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37.編集後記←掲載(2024.1.22)
大口聖公会の信徒 故松埼喜久男氏によって記載された本説教集制作にまつわる内容です。
故村上先生の大口聖公会との牧師としての交わりの経過およびキリスト教の道を様々な方になみなみならぬ熱意をもって説かれたことなどの記載あります。当時の聖職者と信徒との深い交わりを感じることができます。
36.生くるも死ぬるも←掲載(2023.12.5)
●聖パウロは次のように言っています。
(コリント後書4・16~18)
死ぬるということは、言わば、衣替えです。すなわち復活させられ、よみがえりの生命に生きる、この衣替えが「死」ということです。
●大切にせねばならないことは、なくなった方とわたしたちとの間の愛、この愛を見失はないようにということです。お墓にはいったから愛が消えてしまったとか、愛がうすくなったとかいうことにならないで、世を去った方と世にあるわたしたちとの間の愛の交わりが、日ごとに、深められて行く、高められてゆく、そしてまた新しくされて行くことを信じてまた望んでするのが、お墓まいりの行事であり、記念会の行事であり、あるいは記念聖餐であり、あるいはお供えものであると思います。
●諸聖徒日を迎えましたこのとき、わたしたちの家族の中から召されて行ったあの人この人に思いを寄せ、そしてその人たちのために、神さまのお守りとお導きとがいつもありますように、そしてまたあの方たちとわたしたちの交わりが、神さまのお導きの中で深められ導かれて行きますようにと、神さまを信じ仰いで、死んだ人たちのために祈り、感謝と賛美をささげましょう。
1986年11月1日諸聖徒日
大口教会にて
35.主のみ手にまもられて←掲載(2023.11.14)
●信仰とは「そのお方なくてはわたしが生きられない」そのお方のみ手の中で、生かされ支えられて生きること、そのお方との交わりおつきあいを生きることです。今ここで赤ちゃんのために洗礼式が行われました。
●幼な子の洗礼について、よくこんなことを言う人たちがあります。
「赤ん坊に洗礼したってあれは何になるのだ。何も知らないのに洗礼をしても無駄だ。むしろ大きくなり中学生になったり高等学校の生徒になってから、自分で考えて自分で洗礼を受けた方がいいのだ。」
●幼児の洗礼というのは、神さまとのおつきあいの中にはいれられたしるしであります。それが今日の洗礼式です。いま洗礼によって、赤ちゃんが新しく生れ変りました。生れたままの赤ちゃんがそのままでなく、両親の手よりもっと大きく確かなみ手がそっくりと、この父と母と子をいだきこんで、大丈夫だぞと言って下さる。これが洗礼を受けた親と子のくらしなのでございます。
幼児が神さまの家族である教会の一員として、りっぱに成長されますように、みなさんで祈りと愛をもって、励まし導いていただきたいと思うのでございます。
1986年5月4日
復活後第5主日
大口塑公会にて
テモテ山下拓也らやん洗礼を受ける
34.いのちのみことば←掲載(2023.10.10)
いのちのみことば たえにくすし
見えざるみ神のむね(旨)を示し
つかえまつる道を教う
いのちのみことば たえ(妙)なるかな
いのちのみことば くす(奇)しきかな
主イエスのみことば いとしたわし
あまねくひびきて 世のちまたに
なやむ子らを あめにまねく
いのちのみことば たえなるかな
いのちのみことば くすしきかな
うれしきおとずれ たえず聞こえ
ゆるしとやわらぎ たもう神の
ふかきめぐみ世にあらわる
いのちのみことば たえなるかな
いのちのみことば くすしきかな
(古今聖歌集454)
わたしたちもこの信仰の歌人にならって、神さまのみことば、いのちのみことばなる主イエスさまに聞きしたがい、神さまから罪のゆるしと和らぎをいただき「たえなるかな、くすしきかな」と賛美のうたを歌う者となりたいと思います。
1986年 10月
32.そばに呼ばれるもの←掲載(2023.9.27)
聖霊は、このようなわたしたちのそばにいまして、「言葉に表わせないうめき」をもって、なぐさめはげまし、祈っていてくださいます。祈りなくして生きられないこの人、祈りたくても祈れないこの人を、神さま、どうぞお助けください、と執りなしていてくださいます。このようにして聖霊は、わたしたちのために助け主となってくださいます。
聖霊はいつでもわたしたちと共にいまして、祈りができるように助け、神さまの真理がわかるようにわたしたちをはげまし慰めみらびいてくださいます。
1985年 5月26日
聖霊降臨日・大口聖公会にて
ヨハネ 蓑田 実様 洗礼を受ける
33.信仰のはじまり←掲載(2023.8.29)
B「なにも尻ごみすることはないよ。神さまとの平和の中に一気にとび込んだら好いよ」
A「いや、それがなかなかねえ」
B「君らしくもなく、思い切りが悪いなあ、」
A「自分でもそう思うよ、どうしたら好いだろうか」
B「自分白身に見切りをつけるんだねえ。
自分はこのままではどうにもならぬ、信仰によって義とされ、神さまの平和の中に生きるよりほか仕方はない、と心を決めるんだよ。そして、信じます、神さまどうぞよろしく、と言ってごらん」
A「なるほど。そんな気持になれば好いんだナ」
B「いや、違う。そんな気持なんかではないんだ。
実際に言うんだよ、君の口で。
神さま、信じます、アーメン。
と、ただ一言。
それで信仰は始まるんだよ」
1977年3月27日より
1977年5月 8日まで
鹿児島復活教会週報より
23.鏡にうつるわたし←掲載(2023.8.11)
本物のわたし、本物のあなた、それを見せて下さる立派な鏡を神さまが用意して下さいました。その鏡は右と左か反対にうつらない、そのものズバリにうつる、そういう鏡を神さまが用意して、これを見なさい、これを見れば本物がわかる、と私たちに与えて下さいました。そういう素晴らしい鏡、その鏡のことを教会の日曜学校や夏季学校で、みんなで考えました。そしてその鏡がよごれたりくもったりしないように、よくみがいて、それにうつるけいこをする。それが日曜学校です。教会です。そしてこの鏡にうつる顔がみんな神さまの子供の顔になって輝くようになるのです。どうぞこの鏡を使って、みなさん毎日毎日きれいに楽しくなってください。大きくなるまで、おじいさんおばあさんになるまで、この鏡に自分をうつして「わたしはこれです」と言えるようにし
て下さい。
1983年8月19日
夏季学校にて
31.柴は燃え尽きず←掲載(2023.7.25)
教会もまた、起ちあがりつつある世代を生きて行くべきではないでしょうか。このごろ教会には若い人が少くなったとか、青年がいない、ここも老令者社会だなど言う人たちがいます。そんな人は、八十才にして燃えて起ちあがっだモーセのことを、ただ昔話と考えているのでしょう。わたしたちの教会にも今、燃えても燃えつきない枯柴が燃えさかっているのが見えないのでしょうか。その燃ゆる柴の中から呼びかけておられる神さまのみことばが聞こえないのでしょうか。
あなたもわたしも、そしてわたしたちの教会もみんなことしは青年になりたい。そしてライジング ゼネレイション、起ちあがりつつある世代を生きてゆく年にしたいと思います。
1985年1月20日
顕現後第二主日
大口聖公会にて
30.慰めの子バルナバ←掲載(2023.6.27)
もしもバルナバがいなかったならば、キリスト教の伝道はあのように早く、通い国々にまで進展することはできなかったかも知れません。
もしもバルナバが温かい手をさしのべて橋渡しの働きをしなかったならば、タルソの若者サウロは、異邦人伝道の大使徒パウロとなってあのすばらしい海外伝道をすることはなかったかも知れません。ですからバルナバはキリスト教会の歴史の中でたいへん重要なはたらきをした人であったと言わねばなりません。
バルナバは善き人と言われていますが、それは「聖霊と信仰とにて満ち」ていたからでした。
聖霊とは神さまの御心と御力ということです。信仰とは、神さまの御心と御力に自分をまかせ、それに調和するように生きてゆくことであります。そのような生き方から、(善い)がわたしたらのものになり、バルナバのように「聖霊と信仰とにて満らた」善い人にしていただけるでありましょう。そして誰かのために、いささかでも(慰めの子、バルナバ)になることができるでしょうと思います。
1984年6月11日
聖バルナバ日
大口聖公会にて
29.水をぶどう酒に←掲載(2023.6.6)
神さまが私たちに歩かせて下さるまわり道は、人間が考え作り出す能率的な近道よりは、もっと早くて確かな道であることを忘れてはならないと思います。
奇跡は神さまだけがなさることではありません。神さまのお働きに対して、人が信仰をもってお答えし努力するとき、いつどこででも、水がぶどう酒に変ったような奇跡が起り、神さまの御栄光が現われます。
1984年1月15日
顕現後第二主日
大口聖公会にて
28.福音にふさわしく←掲載(2023.5.18)
・「福音にふさわしく」、とはどういうことでしょう。それは言うまでもなく、喜ぶことでしょう。
・パウロはピリピの人たちに、ただ、皆さん、喜びなさい、というのではありません。「常に喜べ」と言うのです。うれしい時だけ喜ぶのではありません。苦しい時も、悲しい時も、いつでも喜べというのです。
・キリストさまの中にわたしたちを受け入れていただき、キリストさまの生命を生き、キリストさまのお喜びを喜ばせていただく、それが「主にありて」喜ぶということであります。
・感謝するどころでない、祈りもしたくない、神さまなんてもう考えたくない、という信仰のギリギリの線まで押しやられ、絶望的になっている人に、たしかな答えを与えてくれるのは聖書のみことばだけだと思います。
・とにかく、神さまに「ありがとうございます」と申し上げる感謝の一言によってどんな行きずまりの道も開けて行きます。
パウロは、ピリピの教会の人たちが、「ただキリストの福音にふさわしく」日を過ごすことによって、人の思いにまさる「神の平安」のうちに守られて生活するようにと、祈りをこめてこの手紙を書き送ったのでした。
皆さん、どうぞこの「ピリピ人への書」を、自分に宛てられた手紙だと思ってじっくりお読みになって下さい。
1984年9月2日 三位一体後第十一主日
大口聖公会にて
27.裸で逃げた若者←掲載(2023.4.26)
マルコ伝福音書が書かれた歴史歴な背景が記載されております。マルコ(ヨハネと呼ばれていた、また母はマリアという名前)がどういう人物であったのか、またその周辺のユダ、バルナバ、サウロ(のちのパウロ)、ビフス、アリスタルコとの人物の関わりを通した宣教活動が記されています。
マルコ伝には、イエスさまがどこでどんなにして生れたか、イエスさまがどういうふうにお育ちになったか、という誕生物語あるいは少年時代のことはいっさい書いてありません。いきなりバプテスマのヨハネの活動を書き、それにつづいて主イエスさまの活動を書いています。しかも主イエスさまの活動では、マタイやルカの福音書のようにそのなさったお話や説教が中心ではなくて、動きが中心になっています。主イエスさまの活動、神の子キリストとしての動きを書こうとしています。ですからマルコ伝は非常に活動的な福音書です。
実に面白く、興味深いお話です。
1983年 4月25日
聖マルコ日
大口聖公会にて
26.ダマスコへの道←掲載(2023.3.19)
タルソ出身のサウロがクリスチャンになったときのいきさつが記してあります。彼はその信仰を一人でも多くの人にすすめねばならないという気持になって伝道に出発します。そしてその伝道旅行のあいだに、サウロという名をパウロと変えました。これがのちの大伝道者パウロです。
キリストさまを信じなくてはならないようにタルソのサウロの心を根底からゆり動かし変えたものは何であったかの信条の変化を学び、考え
「われら主イエスキリストによりて神に感謝す」
と言えるように生きていきたい。
1983年 1月25日
聖パウロ改心日
大口聖公会にて
25.我を誰と言うか←新規掲載(2023.2.12)
主イエスさま、あなたは私のために預言者として油そそがれた方でございます。神さまのみことばを常に示し与えて下さいますことを感謝いたします。天地は過ぎ行くとも変ることのないそのみことばを固く信じ、それをわが生活の指針として、生きて行くようお導き下さい。
このような祈り心をもって、主イエスさまを仰ぎ「われらの主イエスキリスト」と呼びまつりたいと思います。主イエスさまは今もなお、くりかえしくりかえし、次のように私たちに問いかけておられるでしょう。
「人びとは我を誰と言うか、
なんじは我を誰と言うか、
なんじはほんとうに我をイエスキリストと言うか」
私たちはこの問いかけを聞きもらしてはならない、これに耳をとざしてはならない、聖ぺテロにならって、
「主よ、なんじはキリスト、生きるける神の子なり」
と答え告白し、賛美しつつ主にお従いしたいと思うのでございます。
1983年 6月29日
聖ぺテロ聖パウロ日・大口聖公会にて
24.エリコの石垣←新規掲載(2023.1.27)
私が子供のために祈れる年があと何年あるでしょう、私が孫のためにお祈りしてやれる日があと何日あるでしょう、と聖なるおののきをもって、それまで祈り続けることです。そうするとき、そういう祈りはきっと賛美に変わってきます。そうすれば勝利の日は近いのです。
イスラエルの人たらは、七日目に、みんなでいっしょに喜びの声をあげてエリコの城を突き抜けて行きました。
「信仰によりて七日のあいだ廻りたれば
エリコの石垣は崩れたり」
昔のイスラエルの人々のみでなく、今の私たちもまた、まいにち信仰によってわが歩むべき道をふみしめて歩み、勝ち進んで行きたいと思うのでございます。
1983年7月22日
熊本聖三一教会婦人会にて
21.成人の日←新規掲載(2023.1.9)
人になるとはどういうことでしょうか。それは成人の日を迎えてこれから成人だと言われる人たちだけではなく、私たちは誰でもみんな考えねばならないことではないでしょうか。成人の日を祝ってあげる大人たちがはたして人になっておるでしょうか。一月十五日、成人の日はただ若い人たちだけのための日としておいてはならない。ここで若い人も考えるでしょうが、しかし先に成人の日を迎えたと思っておる大人たち、あるいは成人の日なんていう日が定められていなかった昔に成人したと思っている人たちが、私は大人にはなったかも知れないが、人になっただろうか、どうだろうか、人とは何だろうかと考えるよい機会ではないかと思うのでございます。そこでご一緒に、人とは何か、人になるとはどいうことかと考えてみたいのであります。
20.大晦日まで新年←新規掲載(2023.1.1)
われまた新しき天と新しき地とを見たり。これさきの天とさきの地とは過ぎ去り、海もまたなきなり。われまた聖なる都、エルサレムの、夫のために飾りたる花嫁のごとくそなえして、神のもとをいで、天よりくだるを見たり。また大いなるみ声のみくらよりいずるを聞けり。いわく
「みよ、神の幕屋(まくや)、人と共にあり、神、人と共に住み、人、神の民となり、神みずから人と共にいまして、かれらの目の涙をことごとくぬぐいさりたまわん。
今よりのち死もなく、悲しみも叫びも苦しみもなかるべし。さきのものはすでにすぎ去りたればなり」
かくてみくらに座したもうもの、言いたもう
「みよ、われすべてのものを新にするなり」
また言いたもう
「書きしるせ、これらの言葉は信ずべきなり、まことなり」
(ヨハネ黙示録21・1~5)
どうぞ皆さんこの1982年を、あなたのための新しい年として迎えて下さい。今年もまた神様の年キリスト様の年です。そしてそれゆえにこれはあなたのために日毎に新しい年となるでしょう。どうぞ希望と感謝と喜びをもってこの年をお過ごし下さい。そして今年の終りに
「ああ神様、今年は大晦日まで新年おめでとうございいました」
と言えるようにしていただきたいと思います。
17.さしのべられた手←新規掲載(2022.11.26)
18.み栄えとわに←新規掲載(2022.11.26)
19.弓の歌←新規掲載(2022.11.26)
「17.さしのべられた手」、「18.み栄えとわに」、「19.弓の歌」、この三つは「歌い上げし人」と題した小冊子にして、
1982年12月 郡山 淳先生 御逝去10周年を記念して捧げられたものである。
郡山老師をしのびて
たたへ歌口ずさみつつ杖ひきて
河頭(こがしら)の山を師は越えましぬ
師の君の行き交ひましし山の道
バスには乗らずひとり越えゆく
15.みんなお友だち←掲載(2022.10.31)
大口幼稚園母の会での村上先生の大口幼稚園の教育方針についてのお話です。
一生の間だれとでもお友だちになれる、髪の色が違う人でも、目の色が違う人でも、はだの色が違う人でも、あるいは仕事が違い、風俗習慣が違い、主義主張とか意見が異る人であろうが、どんな人とても、誰とでもお友だちになれるような大きな人物を育てたい、というのがこの幼稚園の願い、そしてこの園長先生の願いでもあります。
14.エマオヘの道←掲載(2022.7.15)
聖書を読むときは、今ここにイエス様がいらして私に聖書を読ませていて下さるという実感を持つことです。自分だけで聖書を読んでいるのではない。主イエス様がここにいらして、主イエス様のそばで私はこの聖書を読んでいる。わからなかったら「イエス様難しいです」とか、「イエス様わかりません」と言えばよい。そうしたらイエス様が、それに応じて分るようにして下さるでしょう。あるいはまた今の私には理解しにくいところがあればイエス様は、まあ分らなければそのまま読んでおけとおっしやるかもしれません。そうするとそのうちいつか、わからないと思っていたところが分かるようになります。
13.よみがえり」←掲載(2022.6.24)
よみがえりというのは死の門を打ちこわして永遠の生命を生きることです。死によって束縛されないということ。肉体から解き放たれてよみから帰る。すなわちよみがえるのです。キリスト様は私たちのためにおよみがえり下さいました。このよみがえりを大切にし、そしてそれをあの人にもこの人にも「あなたもよみがえれるのですよ。あなたもこのよみがえりの生命に一緒につながりましょう」と証しをし奨めをする者になりたいと思います。主のよみがえりの証しをしなければ、私たちの信仰は深まりません。証しをしなければ私たちの信仰はしっかりと根の生えたものになりません。どうか主のおよみがえりの証しをして下さい。
8.別れのとき2.葬送式 ←掲載(2022.6.3)
愛はいつまでも残ります。聖書にはその消え失せない愛について教えて、
「神は愛なり」 (ヨハネ第一書4・16)
と記してあります。愛とは何でしょう。愛とは神様につながることなのです。神様の愛につながってこそ私たちの愛があるのです。
7.別れのとき1・お通夜 ←掲載(2022.5.10)
今日この方がお死にになった。そこでこの方の死んだとはどういうことか、私もいつかはこうなるのですが、私にとって死ぬとはどういうことでしょう。そしてこの死んだ方をどうしたらよいのでしょう。私が死ぬるとき私はいったいどうしてもらうのでしょうか、というようなことを考えましょう。
4.御復活日 ←掲載(2022.4.12)
「我はよみがえりなり、いのちなり、我を信ずる者は死ぬとも生きん」
皆このよみがえりを生きて行きなさい。朽ちない愛を生きて行きなさい。とおまねきになっておられます。御復活日のこの日、このイエス様の呼びかけをしっかりと聞き取りそれに従って行きたいと思うのでございます。
1979年4月15日 復活日
鹿児島復活教会にて
3.なんでも見てやろう ←掲載(2022.3.30)
学問で得た知識をどのように使ったらよいかについてわかりやすくお話されています。
新しい学年を迎えこれから色々見たり聞いたりして、豊に広く深い学問知識をただ頭に蓄えるのではなく、これをどう使ったら神様がお喜びになるのかと、その大事なかなめをみつめつつ、そのスイッチを適確に切りかえながら、見るもの聞くもの学ぶことの何でもが神様のお喜びとなり栄光となるようにと、整理して進んでいただきたいとと思うのでございます。
1979年 4月1日 大斎第五主日
鹿児島復活教会にて
12.宝を天に積む ←掲載(2022.3.9)
収穫とは単に、穀物の収穫だけでなく病気をしたこと、結婚式でおめでとうと言ったことも収穫です。私たちの信仰生活はなにか神様のことを勉強するとか神様のことがわかるとか、教理がのみ込めるとかのみ込めないとか、そんなことが第一ではありません。キリスト教の神学とか哲学とか勉強して、それをしっかり持っていなければ、天国へ入れてもらえない、というのではありません。そうではなくて、何を見ても、あゝ神様有難うございます、と言えるその楽しさ、素晴しいではありませんか。神様もっとあなたに感謝申し上げたいのです、もっとあなたに有難うを言いたいのです。感謝するこそわが生きがいです、という生き方が信仰生活の極致ではないでしょうか。
1981年11月15日 収穫感謝祭
大口聖公会にて
11.心の畑 ←掲載(2022.2.1)
信仰生活を豊かにするための方法、例えばお子さんとかお孫さんに対してどのように教えたらよいでしょうか?などについてのお話です。
1980年2月10日 大斎前第二主日
鹿児島復活教会にて
9.苦しみを献げる ←掲載(2022.1.14)
本当に悲惨な「日本キリシタン殉教史」の紹介があります。
日本のキリシタン迫害は大変なものでした。世界に例が無い、それがただ綿密にしらみつぶしにしたというだけでなく、その迫害の期間が長かった。一年や十年ではなく三百年もの間徹底的に行われた迫害であり、あの雲仙の山の上につれて行ってたぎり立っている温泉の中に足をつけさせる、その足が煮えて大やけどとなり痛むのを見て「それでもキリシタンをやめないか」と責めつける。
「何も献げるものがありません。この苦しみを主に献げましょう」
と言ってあの長崎の浦上村のまずしいお百姓さんの男も女もそして小さい子供まで殉教。
10.ヤコブの涙 ←掲載(2022.1.1)
皆様よくご存知のあの創世記に出てきますヤコブという人の話、神様の前に自らの弱さを知らされた人間がどのようになるかということが創世記の二十五章以下にずっと書かれてあるこのヤコブの物語。わかりやすく説明してあります。
16.クリスマスの木 ←掲載(2021.12.15)
聖書にはクリスマスツリーという言葉は全くないそうです。どうしてできたのか?その説明があります。また今はありませんが、鹿児島の重富の山村(現在の姶良市)の大正時代からの伝道所で、おばあさんたちが七夕みたいなクリスマスツリーをお作りになり、クリスマスをお祝いになったお話(P123)は感動的です。
2.神様とのまじわり ←掲載(2021.11.30)
神を信じるにはどうしたらよいかを対話形式でご説明しております
22.洗礼の話 ←掲載(2021.11.23)
本説教は、38年前、お二人の小学生が、洗礼を受けるときの説教です。小学生でもわかりやすくご説明されております。その小学生のお一人のお子さんが先日、洗礼を受けたそうです
5.永遠のあした ←掲載(2021.11.16)
「死」ということはどういうことなのかについてわかりやすくご説明されております
神様がお二人にこうして健康を与え、また心にみ光をてらして今日までお導き下さり、お誕生の月をこうしてお元気に迎えさせて下さいましたことを感謝いたします。どうかこれからまたいよいよ豊かなめぐみのうちに、おすごしが出来るようにして下さい。主イエス様のみ名によってお願い申し上げます。 アアメン。
1980年9月26日
重富集会にて
私たちの日常生活は神様とどんな関係になっておればよいでしょうか。またどんなに変えてゆくべきかと祈り考え工夫する、これが信仰者の生活でしょう。六日間天地創造のみ業が終わって、神様がすべてのものを見られたところ、はなはだ良かった。そして、始めの人間は、はなはだ良しと言われたその世界に住むことを許されていました。これをただ昔話だ、神話だとしておかないで、神様と私たちの関係を正しく整えることによって今の私たちの生活にこれを活用し実現して、
今日も明日も、
あちらもこちらも、
「はなはだ良い」
と言うような毎日を生きてゆきたいとおもうのでございます。
1980年 3月4日
久留米聖公教会にて