです。
K君の家では、家の中が荒れ始めるとN君の家のせいにして、家うちの問題から目をそらすためN君の家との言い争いに家人の眼を向けさせることが当たり前になっていました。
子どもたちにも盛んにその「嘘の歴史」を教えてきました。このため「反N君の家」思想が当たり前になってしまいました。そういう中では、N君の家に不利な論理が当たり前のように拡大再生産されてしまいます。法も倫理も論理も無視されてしまいます。(「国民情緒法」とまで言われるものが、憲法の上に蟠踞しているのです。)
最近、N君はもう何が何だか分からなくなってしまいました。なぜって、K君は、N君を鉄砲で狙ったり、とっくに解決したはずの昔のことを蒸し返しては、いろいろと悪口を言うようになったのです。戦争の時戦った相手のA君と、3人で一緒に共同戦線を張ることを約束していたK君が、どうも敵の国々(戦争の後の内戦に攻め込んで来たかつての敵たち)と仲良くし始めて、町内会の家々を訪ねるたびにN君の家の悪口を「告げ口」までするような家長も出てくる始末です。
最近のK君の家の家長は、昔の同一民族であった北側の家の家長のスポークスマンのようになってしまいました。核ミサイルまで持ってしまった北側の隣家と一緒になりたいと考えているようです。
そのための口実を作り出したいのか、さかんにN君を怒らせては、先に殴らせたいような行動が目立ちます。あまりにも明白な嘘をついて見たり、前言を平気で翻してみたり、嘘の上の嘘を重ねるようなこともざらです。自分で何を言っているのか分からないようでもあります。最近では、どうやらA君も町内会のみなさんも、K君の裏切り行為やその体質に気が付いたようです。