2018-05-30
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PCのマウスを無線マウスに変えた。ケーブルが1本無くなっただけでとても快適になった。
ケーブルがつっかえて思うように動かせないという気持ち悪さがなくなった。そこでつい
ふらふらとここ最近の思ったことなどを書き連ねてみた。
前東京都知事の舛添要一氏(69)が「確かに大きな問題だが国家を揺るがす問題ではない」
と指摘。その理由として「内政では公文書改竄・破棄や官僚の忖度、外交では米朝首脳会談
のほうが、国の命運を決める」と説明。「しかし、NHK含めてアメフトがトップニュース。
国民が関心があるからという理由だけで、これでよいのか」と疑問を投げかけた。(サンケ
イスポーツ 2018/05/24)
このような事件が起きて国民的関心の的になるたびに全マスコミがそちらの方を注視してし
まい、国家的問題やその危機的局面への関心を国民から引きはがそうとするかのような事態
になり、この舛添氏のような言説もまた幾度となく繰り返されてきた。
われら名もなき民草は、このような賽の河原の石積みのような言説の応酬に関心も興味も持
たず、ただひたすらにそのことの成り行きの面白さにのみ惹かれてテレビや新聞の報道に見
入るのであろうか?
それは違うのではないかと民草の一人である私は思う。われら民草とはいっても、もはやそ
の半分程度は大学教育も受けているのだし、真正の大学教育にふさわしいと思われる教育を
受けているものも1~2割はいるだろう。修士や博士の学位を持つ者もいれば、職業に打ち
込んでその道で学位保持者に負けぬほどの知性と教養を身につけたものもいるだろう。それ
ほど無知な「由らしむべし知らしむべからず」の民草では、もはや、ない。
それではなぜ、そのようにテレビや新聞などの報道に人々は群がるのか?
私の想い着く一つの回答は、われら民草の持つ知恵では、舛添氏のような人の言う国家的問
題などそれはそれは変数の多い複雑怪奇な方程式のようなものであって、その解決法などお
よそ考え及ぶものではない。多分、日本人の政治家の知能や弁舌の技量や論理力、判断力、
交渉力、指導力等のいずれをもってしても太刀打ちの可能なものではあるまいと、悲しくも
「予感」しているのである。
そこへきて、毎日のようにコロコロと生ずるこのような「練習問題」。モリカケがらみの言
った言わない・会った会わない事件や日大アメフト悪質タックル問題は、日本の政治家や指
導的立場にいる者たちがどこまで力をつけてきたのかが分かる初心者向けの練習問題。言わ
ばリトマス試験紙のようなもの。それぞれにわれわれ民草はチェックを怠らず注視している
ということなのだ。そして毎日のように失望し続けているのだがね。
もう、いっそのこと国会議員に国籍制限を設けて「日本人でないこと・ただし日本国のため
に働くこと」を条件に立候補を認めてはどうか、などと真剣に考えて見てはどうだろうか。
日本人ならばこそ、地縁血縁カバン看板だったっけか、しがらみが多すぎて大ナタが振るえ
ないのではないか。心情的にも無意識のうちに「忖度」がブレーキをかけるしね。
まあ、それは冗談であるが(今のところはね。かつては「お雇い外国人」てぇのがいて日本
国は文明開化に成功したんだったが。まあ、それにしてもブループリントは優秀な日本人が
握っていたんだろうけれどね。)
日本の国会議員達が何十年たっても一向に解決できない問題に「一票の格差」の問題がある。
日本は未だ貧しいのである。貧しさは直ちに票の数、国会議員の数に比例するものではあっ
てはならないし、そうならないために国会や他の政府機関があるのであろうが、そこのとこ
ろのからくりは、われわれ民草の容易に知りうるところではない。
『「底辺校」出身の田舎者が、東大に入って絶望した理由』
『大反響「底辺校出身の東大生」は、なぜ語られざる格差を告発したのか』
現代ビジネスに掲載された阿部幸大氏の書かれた二つの記事はJ.D.バンスの『ヒルビリー・
エレジー』の日本版と言っても良いくらいの相似形をなしている。
豊かさはそれぞれ異なる(多様な)のに、貧しさはなぜ、このように似てくるのか?を問う
べきなのだろうか。まだ英国のように「階級」として固定化していないのだけは「まし」で
はあるが、その固定化も進行中であることは多くの方々がその警報を発していることからも
明らかである。
J.D.Vance 『Hillbilly Elegy~A Memoir of a Family and Culture in Crisis~』
ブレイディ・みか子 『子どもたちの階級闘争』
本当に東京とその他地域である片田舎とでは天と地ほどに投入される税金の差がある。それ
ぞれの地域内の国民一人当たりの金額は、均してしまえばそれほどの差ではなくなる?のか
もしれないが、その公共施設にいたるまでの時間・距離・コスト的発想を持ち込んで、運賃
に加えて、所要時間も料金に換算したものも含めて差し引き計算すれば、どうなるのか。
いずれにしろ東京一極集中は貧しさの表れだし(その他の道府県庁所在地の地域にも、その
ような施設を50カ所も作れない)、学校教育も少品種大量生産という、時代遅れの「生産」
手法である。産業界はユーザーニーズの多様化に対応して、とうの昔に多品種少量生産に切
り替えているというのに。
田舎の問題は『機会の不平等~貧困の連鎖』これが無限軌道を描いてLOOPするところにあ
る。輪廻転生を無限に繰り返して解脱のためには、個人の相当な努力か、Gifted(天才)に
生まれついて、さらにその上、良き理解者・支援者・援助者・指導者・メンターなどにも巡
り合うという幸運がなければ、その階層から抜け出せないということを意味している。
この社会が構造的に抱えている、そのために経済が動き、世の中にお金が回るという経済の
仕組み(たとえ恐慌状態(divⅤ=0)でも傾きのある部分に沿って富の集中が得られる。それ
を助けるのは良くも悪くも権力である。これが自由主義の経済原理と理解している)は、こ
れまでのところ功罪相半ばしてきたが、これからは『功=罪』の方が1%の富裕層の方にあ
り、いわれのない『罪=罰』が99%の人々の方へと崩れ落ちて行く様子が見える。これこ
そが、自由主義の経済原理そのものが、あからさまに凝縮・結晶化した姿ではないか。
確か、貧困をレポートした記事にあった、おやつが『塩味のティッシュペーパー』という幼
い姉妹(中学生くらいだったかもしれない)の話は悲しすぎて、怒りさえ湧いてくる。今出
典を探してみたが見つからない。2020年のオリンピックや2019年のラグビーW杯など、玉
遊びや駆けっこなどの『お遊び』などやっていてよいのか? ちょっと、『スポーツ馬鹿と
能天気な惨事便乗型・新自由主義的経済人』が多すぎやしないか? 経済的に潤うのはほんの
一握りの企業だろう。
(ようやくそれらしき記事を見つけることが出来た『「ティッシュって甘いんだよ」幼い姉
妹、母と空腹の日々』朝日新聞デジタル 子どもと貧困 シングルマザー編 足立耕作、山内
深紗子 2015年12月19日 https://digital.asahi.com/articles/ASHDL4VDGHDLPTIL01K.html
有料会員限定記事のため、以下にその部分のみを引用する。『 白飯、サラダ油、しょうゆ。
2年前に生活保護を受けるまで、長野県に住む女性(30)の食卓に、しょっちゅう並んだ
献立だ。ざっくり混ぜて食べると、油のコクで空腹が満たされる気がした。最初はツナ缶の
残りの油をかけていたが、缶詰は買えなくなった。長女(9)と次女(8)は「おいしいよ」
と食べた。おなかをすかせた2人は当時、女性に隠れてティッシュペーパーを口にした。
次女は塩をふってかみしめた。「ティッシュって甘いのもあるんだよ」。後になって長女が
教えてくれた。いい香りのするもらい物のティッシュは、かむと一瞬甘いという。
そんな困窮状態になっても、周囲に「助けて」とは言い出せなかった。』 2019-01-25追記)
子ども食堂などを全国市町村にまで拡大援助して『塩味のティッシュペーパー』の代わりに
せめて栄養のあるパンや温かい給食を与えられないものか?と思う。(お前は彼女らのため
に何をしたんだと問われれば返す言葉もないが、私は私の方法で戦うつもりだとだけは答え
ておこう。)
安倍晋三のことはもう何年も前に『国賊であらねば良いが?』と書いた。訪米し、上下両院
議員の前で拍手喝采を浴びていい気になっていたころだ。ふとアメリカのエスタブリッシュ
メントたちの仲間入りをしたいんだろうなと、危うさを感じたからだ。岸信介に始まる血統
の「良さ」は、余人には手に入れようがないものだからね。類は類を呼ぶというからね。
それが、「モリカケ」で馬脚を現した。私心を捨て、憲法改正に一心不乱に取り組むべきと
ころを、私欲に絡めとられてしまった。その見返りは総理・国会議員を辞めた後、何年か何
十年かしてからゆっくりと「阿部コンツェルン」を築き上げるときに「安倍晋三記念館」へ
の寄付(例えば)という形で返してもらえばよかった。そんなところだろう。だから、そう
やすやすと贈収賄などという野暮ったい罪に問われるようなことはするわけがない。
直ちに贈賄・収賄の愚に及ぶのはエスタブリッシュメントの流儀ではない、彼らは『歴史』
を味方につけるのだ。それがまた実にうまい。英国王室はその最たるもの。過去の栄光(自
国・他国を問わぬ人民の血肉)を歴史でもって濾過・浄化してその上澄みを拝観料?という
形で英国王室を運営している。一切法に触れることなどあり得ない。
安倍晋三はそのエスタブリッシュメントの入り口で、油断して躓いてしまった。有頂天にな
ってしまったのだろうか、高転びに転げた。おかげで日本国は大変な事態になっている。国
会審議は空転しボイコットされ、財務官僚を始めとする官僚機構の威信は地に落ちた。ただ
でさえ能率・効率の悪い官僚機構が悪事まで働くようになってしまった。(今、本当に良い
官僚は、墨塗りを簡単にはがせるようなドジを踏むというようなことまでして抵抗している
のかもしれない。惨事便乗型政治家へのささやかな抵抗として。)
何という国になってしまったのだ、この国は!
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