OA(Open Access:オープンアクセス)とは、誰もがインターネットを通じて学術論文にアクセスし、再利用できるようにすることを目指すものです。本章では、1990年代から現在に至るまでのOAの流れ、定義、主要な出来事について解説します。
1.1 現在に至るまでのOAの流れ
1.1.1 OA推進の背景
OAという考え方が生まれた背景の一つに、1980年代後半から主に北米の研究図書館で問題視された学術雑誌の価格高騰問題(シリアルズ・クライシス)があります。この時期、学術雑誌の値上がりによって大学図書館の購読タイトル数が減少し、さらなる学術雑誌の価格上昇を引き起こす悪循環が発生しました。研究者は必要な学術雑誌にアクセスすることができず、研究環境の悪化につながりました。学術雑誌は代替不可であるため価格競争にさらされにくいことや、この時期までに学術雑誌の商業化が進んだことがシリアルズ・クライシスの要因だと考えられています。
また、1990年代にはインターネットの普及が進み、学術雑誌の電子ジャーナル化も急速に進展しました。当初、電子ジャーナルは、利便性の向上と、出版コスト削減によってシリアルズ・クライシスの解決策となることが期待されましたが、実際には価格上昇が続いています。
1.1.2 OA運動に連なる動き
一方で、OAに直接連なるような動きも出てきました。1994年には、認知科学者であるハーナッド(Harnad, S.)が「転覆計画」提案を発表し、研究者の立場から、プレプリントを中心とする電子出版が研究成果公表のための学術情報流通のあるべき姿であると主張しました。セルフアーカイブによるOAを最初に提唱したものであること、そして研究者による主張であることから、その後のOA運動にも大きな影響を与えています。
大学図書館の動きとしては、米国の大学・研究図書館協会(ACRL: Association of College & Research Libraries)による1998年のSPARC(Scholarly Publishing and Academic Resources Coalition)設立があります。SPARCは、商業出版社による学術雑誌の価格高騰に対抗することを目的とし、既存の学術雑誌を代替しうる新たな学術雑誌の刊行を目指すプロジェクトを学会と協力して実施しました。その後、機関リポジトリやOAを推進する立場を明確にし、OAの主要な推進者とみなされるようになります。
こうした流れの中で、OAを目指す運動に一定の方向性を示したのが2002年に発布されたブダペスト宣言(BOAI: Budapest Open Access Initiative)です。BOAIは後述するように、OAを全ての人がインターネット上で金銭的、法的、技術的な障壁なしに学術論文を自由に読み、再利用できるようにすることであると明確に定義し、現在グリーンOAとゴールドOAとして整理されるOAの実現方法を示しました。BOAI以降、OA推進に関する国際的な声明や提言が続くこととなります。
OA運動とは、学術論文を全ての人に向けてオープンにすると同時に、それを可能とする学術情報流通の仕組みを模索する過程であるといえます。一方、個々の研究者にとっては自身の学術論文をOA化することで、研究成果の視認性が高まり、他の研究者からの参照機会や引用数が増加することも期待されます。加えて、公的資金が投入された研究成果の市民への還元といった観点から、OAの社会的要請の側面が意識されるようになってきました。
参考文献
倉田, 敬子. (2007). 学術情報流通とオープンアクセス. 勁草書房.