2018-06-08
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文中にあった「終活」の文字に衝撃を受け、せめて机の周りの積みあがった
本の山を何とかしようと手を付けたのが間違いで、以来ずっと片づけをしている。
この家に引っ越してきて以来だから何十年と触ってもいなかったような場所から
思い出爆弾が見つかる。いや地雷なのかもしれない。うっかり踏むと、思い出の
陥穽に落ち込んで10分や20分は戻って来れないことも珍しくない。
さらに、その最中にトースターが、右半分が焼けなくなったので、K'sデンキに買いに行った。
ついでに見たiPadも4Kテレビも素晴らしく美しいのに感動した。
これだから、K'sに行くのは好きなのである。
私のワンダーランド、ディズニーランド、ユートピア!
地デジやBSのHD映像が普通に見られるようになった時も感動したものだが、
4Kテレビで流れているデモ映像は当時の感動を遥か彼方に押しやってしまうほどだった。
SONYのBRAVIA 55インチのデモがことに良かった。
「こんなに綺麗な北川景子のデモ映像が付いてくるなら最高やなあ~。
ホンモノが付いてくるんやったら死んでもええわ~。」
するとカミサンが、
「死んでもいいというのは私のことでしょ? あんなお綺麗なお姫様が来たら、
さぞかし、見苦しくてお邪魔になるでしょうからね!
私だって竹野内豊がついてくるんなら、、、。」だと。
カミサンの前で、みだりに北川景子を美しいと言ってはいけないということを学びました。
と、また余談になってしまったが、今のビデオデッキに増設しようと2台目の
USB-HDDを買ってきた。これが、全くの空振りで、すでに1台USB-HDDが
ついているので、2台目を増設しようと思ったのだが、登録は8台まで可能だが、
同時使用できるのは常に1台のみ。という制限があったのだった。
これに気が付くまで、2時間ぐらい孤軍奮闘してしまった。
さらに、会社が買ってくれたHPのノートPCが、無線LANしかインターフェースが
ないのだが、プツンプツンとよく切れて使い物にならない。7~8年前に友人に
譲ってもらった無線LANルーターなので相当に古い。11acなどという規格以前の
ものだからなおさら遅いので、これも新しいのに買い替えた。そして先ほどの
USB-HDDのリベンジを図ろうと思った。細かく書いてもしょうがないので書かないが、
これも3~4時間かかってようやく、ほぼ望む形になった。
そんなこんなで、2日ぐらいが過ぎて行って、返信できずにいた。すみません。
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2018-05-30
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PCのマウスを無線マウスに変えた。ケーブルが1本無くなっただけでとても快適になった。
ケーブルがつっかえて思うように動かせないという気持ち悪さがなくなった。そこでつい
ふらふらとここ最近の思ったことなどを書き連ねてみた。
前東京都知事の舛添要一氏(69)が「確かに大きな問題だが国家を揺るがす問題ではない」
と指摘。その理由として「内政では公文書改竄・破棄や官僚の忖度、外交では米朝首脳会談
のほうが、国の命運を決める」と説明。「しかし、NHK含めてアメフトがトップニュース。
国民が関心があるからという理由だけで、これでよいのか」と疑問を投げかけた。(サンケ
イスポーツ 2018/05/24)
このような事件が起きて国民的関心の的になるたびに全マスコミがそちらの方を注視してし
まい、国家的問題やその危機的局面への関心を国民から引きはがそうとするかのような事態
になり、この舛添氏のような言説もまた幾度となく繰り返されてきた。
われら名もなき民草は、このような賽の河原の石積みのような言説の応酬に関心も興味も持
たず、ただひたすらにそのことの成り行きの面白さにのみ惹かれてテレビや新聞の報道に見
入るのであろうか?
それは違うのではないかと民草の一人である私は思う。われら民草とはいっても、もはやそ
の半分程度は大学教育も受けているのだし、真正の大学教育にふさわしいと思われる教育を
受けているものも1~2割はいるだろう。修士や博士の学位を持つ者もいれば、職業に打ち
込んでその道で学位保持者に負けぬほどの知性と教養を身につけたものもいるだろう。それ
ほど無知な「由らしむべし知らしむべからず」の民草では、もはや、ない。
それではなぜ、そのようにテレビや新聞などの報道に人々は群がるのか?
私の想い着く一つの回答は、われら民草の持つ知恵では、舛添氏のような人の言う国家的問
題などそれはそれは変数の多い複雑怪奇な方程式のようなものであって、その解決法などお
よそ考え及ぶものではない。多分、日本人の政治家の知能や弁舌の技量や論理力、判断力、
交渉力、指導力等のいずれをもってしても太刀打ちの可能なものではあるまいと、悲しくも
「予感」しているのである。
そこへきて、毎日のようにコロコロと生ずるこのような「練習問題」。モリカケがらみの言
った言わない・会った会わない事件や日大アメフト悪質タックル問題は、日本の政治家や指
導的立場にいる者たちがどこまで力をつけてきたのかが分かる初心者向けの練習問題。言わ
ばリトマス試験紙のようなもの。それぞれにわれわれ民草はチェックを怠らず注視している
ということなのだ。そして毎日のように失望し続けているのだがね。
もう、いっそのこと国会議員に国籍制限を設けて「日本人でないこと・ただし日本国のため
に働くこと」を条件に立候補を認めてはどうか、などと真剣に考えて見てはどうだろうか。
日本人ならばこそ、地縁血縁カバン看板だったっけか、しがらみが多すぎて大ナタが振るえ
ないのではないか。心情的にも無意識のうちに「忖度」がブレーキをかけるしね。
まあ、それは冗談であるが(今のところはね。かつては「お雇い外国人」てぇのがいて日本
国は文明開化に成功したんだったが。まあ、それにしてもブループリントは優秀な日本人が
握っていたんだろうけれどね。)
日本の国会議員達が何十年たっても一向に解決できない問題に「一票の格差」の問題がある。
日本は未だ貧しいのである。貧しさは直ちに票の数、国会議員の数に比例するものではあっ
てはならないし、そうならないために国会や他の政府機関があるのであろうが、そこのとこ
ろのからくりは、われわれ民草の容易に知りうるところではない。
『「底辺校」出身の田舎者が、東大に入って絶望した理由』
『大反響「底辺校出身の東大生」は、なぜ語られざる格差を告発したのか』
現代ビジネスに掲載された阿部幸大氏の書かれた二つの記事はJ.D.バンスの『ヒルビリー・
エレジー』の日本版と言っても良いくらいの相似形をなしている。
豊かさはそれぞれ異なる(多様な)のに、貧しさはなぜ、このように似てくるのか?を問う
べきなのだろうか。まだ英国のように「階級」として固定化していないのだけは「まし」で
はあるが、その固定化も進行中であることは多くの方々がその警報を発していることからも
明らかである。
J.D.Vance 『Hillbilly Elegy~A Memoir of a Family and Culture in Crisis~』
ブレイディ・みか子 『子どもたちの階級闘争』
本当に東京とその他地域である片田舎とでは天と地ほどに投資される税金の差がある。それ
ぞれの地域内の国民一人当たりの金額は、均してしまえばそれほどの差ではなくなる?のか
もしれないが、その公共施設にいたるまでの時間・距離・コスト的発想を持ち込んで、時間
も料金に換算したもので計算すれば、どうなるのか。いずれにしろ東京一極集中は貧しさの
表れだし(その他の道府県庁所在地の地域にも、そのような施設を50カ所も作れない)、学
校教育も少品種大量生産という、時代遅れの「生産」手法である。産業界はユーザーニーズ
の多様化に対応して、とうの昔に多品種少量生産に切り替えているというのに。
田舎の問題は『機会の不平等~貧困の連鎖』これが無限軌道を描いてLOOPするところにあ
る。輪廻転生を無限に繰り返して解脱のためには、個人の相当な努力か、Gifted(天才)に
生まれついて、さらにその上、良き理解者・支援者・援助者・指導者・メンターなどにも巡
り合うという幸運がなければ、その階層から抜け出せないということを意味している。
この社会が構造的に抱えている、そのために経済が動き、世の中にお金が回るという経済の
仕組み(たとえ恐慌状態(divⅤ=0)でも傾きのある部分に沿って富の集中が得られる。それ
を助けるのは良くも悪くも権力である。これが自由主義の経済原理と理解している)は、こ
れまでのところ功罪相半ばしてきたが、これからは『功=罪』の方が1%の富裕層の方にあ
り、いわれのない『罪=罰』が99%の人々の方へと崩れ落ちて行く様子が見える。これこ
そが、自由主義の経済原理そのものが、あからさまに凝縮・結晶化した姿ではないか。
確か、貧困をレポートした記事にあった、おやつが『塩味のティッシュペーパー』という幼
い姉妹(中学生くらいだったかもしれない)の話は悲しすぎて、怒りさえ湧いてくる。今出
典を探してみたが見つからない。2020年のオリンピックや2019年のラグビーW杯など、やっ
ていてよいのか?
子ども食堂などを全国市町村にまで拡大援助して『塩味のティッシュペーパー』の代わりに
せめて栄養のあるパンや温かい給食を与えられないものか?と思う。(お前は彼女らのため
に何をしたんだと問われれば返す言葉もないが、私は私の方法で戦うつもりだとだけは答え
ておこう。)
安倍晋三のことはもう何年も前に『国賊であらねば良いが?』と書いた。訪米し、上下両院
議員の前で拍手喝采を浴びていい気になっていたころだ。ふとアメリカのエスタブリッシュ
メントたちの仲間入りをしたいんだろうなと、危うさを感じたからだ。岸信介に始まる血統
の「良さ」は、余人には手に入れようがないものだからね。類は類を呼ぶというからね。
それが、「モリカケ」で馬脚を現した。私心を捨て、憲法改正に一心不乱に取り組むべきと
ころを、私欲に絡めとられてしまった。その見返りは総理・国会議員を辞めた後、何年か何
十年かしてからゆっくりと「阿部コンツェルン」を築き上げるときに「安倍晋三記念館」へ
の寄付(例えば)という形で返してもらえばよかった。そんなところだろう。だから、そう
やすやすと贈収賄などという野暮ったい罪に問われるようなことはするわけがない。
直ちに贈賄・収賄の愚に及ぶのはエスタブリッシュメントの流儀ではない、彼らは『歴史』
を味方につけるのだ。それがまた実にうまい。英国王室はその最たるもの。過去の栄光(自
国・他国を問わぬ人民の血肉)を歴史でもって濾過・浄化してその上澄みを拝観料?という
形で英国王室を運営している。一切法に触れることなどあり得ない。
安倍晋三はそのエスタブリッシュメントの入り口で、油断して躓いてしまった。有頂天にな
ってしまったのだろうか、高転びに転げた。おかげで日本国は大変な事態になっている。国
会審議は空転しボイコットされ、財務官僚を始めとする官僚機構の威信は地に落ちた。ただ
でさえ能率・効率の悪い官僚機構が悪事まで働くようになってしまった。(今、本当に良い
官僚は、墨塗りを簡単にはがせるようなドジを踏むというようなことまでして抵抗している
のかもしれない。)
何という国になってしまったのだ、この国は!
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2018-03-26
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今日のPRESIDENT Onlineに添付の二つの記事が出ていました。
釈迦に説法とは思いつつ、転送します。
優秀な人が会社を去っていく、7つの理由2018.3.26.pdf
裁量労働制日本では無理これだけの理由2018.3.26.pdf
2~30年前、私が感動した話にこのようなものがありました。
「ある官庁に勤めていた運転手が、確か30年間の勤務を終え、
退職後、ようやくゆっくりと味わいつつ、お酒を飲んだ」と
いう簡単なお話です。ずいぶん前のことなのでディテールは
忘れてしまっているのですが、話の筋は変わらないと思います。
感動すべき点はその理由にありました。この運転手は大臣や
首相クラスの専属運転手であり、そういう方は有事の際に、
緊急に出動することがある。従って運転手である自分にいつ
不意の呼び出しがあるかわからない。どんなときにも直ちに
対応できるように、好きなお酒を30年間も自分から断って
いたのだそうです。
このような自主的な、立派な働き方をするような人を、かつ
ての日本はきっと多く抱えていたに違いありません。そういう、
「武士の覚悟」のようなものが日本人全体に広まって、「奉公
の覚悟」となり、「日本人の常識・美点」となっていたのでは
ないかと、私などは推測するのです。
以前の会社に、ボランティアで少年サッカーの指導や遠征の
ために親や子供たちを自分の車を出して運転手を買って出る
ために親や子供たちを自分の車を出して運転手を買って出る
という部下がいました。私と同じネットワークの担当者です。
彼はいつも「留守番は分藤さんがいるから大丈夫ですよ。」と
言いながら、毎月のように遠征に出かけてゆくのです。
そこで、「この運転手のような人もいるんだよ、ネットワーク
担当者なら、いつ起きるか分からない障害に備えて1時間
以内に駆け付けられるところに居ることが望ましい。」という
ことを伝えましたが、もちろん強制はできません。労働法違
反になるからです。それからも彼の遠征は続きました。遠く
青森(?)に行ったときには、リンゴがまるごと1個入った
菓子をお土産に買ってきてくれ、「毎回、留守番をしてもら
って、済みません。」とは言ってくれましたが。
時代はさらに自由になり、「裁量労働制」や「働き方改革」
などとかまびすしいものとなりましたが、世の片隅には、
今なお、先の運転手のように「奉公の覚悟⇒武士の覚悟」
へと遡及できる、「古き善き日本人」の心を持った人たちも
きっといることと思います。
「連合赤軍あさま山荘事件」や「東大落城」などを書いた
佐々淳行氏など、その典型ではないでしょうか。我々とは
比べ物にならない血筋と知能を備えた、自称「護民官」で
したが、佐々淳行氏の本を読むと、戦後の警視庁・警察庁
・自治省(後藤田正晴氏)あたりの高文試験組にはそのよ
うな方が多かったようです。彼らが本来のエリートたちな
のかもしれません。
今は森友学園問題で大蔵省・財務省のエリート中のエリー
トであるキャリア官僚の公文書改竄事件が世間を騒がせて
いますが、国民や国家を憂いての行動でもなく、ただひた
すらに、特定の個人とそのお友達に卑屈なほどに便宜を図
り、省利省益・官僚機構の温存と昔日の権威の復権にのみ
奔走する様がみて取れます。組織を裏側から支配し、内閣
人事局の解体が当面の目標なのでしょう。こんな連中は、
とてもエリートとは呼ばれないでしょう。エリ-トとは、
『ノブレス・オブリージュ』の精神を受け継ぐ者たちであ
って、その故に決して私利私欲の徒ではありえないからで
す。
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2018-03-20
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みなさん、
昨晩(3/19)、添付の記事と世阿弥の「風姿花伝」の一節を読み、多少感じることがありましたので、
その一部でも何かの役に立つのではないかと、余計なお世話とは知りつつ、ここに要点のみ
でも記しておきたいと思います。
稲盛和夫氏は、「利他」の精神がビジネスの根幹になければならないと説いたそうです。
坂本孝俺の株式会社社長は、かなり早い時期からの稲森塾の塾生だったそうですね。
その坂本氏が稲盛塾頭に叱られ「45分で一生の財産を与えられた」話が添付の資料です。
とても面白く興味深いのですが、しかしそれは、本筋ではありません。
問題は坂本氏が稲盛塾頭の教えのどこに感銘を受けて入塾に至ったかです。
さて、いったん「風姿花伝」に話が飛ぶのですが、お許しください。。
世阿弥はこの本の中で、「時分の花」ということを言っています。
人間の成長過程を7段階に分けて、その時々の教育(芸能の教育)について気を付けなければ
ならないことを説いているのです。教育論ですね。その骨子は以下のようになっています。
①6歳ぐらいから始めよ「打ち負かせて、心のままにせさすべし」
②12~16歳順序正しく「細かなる物まねなどはせさすべからず」
この年頃になると「キラリとさえている子」がいるが
「この花はまことの花にはあらず、ただ時分の花なり」
③17~24歳「第一の花が失せ」て「手立て、はたと変わりぬれば、(やる)気を失う」
④25~34歳「芸能の定まる初めなり。さるほどに、稽古のさかいなり」
周囲からも「上手になった」とおだてられ、自分でもついそう思い込んでしまう頃。
「このころの花こそ初心と申す」当人は奥義を極めたような気になり慢心する。根本的な内省が必要。
「わが位のほどほどよくよく心得」「位より上の上手と思えば、もとありつる位の花も失せる」
(実力以上の上手と驕れば、もともとあった実力の花さえもやがて失ってしまうの意味か)
⑤35~44歳「盛りの極め」全盛期「さるほどに、上がるは三十四五までの頃、下がるは四十以来なり」
⑥44~50歳「よき脇の為手(シテ)を持つべし」「もしこの頃まで失せざらん花こそ、まことの花にてはあるべけれ」
⑦50有余から、「麒麟も老いては駑馬に劣る」ただし、「見どころは少なしとも、花は残るべし」
年齢を重ねるほどに非常に手厳しい、甘えなどありえない教育論です。
私流に短く解釈すれば、
①幼いころから型に嵌めるな。
②青年期に多少光るものがあったとて「時分の花」に過ぎない。
③途中でその光が消えて、いったんは道に迷う事もある。
④その後で来た成功に慢心してはならない。「このころの花こそ初心」
⑤やがて全盛期が来る。
⑥その後は後進の教育に努めよ。
⑦歳をとっては若い者には勝てない。しかし、このように努力してきた者には、
多くはないが「花は残るべし」。
私事ながら、中学生の時ブラスバンドのコンテストの課題曲が「序・破・急」という
名前の曲でした。最初は知らなかったこの名前の意味を早速調べてみて、それ以来、
物事を理解するときの、特に、成長や認識の過程を、生々流転の物事を捉えるときな
ども、この「段階がある」という考え方は、ヘーゲルの弁証法の「正・反・合」の3
段階以上に、私が物事を認識する上で非常に役立ってくれました。
世阿弥は人間の成長段階を、さらに七段階に細かく観察しています。
そして彼は室町時代にこの「風姿花伝」という名著を残してくれているのです。
さて、私は人の成長段階だけでなく、企業の成長や歴史にもこのような段階がある
のではないかと思ったのです。いや、その例えを使った方が、人に伝えるのに分かり
易いだろうと考えたのです。
いま華やかなIT関連企業などは、どの段階でしょうか?
立て続けに不祥事を引き起こしている大企業や官僚機構はどの段階でしょうか?
大分石油はどの段階でしょうか?
それは人によって解釈の異なる事柄でしょう。一概にはどの段階とは決められない
ものと思われます。物事のどの局面に光を当てるかで見え方が違う、人それぞれに
担当している局面(職務)が違うので、当然です。
大事なことは、それぞれの段階で、特に気を付けなければならないポイントがある
ということではないでしょうか。
そして、企業を経営する上では「利他」を心掛けなければ、稲盛塾頭に叱られます。
これはどの成長段階にあっても必須のことなのですが、成長段階によっては、それを
実行・実現することができないこともあるでしょう。
例をあげれば、〇〇〇〇〇さんは、「版管理が複雑になるので、ファイヤーウォール
のマニュアルは作らないことにした。」と言われました。このような態度に、私は
「マニュアルのないシステムやソフトウェアなど、売ってはならないものではないで
すか?」と意見したのですが、何の効果もありません。
顧客に対するこのような態度は、稲盛塾頭が最も嫌うものであろうことは火を見る
より明らかではないでしょうか?ここに「利他」の精神は見えません。おかげで
私は臼井さんと必要以上のメールを往復させなければなりませんでした。大変な
手間と時間の浪費でした。願わくは、私に提示された説明や図解資料などを、是非、
まとめて頂いて「〇〇〇〇-Firewall入門者・初心者のための基礎知識」とでもして、
次の顧客のために準備しておいていただきたい。我々の費やした時間と労力を是非
活用していただきたい、無にしてほしくない、と思うのです。
〇〇〇〇〇〇のエンジニアの方々も、これまで実務的な勉強をされてこられたとき、
「教科書的な書物」には、もちろんお世話になったでしょう。それと同じほど、
あるいはそれ以上に実務知識の習得にお世話になったのが「各種マニュアル類」
ではなかったでしょうか?いま、あなた方は「借りを返す番」となったのです。
ここに、「利他の精神が結実する」のです。...「初心忘るべからず。」
さて、〇〇〇〇〇〇さんの企業としての成長段階はどこまで来ているのでしょうか?
まさか「時分の花」の段階ではないでしょうね。(笑い)
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