五木寛之の「天命」と「 林住期」を最近読み直した。何年か前に買って さらりと読んだ
きりで本棚に「積んどく」状態になっていたのだが、ふとまたあの部分を読んでみたくな
り、 今回は落ち着いてじっくりと読んでみた。そうしたら、やはり今回も感銘を受けたの
で、 その部分を抜粋 してみる。
五木寛之著 「天命」(幻冬舎文庫)より、
ブッダの死
ひとつの先人の死の例として、大変参考になるものがあり
ます。それはほかならぬブッダ(ゴータマ・シッダールタ)
の死です。ブッダの死については、中村元氏が約された『ブ
ッダ最後の旅』、原著は『大パリニッバーナ経』という経典
に詳しく記されています。インドのこの経典が、紆余曲折を
へて、中国で翻訳され日本へと伝わったものが、原始仏教の
「涅槃経」といわれるものです。別に「大乗涅槃経」と呼ば
れるものもあります。
ブッダはその最後をどのように迎えたのでしょうか。ブッ
ダは八十歳まで生きていたとされますが、死の直前、自分の
死期を悟ったのか、クシナーラーに向かう旅に出ます。その
途中で、遊女を帰依させたり、死の直接原因となった食事を
提供した鍛冶工のチュンダを許したり(というより「功徳」
があるとしている)、重要で大変面白いエピソードがありま
す。
ブッダはこのチュンダから供されたきのこ料理の食事のあ
と、激しい下痢、下血などの症状を覚えます。急性の食中毒
と思われます。ブッダは自分が亡くなったあとに彼がその責
任を問われる可能性を危惧し、他の弟子たちの前で、チュン
ダには責任はない、それどころか褒められるべきだと語りま
した。ブッダに最後の食事を供したのだから、ほかの供養の
食物よりはるかに果報があり、すぐれた功徳がある、と。チ
ュ ン ダは幸福と名声を得、天に生まれることができると、こ
の 上 ない賛辞を、くどいほどにくり返します。
旅の途中で体調を崩したブッダは、死期をはっきりと悟り、
周囲に告げます。さてブッダは、死に臨んで、何を考え、ど
うしたのでしょう。あらためて読んでみると気づくのは、み
ずからの死という現実を前にしたブッダの、あまりにも沈着
冷静で、合理性をつらぬこうとする態度です。ブッダは、こ
れから自分は死ぬ、と明言し、そのあとの方針を語る。ちな
みにその何日も前から、死ぬ時期について言っています。「
生存の妄執は根絶された」という言葉もあります。
死を前にしてブッダの残したことば。
まず、自分が死んでも、すべては滅びゆくものなのだから
悲しんではならない。それは、無意味である。それから、故
人の崇拝につながるような、遺骨の供養、いわゆる葬儀はお
こなってはならない。それより遺した教義に思いを凝らすべ
きであると。この点は、現在の日本の仏教が「葬式仏教」と
いわれることもあるのを考えると、驚くべきことです。もち
ろん、現代日本の葬儀の意味とは異なるとしても。
葬儀をおこなってはならないという理由は、ひとことで言
えば、死んだ体はただの物体であり、何の意味もないから、
ということで、言われてみれば身もふたもありません。ちな
みに、よくいわれるような輪廻転生も、ブッダについて言え
ばないとされています。ブッダは輪廻転生のくびきから脱出
するために、修行をし、解脱したとされているからです。そ
の意味でも、亡くなったはずの者がまるでまだどこかに生存
しているかのように生者が振舞う葬儀的行為は無意味である
とします。
それから自分の死体の洗浄のしかた、火葬のしかた、分骨
の禁止など、微に入り細をうがって説明をします。くり返さ
れるその細かい指示には、ある執拗な意思が感じられます。
ブッダは弟子たちにくり返しくり返し、厳しい態度でもって
その作業を命じています。それから、ブッダは「死ぬと伝え
に行ってこい」と近隣の貴族へ使いを出す。これと前後し、
大地震が起こり、雷鳴がとどろいたともあります。
忘れてならないのは、このときすでに、病魔は圧倒的にブ
ッダの体を蝕んでいたことです。なんども下血をしている。
きっとそうとう苦しかったと思われます。しかしブッダは苦
痛の声はほとんどもらしていない。それどころか、後に記す
ように、幸福のただなかにいるように振舞う。徹底した冷静
さの中で。
そして死にます。そのありさまはあまりにあっけない。最
後のことばは、
「さあ修行僧たちよ。お前たちに告げよう、『もろもろの事
象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成なさい』
と」(『ブッダ最後の旅』中村元訳)
という、いつものことばでした。
原始仏典といわれるこの『大パリニッバーナ経』でさえ、
完全にブッダの言動を記録しているわけではないとされてい
ます。そのため内容に矛盾がある場合もあります。ただはっ
きりしているのは、自身の神格化を頑ななまでに拒否してい
るということです。神格化・神話化されている文章の部分は、
後世の人間の創作の可能性が高いと中村氏も指摘しています。
尊敬している人物の死については、神話化・偶像化し、敬い
たいという気持ちは当然でしょう。ずっと後に出現する仏像
などはその最たるものです。
さてその最後に臨み、ブッダはどう自分の人生を総括し、
死を受け入れたのでしょう。
ブッダが死に見たもの
ブッダの死の様子は、中国や日本でおびただしく描かれた
いわゆる「涅槃図」という絵でもあらわされています。これ
は『大パリニッバーナ経』や『涅槃経』で描かれたブッダの
入滅の様子をもとに、描かれたものです。それにあたる文章
は、全編のなかで、そして多くの仏典のなかでも、もっとも
感動的な部分のひとつです。
ブッダは、自分の周囲の町を、風景を、そして人びとを、
喜びとともに賛美します。その美しさを。その楽しさを。
「アーナンダよ。沙羅双樹が、時ならぬのに花が咲き、満開
となった。それらは、修行完成者(ブッダ=自分をさす)に
供養するために、修行完成者の体にふりかかり、降り注ぎ、
散り注いだ。また天のマンダーラヴァ華(極楽浄土に咲くと
いう花)は虚空から降って来て、修行完成者に供養するため
に、修行完成者の体にふりかかり、降り注ぎ、散り注いだ。
天の栴檀の粉末は虚空から降って来て、修行完成者に供養す
るために、修行完成者の体にふりかかり、降り注ぎ、散り注
いだ。天の楽器は、修行完成者に供養するために、虚空に奏
でられた。天の合唱は、修行完成者に供養するために、虚空
に起こった」(『ブッダ最後の旅』中村元訳)
ブッダは、最愛の弟子アーナンダに向かっても、かつて住
んだ場所、この世界の楽しさ、美しさを賛美します。
「アーナンダよ、<王舎城>は楽しい。<鷲の峰>という山
は楽しい。ゴータマというバニヤンの樹は楽しい。チョーラ
崖は楽しい。ヴェーバーラ山腹にある<七葉窟>は楽しい。
仙人山の山腹にある黒岩(窟)は楽しい。寒林にある<蛇頭
岩>の洞窟は楽しい。タポーダ園は楽しい。竹林にあるカラ
ンダカ栗鼠園は楽しい。(医師)ジーヴァカのマンゴー樹園
は楽しい。マッダクッチにある鹿園は楽しい」(同)
同じことを何度もアーナンダに語ります。花が咲き、苦痛
もなく、こころにのぼるのは、かつて過ごした町の楽しい記
憶。ブッダの目のまえに、世界は光を放っている。ブッダの
目に映る世界のすべては、光り輝いているように思えます。
「涅槃図」では、暖かな光に満ち、花の降り注ぐなかで、
多くの動物たちに見守られながら、死んでいこうとするブッ
ダの姿が共通して描かれています。ブッダの入滅の、安心に
満ちたこころの状態のことを、ふつう「涅槃」(ニルヴァー
ナ)と呼びます。『大パリニッバーナ経』では、くり返し
「『師』(ブッダ)はこれから涅槃にはいられます」と弟子
たちがそれを予告し、周囲に告知しています。
私は、このブッダの死のシーンを目にするたび、浄土につ
いてのひとつのかたちとして思い起こさざるをえません。も
ちろんいわゆる「浄土」の観念はずっと後に中国、そして日
本で考えられたものです。
ブッダは『大パリニッバーナ経』では、死後の世界の愉悦
についていっさい語ってはいません。ただ、眼前の世界の美
しさ、楽しさという認識をくり返しくり返し、語っているだ
けです。
しかし、これは表現が難しいところなのですが、私は「死」
を目前にした者が、これまでの人生をふり返って、「良い人
生だったな」と思うのと、ブッダの場合はちょっと違うと思
うのです。
ブッダは自分の人生をふり返っているのではありません。
そうした表現は周到に避けられています。いま死に瀕しなが
ら生きていること、その時に見えるものが、圧倒的に素晴ら
しいという認識のありかたを示しているのです。絶対的な、
いま生きている自己という存在の肯定。自己が存在するとい
うことの意味が、はっきりと受けとめられる。その認識にい
たった瞬間の喜びを語っています。
私は『ブッダ最後の旅』のこの文章を読むたびに、これま
で自分が何度か記してきた、人生の目的、人生の意味につい
て考えざるをえません。
生存することの意味。
この世は生きる意味がある。生きる価値がある。その確か
な自覚。ブッダは、死の瞬間に、それをはっきりと見たよう
に私は思います。そしてそのとき、世界は、まったく異なっ
た相を現した。光に満ち、苦しさも、憎しみももちろんない、
美しく、仏教の「無常」の概念を超えた、「永遠」に光り輝
く世界です。私は、死の前の総決算として、ブッダは自分に
とっての浄土的なものが眼前にあるということを悟ったので
はないかと思えてなりません。
人は死に臨んで、自分の生の意味をはっきりと認識できた
ときに、浄土を見ることがある。そのこころのありようがま
ず大事ではないか。つまり、浄土とは、どこかにあると希求
するものではなくて、みずからのこころのなかにもある、と
いうことです。
ブッダが死ぬとき、世界が美しく見えたということは、や
はりその生涯の果てという気がします。目の前に見える幸福、
ということです。逆に、この世から去りつつあるときに、こ
の世が地獄のように見える人もいるでしょう。
それまで、ブッダは世界が無常であり、空であると悟って
いた。目に見えている風景は現象でしかなく、実体としてあ
るものではない、自分の生もそうである。それが実感として
分かっていた。だから風景のような「色」(物質)は存在し
ない、意味がないという道理でした。なのに、色もまた、こ
んなふうに美しいと思わざるをえなかった、というように読
むことができると思います。色即是空をつらぬけばそうは感
じないはずなのに。
一方で、空しさも感じていたと思います。自分がもし敬わ
れるとしたら、このように天から美しい祝福を受けるからで
はなく、理法に生きようとしているからだと、と言っていま
す。木も鳥も、その存在するものとはすべて空であるという
のが彼の論理ではなかったでしょうか。しかしその両方の認
識が本当だったと思います。
次の本「林住期」は、これからの生き方に自信を与えてくれた。この本を読んで退職の
決意が固まったといっても過言ではない。その部分の骨子を抜粋してみる。
『古代インドでは「四住期」(しじゅうき)という考え方が
生まれ、そして人々のあいだに広がった。紀元前二世紀から
紀元後二世紀あたりのことであるとされている。これは人生
を(二十五年ずつ)四つの時期に区切って、それぞれの生き
方を示唆する興味深い思想だ。(略)
「学生期」(がくしょうき)に「青春」(せいしゅん)
「家住期」(かじゅうき)に 「朱夏」(しゅか)
「林住期」(りんじゅうき)に「白秋」(はくしゅう)
「遊行期」(ゆぎょうき)に 「玄冬」(げんとう)をあて
て考えてもよいだろう。(略)
とりあえず「学生期」と「家住期」を人生の前半と考える。
いまならほぼ五十歳までがその時期にあたるのだろうか。
そして、「林住期」と「遊行期」が後半である。
その人生の後半に、いま私は注目する。人生のクライマッ
クスは、じつはこの後半、ことに五十歳から七十五歳までの
「林住期」にあるのではないかと最近つくづく思うようにな
ってきたからである。
「学生期」はいわば青少年時代だ。心身をきたえ、学習し、
体験を積む。そして「家住期」は社会人の時期である。就職
し、結婚し、家庭をつくり、子供を育てる。
五十歳から七十五歳までの二十五年。その季節のためにこそ、
それまでの五十年があったのだと考えよう。考えるだけでは
ない。その「林住期」を、自分の人生の黄金期として開花さ
せることを若いうちから計画し、夢み、実現することが大事
なのだ。(略)
「林住期」という言葉の、字体や音から受けるイメージは、
必ずしも輝きにみちているとはいえない。「リンジュウ期」
と読んで、ふと「臨終期」を連想する人もいるだろう。しか
し、ここでいう「林」というのは必ずしも山野とは限らない。
鴨長明は五十歳を過ぎて京の町を離れ、自然の中に一人住ん
だが、彼がそこに求めたのは俗世間の掟にしばられない精神
の自由であった。
幼年期の思い出も貴重である。少年時代、青年時代の遍歴
も、終生忘れることのできない輝きにみちている。社会人と
なってからの二十五年間は、まさに生涯のピークのように感
じられるかもしれない。
それに対して後半に当たる「林住期」は、枯れたセイタカ
アワダチソウのように、老いと死へむけて徐々に坂を下って
いくイメージでとらえられてきた。そして「遊行期」は、フ
ィナーレのさびしい余韻を思わせるものだった。
しかし、人間はなんのために働くのか。それは生きるため
である。そして生きるために働くとすれば、生きることが目
的で、働くことは手段ではないのか。いま私たちは、そこが
逆になっているのではないかと感じるときがある。
働くことが目的になっていて、よりよく生きてはいないと、
ふと感じることがあるのだ。人間本来の生き方とはなにか。
そのことを考える余裕さえなしに必死で働いている。
乱暴な言い方だが、私は、現代に生きる人々は五十歳で、
いったんリタイアしてはどうかと思うのだ。実際には六十歳、
それ以上まで働くこともあるだろう。しかし、心は、五十歳
でひと区切りつけていいのではあるまいか。(略)
五十歳になったら、今の仕事から離れる計画を立てる。そ
のまま死ぬまで現在の生活を続けたければ、それもいい。好
きな仕事をして生涯を終えることができたら、それはたしか
に幸せな人生である。
しかし、やはりひと区切りつけることを考えたい。その区
切りとは、できることなら五十歳から七十五歳までの「林住
期」を、生活のためでなく生きることである。
そんなことできるわけはないじゃないか、と苦笑されて当
然だ。世の中には、自分や自分の家族たちを支えるためだけ
でなく、両親や近親者の面倒を見なければならない立場の人
も少なくないだろう。
また、病気ということもある。老後の不安もある。格差社
会というプレッシャーのなかで、五十歳からの二十五年を生
き抜くことは、それだけでも至難のわざと言っていい。
そのすべてを承知した上で、あえて私は「林住期」を人生
のオマケにはしたくないと考える。どうすればそれが可能だ
ろうか。
ここには魔法の絨毯などはない。発想を変えるだけで世界
が変る、などという提言もない。地味で、つつましい日常の
努力のつみかさねが重要なのだ。
そして大事なことは、人は努力しても必ずそれが酬われる
とは限らない、と覚悟することだろう。寿命には天命という
ことがある。どんなに養生につとめても、天寿というものを
変えることはできない。人生は矛盾にみちている。不条理な
ことが無数にある。
すべてに対して愛を惜しみなくそそいだ人が、なんともい
えない不幸にみまわれることもある。悪が栄えて、正義が破
れることもある。それを「苦」というのであって、「苦」と
は、生きることは辛いことだという嘆きの悲鳴ではない。
「苦」の世界の中で、「歓び」を求める。真の「生き甲斐」
をさがす。それを「林住期」の意味だと考える。(略)
-+- -+- -+- -+- -+- -+- -+- -+- -+- -+- -+- -+- -+-
「林住期」の真の意味は、「必要」からでなく、「興味」に
よってなにごとかをする、ということにある。(略)
要するに「林住期」においては、金のためになにかをしな
い、と決めるべきなのだ。どこか地方の寺にでも転がりこん
で、坊さんの修行をするのもいいだろう。アジアやアフリカ
の国々へ出かけて、木を植えたり、井戸を掘ったりするのも
いいだろう。図書館に日参して、好きな作家の全集を読破す
るのもいいだろう。ギターを買ってバンドをやるのもいいだ
ろう。素質のある人なら俳句や短歌に打ち込む道もある。気
功や呼吸法の奥義をきわめるもよし、古武術を学ぶのもいい。
要するに道楽である。道楽で金を稼ぐべきではない、とい
うのがわたしの意見だ。「家住期」と「林住期」の違いは、
やることのないようではない。分野の相違でもない。金を稼
ぐための仕事と、報酬を求めない仕事の差である。(略)
いま生活していくだけでも大変なのに、そんな将来のために
たくわえる余裕などあるものか、と腹を立てる向きもあるだ
ろう。しかし、積極的にそなえるゆとりがなければ、消極的
にそなえるという道もないわけではない。それは「林住期」
を放浪の聖のように生きる決意だ。捨てる生きかた、とでも
いおうか。(略)
人は孤独のなかに自己をみつめることによって、天地万物の
関係性を知ることができるのかもしれない。仏教でいう縁起
とは、すべてのものは孤立して存在してはいないということ
だ。家出をするということは、人非人になるということだ。
しかし、人非人になることでしかつかめない真実というもの
もある。(略)
「林住期」に金を稼ぐためでなく生きるということは、自分
が自由になると同時に、世のため、人のために生きるという
ことでもある。それがただ働きであったとしても、道楽と覚
悟すればなんでもないだろう。(略)
「林住期」は、おもしろい時期である。ひょっとして、人間
としてもっとも有意義な生き方ができる時期かもしれない。
人生の黄金期、そして収穫期(ハーベストタイム)としての
二十五年間を、ぜひ見出してほしいと思うのだ。(略)
私たちが感じるふとしたうつの気配は、人間としての裸の
真実に触れた瞬間のおびえのようなものかもしれない。それ
は不気味な感覚でもあり、不可解な存在でもあるのだ。それ
こそがうつの正体である。そしてそれは人間にとって重要な
瞬間なのだ。 (略)