3.何でも見てやろう
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何でも見てやろう 何でも聞にいてやろうというのが、この頃はやりの行き方ですよね。これはいいことですね、何も見たくない、何も聞きたくない、何もやりたくないとなったらそれこそ大変です。お墓に入らねばなりません。長い間日本の国の行き方は、そんな事をやらせない行き方になっていました。それは封建的な、保守的な行き方、もっと大きく言えば、帝国主義の行き方。そしてそれに連なる軍国主義的なそういう立場から、あれ見ちゃいけない。これもしちゃいけないというふうに、押えつけられた時代が、長いこと続きましたよね。
今のような時代になっては、中学生の皆さんや高等学校の人達は想像も出来ない事でした。例えばこんな事、私は北九州に居りましたが、あそこは軍需工業地帯でしたから特にそうでした。あそこでは何も見てはいけなかった。山に登っても、あっち見たりこっち見たりしてはいけない、ましてそこで写真を写してはいけない。写真は勿諭景色を写生してもいけない。あそこを通る汽車は、窓を締めて外の景色は何も見えないよう真暗にして走って行きました。今では想像できないような事ですよね。見てはいけない、聞いてもいけない、そういう風な時が長いこと続きました。それから戦争が終って世の中がひっくり返り、違った考え方生き方をするようになった。それまで押えつけられていた事が無くなった。無くなったというよりもけ飛ばされたのでしょうか、ここはこれより先は兵隊ではないと自由には入れない。それも兵隊の偉い人でないとは入ってはいけない。というようにしてあった所も、自由には入れるようになりました。ですから今では観光旅行だといって、佐世保の九十九島見物に行ったりするでしょう。あそこは軍港で、軍艦以外は入れなかった。それを自由に行って見られるようになりました。人々は束縛や制限から自由になりました。さあ何でも見てやろう、何でも聞いてやろう、何でもしてみようということになりました。ただ日本だけでなく世界中どこへでも行ける、そして色んな事が分るようになって楽しい。だから何でも見て聞いて読んで、好きな事を自由にのびのびとやれるようになりました。
さて、今日は四月一日、今日から新しい学年には入るわけですよね、幼稚園に上ります。小学校には入ります。高等学校大学と皆学校が始まる時になりました。この時は、何でも見てやろう、聞いてやろう、何でも読んでやろうという意欲をもって、新しく出発すべき時ではないでしょうか。
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新しい学年を迎えますこの時、学校に行く生徒さんだけでなく、私達も又新しい行き方で進むことを考えてはいかゞでしょう。冬の間見なかったものを見る。ただ桜の花だけでなくて、私達の心の中にも家庭の中にも、冬の間見たいと思いながらも見られなかったものを見る。夏になったら春に見なかったものが見られる。そういう希望をもって、喜びをもって進んで行きたいと思います。
その時どうやつて見て行きましょうかね、何でも見てやれ、何でも聞いてやれ、どこでも行ってやれというので、気負い立って張り切って、ドタドタドタドタと、いわば泥靴のままで、綺麗なじゅうたんの敷詰めてある部屋の中には入って行くような仕方をした人達もありましたよね。この前の第二次世界大戦が終り、古い生活秩序が否定され新しい時代となった時、日本中にそういう行き方をした人達が沢山ありました。それは若者だけではなかった、日本全体に何かそんなようなものがあった。その一つの例を揚げますと、土足のままでドタドタと玄関から上って行つて、天皇家の台所はどうなっているのだろうか、天皇や皇后は何を食っていたか、おれ達は戦争中はこんなものを食って苦労していた、天皇家の連中は何を食っていたか、扉を引き開けて見てやろうというようなそんな調子の批判、何も私は天皇家を弁護しているわけではないのですけど、これは一寸激しいですよね。粗野というか、とに角少し荒っぽ過ぎます。これは一つの極端な例を揚げましたが、いろいろの事に就いてこれに似たような事が行われました。何でも見た、何でも聞いたが、けしからんことだ満足出来ない事ばかりではないか、そこで集れ集れというので、やっさやっさと色々の事が行われるようになりました。そしてそれはさまざまな混乱と不安を引きおこし、国内のみならず海外にまで、迷惑をかけたり恐怖を与えたりするような事も起ってきました。そこで「何でもしてやろう見てやろうではいけない、そんな勝手な考えを押えなければいけない」などと言うような人達が出て来た。これが恐しいですよね、この頃そういうものがもっともらしい言い方で、戦後の教育のしつけが悪いとか、戦後の民主主義教育は行き過ぎである、などと言うようになった。それは戦前のような押えつけである。そしてこの押えつけ的な考え方には、この頃では一寸キナ臭いにおにさえもつきまとっている。どこでどう間違ったものでしょうか。「何でも見てやろう、何でも聞いてやろう、何でも言ってやろう、何でもしてやろうでは宣しくない。こういう垣根の中で国民は見たり聞いたりしていなさい。これより外で見たり聞いたりしてはいけ
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ない」と押えつけられるような行き方になりかけている。何だか昔の恐しい時代に後返りして行くような感じがします。「何でも見てやろう何でもしてやろうというような行き方はいけない。これから学校に行く方々は、ぬるいお湯には入つたようにじっとしゃがんでいなさい。何か言ったりしたりしないで、目立たないようにじっとしていなさい」というよりになったらどうでしょうね。それこそ大変、どこかゞどうか間違つているようです。どうしたらよいでしょう。
聖書の中に、それに対する答のようなものがありますね。それは皆様御存知のマルタさんとマリヤさんの二人の姉妹がイエス様をお迎えした時の話です。イエス様がおいでになりましたよということで、折角いらしたのだからボタモチ作りましょうか、ウドン打ちましょうかというような具合で、一生懸命御馳走をマルタさんは考えていました。あまり御馳走を作ろりとすると時々いらいらしますよね。お母さん達がそうでしょう、一生県命台所で仕事をするとお母さん達はくたびれてしまって、何でもない事にカッカとなってつまらぬことを言ったりしますよね。マルタさんは気がいらいらしてきた、その時イエス様は「何でいらいらするのですか。無くてならぬものは多くない。ただ一つだ。マリヤはその一つを選んだ」とおしゃったとあります。無くてならぬものは多からずただ一つ。その一つを見失ったから、マルタがあわてて、イライラセカセカしだした。どうでしょうか、今何でも見てやろう何でもしてやろうと、たくましく動き出したはいいが、それがとんでもない方に脱線したり、人に迷惑をかけるようになった。そしてその故に、頭を押えつけられ昔の古い暗い方向へとねじ曲げられようとしている。無くてならぬものはただ一つという何かゞ無かったからではないですか。無くてならぬものはただ一つ。これさえあればということがありますよね、暑くなれば使う扇子。扇子に無くてならぬものは?それは小さなかなめでしょう。あのかなめの釘が一つ無かつたら、バラバラになって役に立たない。洗濯機も動きます、テレビも見れます、部屋は電燈がついて明るいです、しかしどうでしよう。無くてならぬものはただ一つ。スイッチボッタンが無かったらどうですか、柱に付いているスイッチが切れてたら、燈火はつかないでしょう、テレビは見れないでしょう、いくらやってみても洗濯機は動きません、無くてならぬものはただ一つ。そんなことがありますよね。無くてならぬものはただ一つ。これさえあれば………。そうなんです「これさえあれば………」というものを持ってな
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かったから、戦争の前から日本中の皆を押えつけてがんじがらめにしたものが取り去られて、何でも自由に見れる何でも自由に経験出来る自由に行動出来る素晴らしい機会が与えられたのに、善い結果をもたらさないで、かえってあっちにも迷惑になりこっちにも迷惑になって、世界中の人達に大変な不安と恐怖を与え、日本人の評判は悪いですよね。ちょっと外に出て外国へ行ってみると、日本人の評判は大変悪いそうです。矢張り色々のものを見たり聞にいたりしたけれど、無くてならぬものただ一つを持っていなかった。それをちゃんとうまく楽しく動かす、いわば電気のスイッチのようなものが無かった。そのスイッチを持たなければ、私達の暮しはうまく行かないでしょう。この頃は食べるもの着るものだけではなく、見るもの聞くこと考えること、色々と豊富になった。一口でいえば、文化が進んだというのですか、物の面でも心の面でも暮しの面でも、色々と豊になってにいる。それだのにうまく行かない。ギッチンギッチン毎日テレビでも新聞でもにぎやかじゃありませんか。何とかで裁判だ、裁判に勝ったの負けたの、いや控訴しなければのと言っている。それから又、病気で困っているといえば、その病気のためにそれこそ長い長い年月戦わなければならない。もっとひどいことは、つまらんと言ってどんどん死ぬること。学校の生徒達の自殺者が増えて、自殺する年令層が下って行くという恐しい時代。それは矢張りスイッチがいたんでいる。スイッチを押せば物事が楽しく動き、すべてが順調に気持よく展開してゆく、そういうスイッチを持っていないから色々豊かにあるけれどもその動かしかたが悪く、みんな妙な動きかたになつてゆく。イエス様が「無くてならぬものは多からずただ一つのみ」と言われたのはそのスイッチの事でしょう。
その無くてならぬものとは何でしょう?私の生活の中のスイッチとは何でしょう?これから色々勉強して行きます。新しい学年になって、或は新しい学校へ行って新しく勉強してゆきます。その時スイッチを持ってないと、色々学ぶことがうまく動かない。あなたはそのスイッチをちゃんと持っていますか。ではそのスイッチは何でしょう。
あの有名なダビデ王様の王子ソロモンが父王のあとを継いで王様になつた時の事が、旧約聖書の列王紀略上に記されてあります。王様になると色々難しい国中のこと考えねばならない。国中の相談を受けねばならない。それを正しく判断し処理せねばならない。どうしようと若いソロモン王様は大変心配していました。ソロモンは心配で心配でたまらずに寝たところが、夢にまでその心配が出て来ます。夢
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でうとうとしていたら、神様がソロモンソロモンと呼ばれます。どうしたらいいかね、これから王様に成って一番欲しいものがあったら言いなさい。それをプレゼントしようと言われます。一番いいものを上げよう。お金があったら国がよく治まるというのなら富を上げよう。或は王様が長生きしたいなら命を長くしてあげよう。それとも王様になったのだから、何時よその国から攻められても、びくともしないような軍隊をやろうか。武力をやろうか。どうだお前の欲しいものを上げよう」と、こう神様が言われます。ソロモンはそれに答えて、私に今必要なものは知慧です。知慧が欲しいのですと言います。知慧というのは、学問とか知識とか科学というようなものではありません。聖書で言っている知慧とは、神様が何をお喜びになるか、それがわかる力、それが知慧です。知慧を下さいと言ったのは、神様が何をお喜びになるだろうかと分る心。即ち神様のお心を正しく理解する力を下さいということでした。すると神様はそれを上げようとおっしゃった。その知慧を上げよう。そしてソロモンよ、あなたは自分の長寿を願わず。富も武力も求めず。最も大切な知慧を求めたから、それをお前に上げよう。そしてそれに付け加えてプレゼントとして、長寿も富も誉れも武力も備わるようにしてやりましょうと言われた。ソロモンは「これは有難い」と思ったら、夢から目がさめたということです。
無くてならぬもの、一番大切なものをソロモンはいただきました。無くてならぬものただ一つ。それは生活のスイッチ。それは神様がお喜びになることがわかる心です。南極大陸を見て来てやろう。それはそれで好いでしょう。しかしその南極大陸をよく見て来て研究し、あそこの資源くまなく探して、あそこにひとつ攻撃基地を建てて、おれが世界中を征服してやろうなんてことになったら、神様はお喜びになるでしょうかねえ。どうでしょうか。或は人工衛星を飛ばして、人工衛星が飛んでる飛んでると思っていたら、いつの間にかどこの国の平原にどういう要塞がつくられているとか、どこかの海に潜水艦がひそんでいるのを、スパイするために使われるとか、或は又原子力の研究が、始め考えていなかったような、恐しい兵器の開発へと進んで行くとか、そんなことを神様はお喜びになるでしようか。今私達の世界では、すぐれた知識や学問をどんな風に使っているでしょうか。ソロモン王の願い求めた知慧は「何を神様がお喜びになるか、おきらいになるか」を知りわきまえる知慧でした。これが本当の知慧です。そして、これが私達の生活の明暗死活を左右するスイッチです。このスイッチ
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を切り替え切り替えしながら、聞いたり見たりしたいのです。
新しい学年を迎えこれから色々見たり聞いたりして、豊に広く深い学問知識をただ頭に蓄えるのではなく、これをどう使ったら神様がお喜びになるのかと、その大事なかなめをみつめつつ、そのスイッチを適確に切りかえながら、見るもの聞くもの学ぶことの何でもが神様のお喜びとなり栄光となるようにと、整理して進んでいただきたいとと思うのでございます。
1979年 4月1日 大斎第5主日
鹿児島復活教会にて