2.3.1 権利保持戦略が生まれた背景
学術雑誌に掲載される論文の著作権は、多くの場合、出版契約により出版社に譲渡されます(参照【実践編】2.3 セルフアーカイブ時の注意点②著作権)。出版社は著者から譲渡された著作権を根拠に、機関リポジトリ等で論文の公開が可能となるまでのエンバーゴ(公開禁止)期間を設定しており、論文の即時OAの妨げになっているとされています。
また、著作権を出版社へ譲渡することで、著者が自身の著作物を自ら複製したり、再利用したりする権利を失うことも問題視されています。
2.3.2 権利保持戦略とは
権利保持戦略(Rights Retention Strategy)とは、著者が出版社へ著作権を譲渡する前に、論文の公開・再利用等に関する利用許諾を所属機関や研究助成機関に与える、または研究助成機関が助成金受給者に対して、論文にCC BYライセンスの付与を義務付けることにより、即時OA化を目指すものです。これにより、エンバーゴ期間の終了を待たずに、論文を公開できるようになります。また、一度付与したCCライセンスは取り消すことができないので、CC BYライセンスの論文は、誰もが自由に利用できるようになります。(参照【実践編】2.4 セルフアーカイブ時の注意点③CCライセンス)
権利保持戦略の代表例として、ハーバード大学文理学部によるOAポリシー、Plan Sにおける権利保持戦略が挙げられます 1), 2), 3)。
2.3.3 大学における権利保持ポリシー
2008年にハーバード大学文理学部が採択したOAポリシーでは、教員は大学に対して、商業目的での販売を除き、論文に関する著作権を行使する非独占的で取消不能な許可を与えるものとしています。そして、大学が論文を公開するために、教員は著者最終稿を提出すると定められています。
権利保持を定める他の大学でも、多くが権利保持に関する条文をOAポリシーに含めています。中にはSelf-Archiving Policy、Research Publications & Copyright Policyなど異なる名称のもとで、権利保持を定める場合もあります。これらは「機関による著者の権利保持ポリシー」(IARRP: Institutional Author Rights Retention Policies)あるいは「機関権利保持ポリシー」(IRRP: Institutional Rights Retention Policies)と総称されています。
機関権利保持ポリシーは、主に以下の要素から構成されます 4)。
・ 研究者(すなわち著者)は、所属機関の規定に基づき著作権を保持する。これは研究助成を受けている研究者だけでなく、すべての研究者を支援する。
・ 研究者は、論文原稿を一般公開するために、大学に非独占的かつ取消不能の世界的ライセンスを付与することに同意する。これは通常、クリエイティブ・コモンズ表示(CC BY)ライセンスの条件に基づく。
・ 研究者は、研究機関のリポジトリに寄託するために、研究成果のコピーを大学に提供する。
・ 大学は、研究成果のコピーを無料で即時に利用可能にする。
・ ポリシーは通常、研究論文と会議録に適用される。
機関権利保持ポリシーは、研究助成の有無に関わらず、大学所属の全研究者や大学において生み出される全ての研究成果が対象となるため、適用範囲が広くなります。
2023年6月に公表されたSPARC Europeの報告書によると、欧州で権利保持ポリシーを定めている機関は、全131機関中17機関関(14%)であり、32機関(25%)は策定中となっています 5)。
2.3.4 Plan Sにおける権利保持戦略
cOAlition Sは、著者がPlan Sの要件に完全に準拠しつつ、購読型を含む学術雑誌上で研究成果を発表できるようにする、権利保持戦略の策定を2020年7月に発表しました。
その内容は、cOAlition Sを構成する研究助成機関が助成条件を変更してcOAlition Sの組織から資金提供を受けた全ての研究論文には、CC BYライセンスを適用しなければならないとするものです。
cOAlition S は、この新たな助成条件について出版社に通知し、cOAlition Sを構成する研究助成機関から資金提供を受けている著者からの投稿を今後どのように管理するかを示すよう求めました。
2.3.5 Plan Sにおける権利保持戦略への反響
cOAlition S策定の権利保持戦略に対して、2021年2月3日に、国際STM出版社協会が、出版社・学協会と連名でPlan Sの権利保持戦略を支持できないとする声明を発表しました 6)。声明では、権利保持戦略は査読プロセスの管理に必要な収入源に課題をもたらすほか、購読料やAPCを通じた収入を排除することでOA誌への潜在的な支援を損なうものであるなど、支持できない理由を複数挙げています。さらに、声明に署名した出版社は、権利保持戦略は個々の学術雑誌に対して適用されるべきとし、著者に対しては、何が許容されるのかは雑誌ごとに確認すべきであると主張しています。
これに対して、cOAlition Sは即座に反論の回答を示しています 7)。回答では、査読プロセスの管理が多大なリソースを要することに同意しつつも、研究コミュニティが自主的に査読を行なっている点を指摘しています。また、arXivでのセルフアーカイブの多くが論文の雑誌掲載と同時期に行われている状況下でも出版社の収入に影響がないことから、出版社の懸念には理由がないと主張しています。さらに、権利保持戦略をとることは、著者が自分の作品の知的所有権を主張する個人の権利であり、その行使に出版社の許可は必要ないと述べています。
注・引用文献
1 )Harvard Library Office for Scholarly Communication. (2008, February 12). Harvard Faculty of Arts and Sciences Open Access Policy.
https://osc.hul.harvard.edu/policies/fas/ (2024-07-18 最終確認)
2 )Harvard Library Office for Scholarly Communication. Open Access Policies.
https://osc.hul.harvard.edu/policies/ (2024-07-18 最終確認)
3 )cOAlition S. Plan S Rights Retention Strategy.
https://www.coalition-s.org/rights-retention-strategy/ (2024-07-18 最終確認)
4 )Rumsey, S. (2022, October 26). Reviewing the Rights Retention Strategy ― A pathway to wider Open Access? LSE Impact Blog.
https://blogs.lse.ac.uk/impactofsocialsciences/2022/10/26/reviewing-the-rights-retention-strategy-a-pathwayto-wider-open-access/ (2024-07-18 最終確認)
5 )Labastida i Juan, I., et al. (2023, June). Opening Knowledge: Retaining Rights and Open Licensing in Europe.
https://doi.org/10.5281/zenodo.8084051
6 )STM. (2021). Signatories publish statement on Rights Retention Strategy.
https://stm-assoc.org/what-we-do/core-services/ip-copyright/rights-retention-strategy/ (2024-07-18 最終確認)
7 )Kiley, R. & Rooryck, J. (2021, February 3). cOAlition S response to the STM statement: the Rights Retention Strategy restores long-standing academic freedoms. sOApbox.
https://www.coalition-s.org/blog/the-rights-retention-strategy-restores-long-standing-academic-freedoms/ (2024-07-18 最終確認)
参考文献
Angelopoulos, C. (2022, June). Study on EU copyright and related rights and access to and reuse of scientific publications, including open access: Exceptions and limitations, rights retention strategies and the secondary publication right. Publications Office of the European Union. https://doi.org/10.2777/891665 (2024-07-18 最終確認)
Hinchliffe, L.J. (2021, February 17). Explaining the Rights Retention Strategy. The Scholarly Kitchen. https://scholarlykitchen.sspnet.org/2021/02/17/rights-retention-strategy/ (2024-07-18 最終確認)
鈴木康平. (2023, November 1). オープンアクセスにおける著作権とライセンス. 第2回J-STAGEセミナー (JST-STMジョイントセミナー). https://www.jstage.jst.go.jp/static/files/ja/pub_JSTAGEseminar_report2310.pdf (2024-07-18 最終確認)
船守美穂. (2023). 動向レビュー:即時オープンアクセスを巡る動向:グリーンOAを通じた即時OAと権利保持戦略を中心に. カレントアウェアネス, 358. https://dl.ndl.go.jp/pid/13123926 (2024-07-18 最終確認)