君は、主のいなくなったこのごちゃごちゃとした三畳っきりの書斎の椅子に座り、机の
上のパソコンの電源を入れるかもしれない。この椅子はどうも座り心地のいい椅子がない
といいながら、食卓のテーブルセットの椅子を一脚持ち込んだものだ。それが、ちょうど
机の前にあって少し入口の方を向いている。ちょっとコーヒーを淹れに席を外したばかり
のように。背あての部分は、ほかの三脚の椅子と同じように飼い猫のメイによって手荒い
爪とぎの洗礼を受け、その人工皮革の背あての縁が中のスポンジが見えるほど強烈に引き
裂かれている。それに座ってここの主は始終パソコンに向かい何かをしていた。帰ってく
るあてのないメールを書いたり、本人以外に読むとも思われないホームページを作ってみ
たり。はては、パソコンでジュークボックスを作るんだと言っては何百枚ものCDをガチャ
ガチャとパソコンに入れたり出したりしていた。何週間かのその作業が終わると、こんど
は机の上の本棚兼物置台にと古いスピーカーの上に差し渡した二枚重ねのコンパネの側面
にネジ釘をねじ込んではヘッドホンを四つも五つも吊るして、とっかえひっかえしてはパ
ソコンで再生した音楽を聴いていた。
コンパネの中央には重さが二十~三十キログラムはありそうなオーディオアンプが左右
にスピーカーを、上にはCD兼MDデッキを従えて鎮座ましましている。この鉄の塊のよう
なのが頭の上にあっては、地震が来たら危ないよと何度も、最後にはけんかになるくらい
の忠告をしたが、ここの主は一切なにも動かすことはなかった。唯一動かしたと言えるの
は、ダラスで買ってきたオオカミの彫像で、CD兼MDデッキの天板の上を手前のほうから
一番奥のほうへ十センチほど移動しただけだった。この彫像はオオカミが岩場の上から見
下ろしているもので下半身が岩場の岩に溶け込んでいる。横暴な人類の前に滅び行く運命
のオオカミの、大自然に悠然と消え入るその姿は野生の誇りと孤高を感じさせる作品で、
ここの主の大のお気に入りであった。きっとここの主も職場で孤独に耐えていたのではな
いだろうかと思う。だからこのオオカミの孤高の姿に心惹かれ、この重いものを遠いとこ
ろからわざわざ買ってきたに違いない。
地震が来たら危ないものは他にもあった。背中側の本棚である。ほぼ天井にまで届きそ
うな本棚の棚にはぎっしりと本が詰まっており、さらに本棚と天井との隙間には過去何年
分かの文芸春秋がきれいに並べられている。これも「断捨離、断捨離。」と廃棄を勧めた
が頑として捨てることはなかった。ちょうど後頭部に当たりそうな位置には、分厚くて重
そうな聖書関係の本が並んでいる。聖書を読んで少しは救いに預かったのかどうか、分か
らない。ただ、面白いと言って読んでいた。どう面白いのか聞いたこともあったが、まる
で違う星の話を聞いているみたいで、よく理解できないままだった。なんでも、キリスト
教を始めたのはイエスではなく、イエスはあくまでもユダヤ教徒であり、現在のキリスト
教はその大部分がイエスの言葉に基づくものではなく、後世にパウロやペトロらの使徒を
はじめとする原始キリスト教団の活動により作り上げられ迫害を受けながらもローマ帝国
に広まり、やがて国教として認められることにより全世界に広まったものだと言っていた。
また、キリスト者になれるかどうかは、イエス・キリストの復活を信じられるかどうか
にかかっているとも。そして、どうも自分は、少なくとも今のところは、なれそうにない
と言っていた。それは、もともと自分では真実はそんなところだろうと思っていたんだが、
興味本位にある推理作家の短編を読んでしまったからだとも。活字になったものを読んで
しまうと、その作家のいうことが真実に思えてしょうがない。もしそれが真実だとしても、
いや、真実であればなおさら誰もそれを言い出せないだろう。まず考えられないことだが、
もし権威ある機関がその可能性を認めれば、キリスト教世界は無視を決め込むに違いない
が、やがて信者の減少により、壊滅的打撃を受けることになるだろう。きちんとした機関
でこの件について検討して否定でも肯定でもしてもらいたいものだが、その問題提起をす
るために、あるいは真実を広めるために、ひそひそ話で伝えようにも、推理小説の形をと
っているため、犯人の種明かしをすることになるからそれもできない、痒いところに手が
届かないまま、結果を見ないままにこの世を去ることになるのが、それが悔しいと。(*)
そう、パソコンにはログインのためのパスワードがかかっている。いつか「これが今の
俺の君に対する愛情だ。」などといって手渡された文書には「万が一の場合には」とタイ
トルが付けられていた。その文書には詳細にわたってまさに万が一の場合の指示が事細か
に認められていた。生命保険のことや企業年金のこと、現時点で万が一の場合にはどのく
らいの生活費があてにできるのか、遺族厚生年金の概算金額や、それでも足りない時のリ
バースモーゲッジというサービスがあることなどが書かれていた。その最後に、この文書
とここに出てきた重要なことがらのファイルはすべてパソコンに保存されている、パソコ
ンにはこのパスワードでログインすることとして、ペットの名前にちなんだパスワードの
何文字かが書かれてあった。
でも今は思い出せない。君はふと窓の方に目をやる。薄いレースのカーテンを透かして
ここの主も飽きるほど見たであろう隣のアパートの上に広がっている空。窓枠で区切られ
たその空の上の方には冬の太陽が姿を見せている。すこし西側に回転した区画のためにこ
の近所の区画では、東北の角と思っていた台所のさらに北の方から朝日が昇り、西日はい
つまでも南の窓と思われていた居間や寝室やこの書斎にまでぎらぎらと照り続けて日没ま
で消えない。その分冬は太陽の光がずいぶんと部屋の奥まで差し込んでくる。この部屋で
一日中音楽を聴きパソコンに向かっていたあの人はきっと幸せだったんだろうなと思う。
本当に会社を辞める前の十年くらいは苦しそうだった。それにひきかえ、まだ若い五十
五歳ちょっと手前で会社を辞めてからは自由になって、とたんに元気になった。それ以来、
好きなことをして楽しんでいた。当初はハローワークに行っていくつかの求人に応募して
いた。前の職場が自由な外資系の会社の工場だったこともあり、スーツやネクタイとはほ
ぼ無縁の生活だったので、急遽、面接用のスーツを春夏ものと秋冬物をひと揃いずつ購入
したものだ。しかし、めぐりあわせが悪いのかリーマンショック以後の求人にはあまりめ
ぼしいものはないらしく、ある病院のシステム管理者の求人に応募して面接に行ったら、
前の会社の知り合いもいたという。面接は受けたものの「立派な資格と経歴をいくつもお
持ちだが、ここの仕事はわりあい簡単なものばかりですよ。それでもいいですか。」と聞
かれたそうだ。むろん構わないと答えたらしいが、二十歳ちょっと出たばかりの女の子た
ちと、五十半ばのおじさんたちとの勝負では結果は知れたもの。その後、いくつかの面接
は受けたものの、このご時勢にあってはどこも臨時採用や、有期契約の話ばかり、しかも
賃金は驚くほど安い。県や市などの地方公共団体までもが、人件費を目の敵にされるせい
か、教師や保育士でさえパートや臨時採用に頼っていると嘆いていたが、やがて、求人情
報に目を通すこともなくなった。
ある日、ホームページに五木寛之の林住期の抜粋を作っていた。そのプリントを持って
きて、これからの人生の指針だから読むようにと言って置いて行った。その抜粋には五木
寛之の言葉でつぎのようなことが書かれていた。
「林住期」の真の意味は、「必要」からでなく、「興味」によってなにごとかをする、
ということにある。
要するに「林住期」においては、金のためになにかをしない、と決めるべきなのだ。
どこか地方の寺にでも転がりこんで、坊さんの修行をするのもいいだろう。アジアやア
フリカの国々へ出かけて、木を植えたり、井戸を掘ったりするのもいいだろう。図書館
に日参して、好きな作家の全集を読破するのもいいだろう。ギターを買ってバンドをや
るのもいいだろう。素質のある人なら俳句や短歌に打ち込む道もある。気功や呼吸法の
奥義をきわめるもよし、古武術を学ぶのもいい。
「林住期」は、おもしろい時期である。ひょっとして、人間としてもっとも有意義な
生き方ができる時期かもしれない。人生の黄金期、そして収穫期(ハーベストタイム)
としての二十五年間を、ぜひ見出してほしいと思うのだ。
もう就職活動はしないという宣言のようだった。
君はふとあの歌が聴きたくなるかも知れない。ここの主が何百枚というCDの音楽遍歴の
最後に辿りついたもの。ジャズが好きで、クラシックも好きで自分の聴きたいような音楽
はTSUTAYAにもGEOにも置いていない、だからタワーレコードで買うか、AMAZONで取
り寄せるしかない、お金がかかるのはしかたがないと言っていた、ここの主の辿りついた
音楽はなんと、自分のあまり好きではない中島みゆきだった。その中島みゆきをレンタル
CDで借りまくっていた。レンタルだからあまり文句も言わなかったが、また中島みゆきか
と聞くと、彼女はアルバムだけで四十六枚も出している。これまでに借りたのはようやく
二十九枚だとか言っていた。そのころからずっと昼も夜もパソコンするときも眠る時でさ
えも四六時中、中島みゆきを聞いていた。
まだその分にはよかった。聴くのは本人だけで、こちら側に侵食してくることはなかっ
たからだ。しかし、ついにその日がやってきた。車にもMP3とやらに変換して何枚ものC
Dを一枚のCDに焼いて持ち込んできた。それからはどこに行くにもドライブ中の音楽がエ
ンドレスの中島みゆきになった。ある日のドライブ中に、「そういえば、どこかで聞いた
んだけど、好きな音楽を聴くとドーパミンが出るんだって、好きな音楽が聴けると思うだ
けでも出るんだって。」というから、「じゃあ、あなたはドーパミンが出っ放しね。私の
ように好きでもない音楽を延々と聞かされてる人間の脳には何が出てるの?」と聞くと「
好きになればいいのに。」と言って黙ってしまった。
よく言い合いをしたものだ。私もここの主が好きなジャズもクラシックも中島みゆきも
好きにならなかったけど、ここの主も私が大好きな園芸には見向きもしてくれなかった。
ただ、大物の鉢を動かすときはいやいやながらも手伝ってはくれた。
いつの間にか夕日が射している。部屋の中がオレンジ色に染まって暖かそうな色になっ
たが、夕暮れ時はやがて来る寒い夜の始まり。パソコンの画面に夕日が当たって、そこに
付いた指紋が浮き出て見える。ここの主はけっしてきれい好きというわけではなかったが、
パソコンの画面などはいつも神経質なほどきれいにしていた。その主が残したものだろう
か。そうだとして、私はいったい何を残すのだろうか。
推薦図書
*鯨 統一郎著「邪馬台国はどこですか?」創元推理文庫 Mく31 422 01 本体660円
この本の最後の話「奇蹟はどのようになされたのですか?」はキリスト者の方は読まな
い方がいいかもしれませんね。もし読んで、あなたの信仰に何が起こっても、私は責任
を持てません。^^;