それは古い音楽テープだった。今は聞かなくなったステレオのラックの奥からたくさん
出てきた。TDKという文字のある、そのテープは学生時代の軽音楽部の練習を録ったもの
だ。あのころ僕はテナー・サックスを吹いていた。自分の下手なアドリブ・ソロに嫌気が
さして何度もやめたいと心の内では思っていた。 いや、一度はそう宣言したこともあっ
たのだが、上級生に説得されたこともあったし、こんな自分でも辞めればサックス・セク
ションに数年は回復不能な穴ができてバンドの編成上問題が起きるのは分かっていたので
辞めることもできずに残ったのだった。長く一緒にやって来た友人たちに迷惑はかけられ
ないと思った。また、次の世代にバトンを渡すまで続けることはそれまで籍を置いてしま
った自分の責任だと感じたからだ。
軽音楽部では、おもにラテンとジャズをやっていた。学校丸抱えのブラスバンド部もあ
ったが、彼らは体育祭や野球大会の応援が専門で、こちらは少し大人びた音楽をやってい
た。それが、なんとはなしにプライドをくすぐってもいた。あるとき上級生に呼ばれて、
いつもの練習場所に行くと機械科の助手をしている人がいて、別府のキャバレーでテナー
を吹いているんだが今日はどうしても顔を出さねばならない用事があってバイトを休まな
ければならない。しかし、バンマスには借りがあって穴は開けられない。ついては、お前
が今晩代わりをつとめて来い、話は付けておくからということだった。
打ち水をして客を迎える夕暮れの街の中を楽器をぶら下げてそのキャバレーにやってき
たのだが、ダンス曲や歌謡曲とはいえ、アレンジしてあるものを初見で吹くのは骨が折れ
た。正直ついていくのがやっとだった。ある曲などはテナー用の楽譜がないので5度上げ
て吹けとバンマスに言われたが、これは無理だった。そんなこんなで楽器を抱えたカカシ
のようなステージを二つほどやったのだったが、帰りに3千円ものバイト料を貰った時は、
申し訳ない気がした。しかし、いつか食うのに困ったらこんな生き方もできるんだとも思
った。ここのバンドのメンバーもきっと学生時代に楽器を覚え、その果てにこんな温泉街
のキャバレーで生計を立てるようになったのか、きっとひとりひとりにそれなりの人生が
あるに違いない、僕はこの先どんな人生をたどるのだろうなどと考えながら、すっかりネ
オンの色に染まった夜の空気のなかを駅まで歩いたものだった。
やはり、TDKのテープにはSKYLARKSの練習風景が残っていた。SKYLARKS(ひばり)と
いうのが僕らのバンド名だった。創立当初は丘の上の原っぱのなかにポツンとできた学校
で、当時はまだ豊かな自然が残っていた。春ともなればひばりたちが鳴いていたのだ。僕
らの軽音楽部にとっては、とてもよいネーミングだった。テープにはSKYLARKSがある夏
に学校の体育館でその年の秋の定期演奏会に備えて合宿練習したときの様子が収められて
いた。今聞くと恥ずかしい思いがするが、それはそれで結構いけてる演奏もある。To Love
Again や I Remember Clifford は当時のバンマスAのトランペットソロが秀逸であるし、
Whisper Notはサックス・セクションのハーモニーが美しかった。ええ、けっこうやるもん
じゃないか、二十歳前の若造たちよという気がしてきた。
そうだ、あの時はアルト・サックスのKが持ってきたマイクを2本だけ立てて僕のカセ
ットデッキに直接録音したんだった。体育館の真ん中にマイクスタンドを立てて練習して
いた光景が音とともに蘇る。当時はテープがたくさんあったはずだと探してみるがこれし
かない。きっと合宿後の片付けのなかで誰かが持って行ってしまったのだろう。そう思い
ながらTDK以外のテープを片端からデッキにかけては早送り、再生をくり返し練習風景の
収められたテープがほかにもないかと探していた時、まったく趣の違う音が出てきた。
それは自分の声だった、子供達を叱っている。まぎれもない。すると家内の声が、これ
から街にこたつを買いに出かけるのだから、ちゃんと靴下を履けと子供に言っている。子
供たちは天真爛漫だ。上の子はそうやって叱る母親をいつも怒ってばかりの「ガミガミば
ーさん」と歌いながら走り回っているし、下の子もまだよく回らない舌のくせに姉のまね
をしながら走り回っている。下の子がようやく話し始めたころのようだから、4歳上の子
は幼稚園の年長組くらいか。すると家を建てたその年の冬にこたつがないから、これから
買いに出ようとしているらしい。子供たちの声は、いまからは考えられないくらい無邪気
で可愛らしい、聞いているうちに過ぎ去った年月が思われ、いとおしさがこみ上げてきた。
家内の声も若い。自分の声は、録音された自分の声はいつもそうだが、鼻声で他人の声の
ようだ。だが自分の声であることはまちがいない。平凡な日常を録音しておいたものらし
い。まったく忘れていた。
たぶんある秋の日の休日、ふだんは夜遅くにしか帰って来ない父親と家族で出かけるこ
とが嬉しいのか子供たちは陽気だ。下の子は姉のまねをしながら追いかけている。上の子
はまねばっかりするなと言いながら逃げている。子供の足音が二つ笑い声とともに近づい
ては遠ざかってゆく。平和な家族のひとこまだ。そのうち喉が渇いたのか牛乳を飲みたい
と上の子が近づいてきた。冷蔵庫をあけて牛乳を飲んだらしい。下の子も自分も飲みたい
とやってきた。上の子が牛乳をコップについでやって下の子が飲んだようだ、そのうちこ
ぼしたらしく自分の声が、だから出かける前にそんなことをするなと言っただろうと叱っ
ている。家内の声が出かける前におしっこに行きなさいと言っている。上の子は歌いなが
ら走り回っていて言うことを聴かない。すると下の子のほうがおしっこに行きたいと言う。
自分の声が早く来なさいと言いトイレに連れていく。家内が上の子にもトイレに行ってお
きなさいと言う。トイレの方から自分の声がもう漏れてるというのが聞こえる。えー漏れ
てるー、あー、まったくもうと家内の声が言い着替えを持っていく気配がする。タイムス
リップしたかのように私は過去の幸せな時間のなかにいるのを感じる。このあたたかい時
間のなかにずっと浸っていたいと願う。もう出かけるよといいながら家内が玄関の方に行
き、どの靴を履くか選んでいる声がする。ああ、出かけないで欲しい、この世界が永遠に
続いて欲しい。子供たちはまだ騒がしい。この赤い靴をどこで汚したのかと上の子が叱ら
れている。すると重い足音が近づいてきてパチッという音を最期に突如『世界』が消滅し
た。その瞬間、私は世界を断ち切った自分に、いいようのない怒りと、悲しさと、不思議
な縁を感じた。僕の人生はあのネオン色の夜からテープのなかの自分に、そしていまここ
にいる私へと確かにつながっていた。