投稿者TotoroBrother2017年9月5日
数年に一人ぐらいの割合でしか出会わない作家やライターという僥倖がある。今回巡り合ったのは、”ブレイディみかこ”という名前の英国に住む保育士だった。この人の書いた本の名前が『子どもたちの階級闘争』。”ブロークン・ブリテンの無料託児所から”という副題のついた本で、みすず書房から出ている。
そのタイトルが「おや?、えっ?」と思わせるものだったので、みすず書房という出版社の信頼感もありジュンク堂で店員の女性に探してきてもらって、中身も見ずに買った。買って正解だった。まだ読まれていない方には、ぜひお勧めしたい。
彼女の言うところの「底辺託児所・緊縮託児所」での経験を綴ったものだが、不思議と各章の最後にほとんど宗教的といってもいい感動と感銘に打たれ、涙を誘う文章がある。著者の故郷は隠れ切支丹の伝統の残る土地だとどこかに書かれていたが、その宗教観が受け継がれているのではなかろうか。また、モンテッソーリ校で教員として働いていたというアニー(・レノックス似の責任者)の作った託児所で働き、そこで継承された幼児教育の理念のおおらかさと潔さにも心打たれる。決して涙腺崩壊を企んだような安直な本ではない。
ある意味冷徹に、労働党と保守党の政権交代の間で揺すられ続ける貧民街に住む労働者階級や、そもそも働くことをしないのでもはや労働者階級とも呼べないアンダークラス(親子三代生活保護で生きている)や移民たちの子供を保育所や託児所で世話し続け、地べたからポリティクスを見つめて、叫んでいる。
「おわりに」にある言葉は、
「緊縮託児所の閉鎖を経験して、フードバンクに変わり果てたその部屋を見たとき、<略>わたしにはそこからなくなったものがはっきりとわかった。なくなったものこそが、そこにあったものだからだ。
それは、アナキズムと呼ばれる尊厳のことだった。アナキズムこそが尊厳だったのである。」
また上の言葉と対照的に「天使を憐れむ歌」P.109では日本の保育士の配置基準が英国のそれに比べてほとんど2倍の人数であることに触れ、
「ふっと日本の保育園で行儀よく合奏していた子供たちの姿が浮かんだ。日本の保育士や子どもたちにはこんなふうに一対一で触れ合う時間がどのくらい許されているのだろう。
日本政府はさらに配置基準を緩和して、一人の保育士が見る幼児の数を増やすことで待機児童問題を解決しようとしているという。」として、
「日本国厚生労働省様
保育士のいたずらな弾力化は、日本の子どもたちのさらなる天使化を招くおそれがあります。それは憎たらしくも愛すべき個性的な悪魔たちが育つ地盤を奪う可能性がありますのでどうぞご再考ください。」と、この章を結んでいる。
そう、
この本は人間の「尊厳」を保つための行為の形が「アナキズム」でしかありえない場合について語った本なのだ。
著者の、そこに至るまでの長く辛い過程と、地べたからの深い洞察は敬服の一語に尽きる。
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先日、ブレイディみかこ著『子どもたちの階級闘争』ー”ブロークンブリテンの無料託児所から”という本を紹介した。その時は知らなかったが、8月半ばに第16回新潮ドキュメント賞を受賞していた。(贈呈式は2017年10月6日(金))
なお、前回の紹介文の中でジュンク堂の店員さんに探して来てもらって「中身も見ずに買った」と書いたが、「表紙」は見た。ちゃんと見た。
そして、ああ懐かしいと思った。初めて見る本なのになぜ懐かしいと思ったのか。それは表紙の写真の構図が、私の大好きな(読書のお供でもある)『European Jazz Trio』の『Angie』(邦題:悲しみのアンジー)のジャケット写真を彷彿とさせるものだったからだ。
しかし、子どもたちの駆け込む先が、かたや大豪邸(城?)の門であり、もう一方は無料託児所と思しき建物のドアであるということ。
『Angie』の発表は2001年、『子どもたちの・・』は2017年。この間に何かが大きく変わったのだという事が分かる。
左右の対立から、上下の闘争へと人類は踏み込んだのだろうか。
ついでなので、Youtubeを。Trioといいつつ聞こえてくるギターはJesse van Ruller(ジェシー・ヴァン・ルーラー)。
Europa(哀愁のヨーロッパの名演奏で知られる。)