堤未果さんの『(株)貧困大国アメリカ』
堤未果さんの『(株)貧困大国アメリカ』、これは『ルポ 貧困大国アメリカ』と『ルポ 貧困大国アメリカ II』に続く、3部作の完結編。
まだ読んでない人には、是非・是非・是非、一読を薦める。書かれていることの重大さは2章ぐらいまで読めば十分に分かる。ことは海の向こうの話ではすまない。大げさなことを言うように聞こえるかもしれないが、今、時々刻々と世界は破滅に向かっている。
国の単位では対応不可能な、アメリカ発の合法的テロリズム(?)によって。
つまり、コーポラティズム(政治と企業の癒着主義)に世界が呑み込まれようとしている。字義通り大半の人は1%vs99%の99%の方だろう。否、いま1%に属している〇産複合体に該当する多国籍企業に籍を置く人でさえも安閑としてはいられまい。家族や親戚、やがては退職した自分もやがて99%に分類されるだろう。残るのは自身の成長と欲望以外にプログラムされていない自己増殖機能としての『〇産複合体としての多国籍企業』だ。(食産複合体、医産複合体、軍産複合体、刑産複合体、教産複合体など)
これらは巨大化して法の縛りが邪魔になった多国籍企業が、効率化と拝金主義を公共に持ち込み、国民の税金である公的予算を民間企業に移譲する新しい形態へと進化したものだ。政府関係者に働きかけ、献金や天下りと引き換えに、企業寄りの法改正で、”障害”を取り除いてゆく。自由化、民営化といった美名=隠れ蓑がよく使われている。そうして、構造的に=富が自動的に流れ込んでくる仕組みを合法的に手に入れる。
ほんの一部を引用してみる。いかに本書が重要なことを扱っているかが分かるだろう。(堤未果さん、引用お許しあれ。)
ラウンドアップで知られるモンサント社は遺伝子組み換え作物の、GM種子最大手なのだ。ラウンドアップ耐性を与えられたGM作物の。
食品生産産業組合GMAのデータによると、アメリカ国内で販売されている食品および加工品の9割はGM作物が原料。
「ラウンドアップはGM種子最大手のモンサント社が販売する、世界で最も普及しているグリホサートを主成分とする除草剤です。モンサント社はこの除草剤を、これに耐性を持つGM種子と必ずセットで販売する。農家がこの除草剤を散布すると、GM種子以外の雑草だけが枯れるしくみです。ですがヨーロッパではすでにこの除草剤は発がん性を有し、奇形、ぜんそく発作を誘発するなど安全性に問題があるとして、禁止されています。さらに1996年にはニューヨークで、2001年にはフランスで、それぞれ消費者団体や環境活動家たちが、モンサント社のこの除草剤に対し訴訟を起こしているのです。」
それは「土に落ちると無害化して土壌に残らない」というラウンドアップの「生分解性」ラベル表示が虚偽であるという内容だった。結果はどちらも裁判所がモンサント社側に「虚偽広告」の判決を下している。
1年以内に、GMトウモロコシを与え続けたラット群が次々に発病し始める。メスには3か月で乳がんが、オスには20か月以内に肝臓と腎臓の機能障害が生じ、やがて死んでいった。死亡率は普通のトウモロコシを与えていたラット群の2倍から5倍だったという。
今回の実験でラットに投与されたGMトウモロコシは、モンサント社によって全米で栽培され、家畜飼料のほか、人間が食べる朝食シリアルやコーンチップスとしても広く流通している品種だ。この実験結果が同誌に掲載されたとたん、世界中から嵐のような反響が起こった。
GM作物は、在来種と見た目や栄養素が変わらないことから「実質的に同等に」扱われる。この定義は、企業におけるGM作物ブームを一気に加速させ、その後のアメリカ史、そして世界における「食」の位置づけを、大きく変えてゆくことになる。
1992年にFDAが「遺伝子組み換え作物を実質的に通常の食品と同等に扱う」ことを発表した際、モンサント社の顧問弁護士を経て、FDAのGM作物政策担当副長官の座についていたのはテイラーだった。彼はFDAの食品ガイドラインからGM表示義務を削除し、企業のGM作物安全評価データの一般公開を免責した。GM作物市販製品第一号である、モンサント社製「遺伝子組み換え牛成長ホルモン(rBGH)」を承認し、同ホルモン剤を投与した牛の牛乳について、ラベル表示を不要にしたのもテイラーだった。
牛に注射すると牛乳の生産量が三割増量するこの成長ホルモンは、カナダ、EU、オーストラリア、ニュージーランド、日本、国際食品規格委員会など27か国といくつかの国際機関で禁止されている。先進国で唯一rBGH入りの牛乳を飲み続けているのは、GM表示義務のないアメリカ国民だけなのだ。
http://www.amazon.co.jp/株-貧困大国アメリカ-岩波新書-堤-未果/dp/4004314305/ref=dp_return_2?ie=UTF8&n=465392&s=books
瀬木比呂志著『絶望の裁判所』
瀬木比呂志著『絶望の裁判所』を読んだ。すべての読みかけの本を脇において晩飯の後夜中までかけて一気読みした。衝撃であった。
この腐れきった日本という国にあって、ひとり法曹・司法「業界」だけが唯一天国的な理想郷でいられるなどとは思わなかったが、ここまでひどいとは驚きである。否、その狭く閉じた世界からくる影響か、腐れ具合は一般社会におけるそれより重症である。本来であれば切除すべき対象部位であろう。この本は日本の裁判所に対する「死亡宣告」。
第4章に挙げられた数々の問題点、憲法判断を避けて通る最高裁の姿勢、人権無視の判例、一票の格差に対する及び腰、大企業に対する大きな「理解」と「配慮」、和解の強要と押し付け、大規模追随判例群の発生等々の数々の判断放棄、思考停止。
日本の裁判所=「日本列島に点々と散らばったソフトな収容所群島」だそうな。それほどに最高裁判所と裁判官の人事を一手に握っている最高裁判所事務総局人事局の監視と卑劣な手段による仕返しの弊害が大きい。
”日本国憲法第76条に輝かしい言葉で記されている通り、本来、「すべて裁判官は、その良心に従い独立してその職権を行い、この憲法及び法律にのみ拘束される」ことが必要である。しかし、日本の裁判官の実態は、「すべて裁判官は、最高裁と事務総局に従属してその職権を行い、もっぱら組織の掟とガイドラインによって拘束される」ことになっており、憲法の条文は、完全に愚弄され踏みにじられている。”
”日本のキャリアシステムは、本当に問題が大きい。一言でいえば、非人間的なシステムである。その構成員には、本当の意味での基本的人権がない。集会結社の自由や表現の自由はもちろん、学問の自由にも、思想及び良心の自由にも大きな制約が伴う。日本国憲法第13条には「すべて国民は、個人として尊重される」とあるが、裁判官は、一握りのトップを除いては、個人としてほとんど全く尊重されていない。虚心にその実態を見据えれば、人間というよりも、むしろ制度の奴隷、精神的収容所の囚人に近く、抑圧も非常に大きい。
その構成員が精神的奴隷に近い境遇にありながら、どうして、人々の権利や自由を守ることができようか? みずからの基本的人権をほとんど剥奪されている者が、どうして、国民、市民の基本的人権を守ることができようか?”
狭く閉鎖的な世界と、司法修習生から直ぐに任官する現在のキャリアシステムが限界にきており、現代の一般社会に追随不能となっており組織疲労を起こしている。大きな原因の一つは、裁判官たらんとするものの養成課程におけるいわゆるリベラルアーツの軽視と欠如ではないかと思われるのだが、どうだろうか。根本的には国家百年の大計をもって国民の民度を向上させる以外にあるまい。ことに法曹界においてその重点を置くことにしてはどうだろう。司法試験の前提として、法学以外の博士号を要求するのである。(勿論、金で買える博士号は論外とする。)
著者のあとがきにあるように「本書は、ある意味で、司法という狭い世界を超えた日本社会全体の問題の批判的分析をも意図した書物」との控えめな表現であるが、その意味するところはよく分かったつもりである。P.111~113のかけての「みえないライン」「第二のライン」に関する「自粛」とか「自己抑制」が日本社会の陰湿な「無言の禁止」の特徴となっていることは明らかだ。封建社会における美徳が近現代社会における桎梏となる。開かれた社会や組織の構築には、これらの点関して深く極め、予防することが必要であろう。
本書を堤美香著『貧困大国アメリカ』3部作と前泊 博盛著『本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」』と並ぶ3大必読書として推薦したい。