20.大晦日まで新年
(P138)
皆さん、新年おめでとうございます。
年があらたまった、新年になったと申しますが、年があらたまるとはどういうことでしょうか。新年と旧年とどこが違うのでしょうか。新しい年というのはどんなにして始まるのでしょうか。門松をかついでお供え餅を背負って新年が向かうからやってくるというわけでもないでしょう。もともと新年なんて年があるのではないでしょう。去年も今年も同じこと、むしろ去年より今年の方が古くなるのでしょう。今年より来年の方がまた太陽も地球もそれだけ使いふるし古くなってゆくのではありませんか。それでも私たちは新年、新年と言って迎えお祝いする、これは一体どういうことでしょうか。
新年という特別の年があるのではないでしょう。新年とは私たちが勝手にそう言っておるのでしょう。私たちは一月一日になりました、新年を迎えましたと言っておりますが、はたしてこれは新年でしょうかどうでしょうか。毎年のことながら年の始めに「新年おめでとうございます」と言ってお互にお祝いをいたします。しかしだんだん月日がたち、うっとうしい梅雨になったり暑くなったりしますと、今年はなんとひどい年だなどとぶつぶつ言うようになります。そしてやがて秋風が吹きだすともう今年の忘年会をどうしましょうか、早くこんな年は忘れてしまわねばと厄ばらいでもするかのように忘年会を二度も三度もして、年のはじめに「新年おめでとうございます」と言ってはじめたその年をさっさと終りにしようとする。こりいうやり方が毎年毎年くりかえされています。さて新年とは一体何でしようねえ。
どこでどうやって新年になるのでしょうか。そしてなぜ新年がおめでたいのでしょうか。折角おめでとうと言って迎えた新しい年であるならば、何とかその年の終りまで古びないでいてもらいたい、そして大晦日まで「新年おめでとう」で終る、そういう年であってもらいたいとわたしは思っています。
新年というのは私たちが勝手にこさえるわけではありません。ところがどうかすると自分で勝手に作り上げようとします。そして今年は昭和五十七年の新年ですと言ったり、一九八二年ですと言ったりする。新年とは言いながら人それぞれにその呼びかた数えかたが違います。
私は年賀状に「昭和五十七年元旦」とは書きません。私の新年は昭和五十七年ではなく、一九八二年です。
(P139)
日本の国会では近ごろ大騒ぎをして元号法を制定しました。公の文書では昭和何年と書かねばいけないのだそうです。それを偉い国会議員さんたちが集って大議論して決めました。その時にいろいろの反対もあった、昭和では世界に通用しない。日本だけにしか通じないそんな元号は意味ないと言う人もありました。ところがそれに反対し押し切って、とにかく日本独自の元号を使わねばならないと決めました。お役所の書類の日付は昭和何年何月何日でなければいけない。役所へ出す届書も願書もそれでなければいけないということになりました。
ところがそんなことに一生懸命になってどうでもこうでもと議会で押し通し、昭和という年号を国民に押しつけたその人たちが、まだそれからいくらもたたない間に自分たちからそれを使わなくなった。さあこれからのち世界の状勢がどうなるでしょうか、日本の経済はどうなるでしょうか、というようなことを考えたり言ったりして国民に呼びかけるときに、昭和八十年代の日本の経済はどうなる昭和百年代の世界の状勢がどうだ、なんていうことが二・三回ちらりと出たことはありましたが、その後さっぱり出なくなった。バカらしいでしょう、昭和八十五年とか昭和百年とかいう年がたしかに来ると本気で信じてあの元号制定の運動をしたのでしょうか。昭和でなければいけない、昭和何年としなけれぱ公文書は認められないと気負ったあの人たち自身が自分の意見政策を発表し国民に呼びかけたり説明するときには、いわゆる西歴を使って一九八〇年代とか九〇年代とか二十一世記だとか言っています。あれ程昭和だ昭和だと言うたものの、それは国民にピンとひびかない、応えてくれないということがやっと分ったのでしょう。まことにナンセンスなこっけいなことです。
新しい年を迎えて「昭和五十七年の新年」など言う、これもまたおかしなナンセンス、いやナンセンスどころか腹立たしさをさえ覚えます。私の新年は昭和五十七年ではありません。昭和何年と言わねばいけないということを国民に押しつけたこと、私はそれを非常に不愉快に思うております、いや、むしろ怒りに近いものを感じておるのであります。子供が生れたとき昭和何年何月何日に生れたとしなければいけない。結婚するとき、昭和何年何月何日として婚姻届を出さねぱならない。生れてから死ぬまで「昭和」というその数えかたのもとでなければ通らないように国民がされているということ、これを私は本当に腹立たしく思っています。
(P140)
なぜかと言うと、昭和というのは今の天皇様が即位なさった時から数えての昭和であること皆さんご存知の通り。ですからこの子が生れた、それはこの天皇様の何年そして結婚したそれは天皇様の何年ということになる。生れてから死ぬるまで、一人一人の生活の万事が天皇様の即位の年を基準にして定められ考えられてゆくということ、それに非常に不愉快な思いを持っております。それがいつまでも続くのではありません。昭和が百年も二百年も続きはしない、終りがくる。私たちの生き死にすべてのことがそれをもとにして考えられきめられる。これはおかしい、いや非常に不合理ではありませんか。
そんなことを言わなくても好いだろう、昭和でも西歴でも数え方だからいいじゃないか、と言う人もあるでしょうが、そうではありません。このごろの日本の動きを見ますと、ただ数え方の違いではないかと言ってはおれないものがあるょうです。あわよくばまた昔のようなあの天皇のみ代に、この天皇の御治世にという行き方になってゆきそうな気配さえも、またそれを望んでいるかのような様子さえも見える。昔の天皇制の行き方にもどる、そういうことは全然ないのだ、あり得ないのだと多くの人は言います。まあ、ないのでしょう、無いことを望みます。しかし全然そういう危険な傾向が無いとは言われないようです。昔のようにはならないでしょうが、全く心配無用とは言い切れないような危険も感じられます。
その一例としてこんなことはどうでしょうか。日本はもう帝国ではない、天皇の国ではない民主国家になったのだと言いますけれど、その民主国家の一番上にあるのは何でしょう、民主国家の一番上で仕事しているのは総理大臣でしょう。一緒に仕事しておるのは何ですか、文部大臣あるいは厚生大臣など多くの大臣たちでしょう。大臣とは何ですか。大臣とは大きなけらいでしょう、天皇様の大きなけらい、大切なけらい、それで昔から大臣と呼ばれたのでしょう。その古めかしい、もう民主国家になると共にかなぐり捨てるべきはずの言葉が今だにおおっぴらに通用しておるということ、通用しておるだけではなくて、それになりたい、大臣になりたい、大臣になりたいというお偉い人たちがうようよしておるでしょう。そして新しく大臣になったらまず天皇家の御先祖様にごあいさつに伊勢神宮に参拝する。名実ともに天皇家の大切なけらいらしいではありませんか。そしてその人たちが熱心に元号制を守ろうとし、昭和という年号を愛し、昭和という呼び方をどうしても国民に押しつけよう(P141)としたのでした。大臣という言葉も、年号と同じように危険なものをかくし持っているようです。もしも日本の大臣たちが民主国家につかえる者であるならば、私は大臣ではありません、国民の公僕です、大臣という言い方はやめて下さい、という意見をこそ国会に出して、皆で考え合ってすっきりした行き方にしたらよいのではないかとわたしは思っております。
話が脱線しましたが、昭和何年という呼び方にわたしは同調し得ません。ですからこの年この新しい年は、わたしにとっては昭和五十七年ではないのです。またそうあらせたくはない、わたしは昭和五十七年を生きたくはないと思って今年の正月を迎えました。天皇様が即位なさったから五十七年というこの年があるのではなく、天皇様のために生きるべきこの年でもありません。天皇様より前、永遠の昔から神様がちゃんと地球をまわして、春夏秋冬繰り返して一年一年と今日まで続けていて下さる神様の年です。
神のみ子あれましし日ゆ 数へつぐ新しき年ぞ
一九八二年
今年は西歴一九八二年。それはキリスト様がお生れになった年から数へて一九八二年であると言われています。
勿論正確ではありません・西歴の数へ方をあとから正確に計算してみたらそこに四年乃至(ないし)六年のずれがあったということですが、ずれがあったにしても、とにかくこれはキリスト様のおいでになったことをもとにして数へておるということ、それが大切なことです。
永遠の昔から神様は一年一年と「時」をお造りになっています。人間がその年を数えるようになり、キリスト様のお生れの時から数へて今この一年、一九八二年。これこそ新年なのでございます。天皇様が即位してから何年目の新年ではなくて、神様が永遠から永遠にわたって天地万物を動かして下さる、その永遠のいとなみの中でのこの新しい年、そしてそれはわたし自身にとっては、救主なる御子イエスキリスト様を下し救いを成就して下さった、そのことをもとにして数えて一九八二年。ですから、毎年迎えるその年を、神様の時すなわち創造のみわざの中の年、永遠の年として迎え、それをキリスト様による救いの年として千九百何年と数えて受け取る、そのとき「年」がほんとうの意味で新ししくなります。天地の造り主なる神様を仰ぎつつ、救われたものとして歩み生きる、そこに新年があるのです。
(P142)
この新しい年を古びさせて、あゝ今年はなんとつまらぬ年か、こんな年は早く終りにして忘年会をしよう、など言って塵(ちり)あくたのように捨ててはもったいない、罰があたると思います。ですからこれを大晦日まで、造り主、救主によって助けられ支えられつつ生きてゆく年として、終りまでめでたくすごしたいと思います。一月一日に、「おめでとう」と言ってはじめ、十二月三十一日にも、「あゝおめでとうございました、今年は」と言って神様の前に私の一年をおさめていただく、そういう年でありたいと願っております。
では、そのような新しい一年とするにはどうしたらよいでしょうか。新約聖書の終りのヨハネ黙示録に次のように書いてあります。
われまた新しき天と新しき地とを見たり。これさきの天とさきの地とは過ぎ去り、海もまたなきなり。われまた聖なる都、エルサレムの、夫のために飾りたる花嫁のごとくそなえして、神のもとをいで、天よりくだるを見たり。また大いなるみ声のみくらよりいずるを聞けり。いわく
「みよ、神の幕屋(まくや)、人と共にあり、神、人と共に住み、人、神の民となり、神みずから人と共にいまして、かれらの目の涙をことごとくぬぐいさりたまわん。
今よりのち死もなく、悲しみも叫びも苦しみもなかるべし。さきのものはすでにすぎ去りたればなり」かくてみくらに座したもうもの、言いたもう
「みよ、われすべてのものを新にするなり」
また言いたもう
「書きしるせ、これらの言葉は信ずべきなり、まことなり」
(ヨハネ黙示録21・1~5)
見よすべてのものを新にするなり、と言いたもうこの方のこのお言葉をしっかりと受け止め、この方に従って生きてこそこの年がほんとうの新年になるのでしょう。見よわれすべてのものを新にするなり。神様がすべてのものを新しくしてくださいます。たとえ門松を立てなくとも、大きな鏡餅を飾らなくとも神様が新しくして下さる、それをしっかりと信ずることが大切だと思います。このヨハネ黙示録のまぼろし、これをただまぼろしの話としておかないで、神様からの年頭の呼びかけとして受け取ってみたい。神様は「見よ、われすべてのものを新にするなり」と仰せになり、そしてそれを信ずべきだ、まことだ、書きしるしておけとおっしゃいました。ですからそれを信じ、それを私たちの心に書きしるして、ああ、そうだ神様がすべてのことを新になさる。今年もまたそういう年であるにちがいない。そういう年として受け取る努力をしようという思いを新にしたいのであります。
神様がすべてのものを新になさるときには、
神の幕屋(まくや)、人と共にあり、
人、神と共に住み、
人、神の民となり、神みずから人と共にいまして、
彼らの目の涙をことごとくぬぐいさりたまわん。
今よりのち、
という状態になると約束されております。
これが百パーセン卜このようにならなくても、その十パーセン卜でもよい、五パーセントでもよい、今年一年がほんの少しでもこの状態に近づく年になったら素晴らしいではありませんか。「今よりのち死もなく悲しみも叫びも苦しみもなかるべし」と約束してこれは確かだと言って下さいました。そのことがどうかほんの一パーセン卜でもよいから実現したならば、死もあり、悲しみもあり、苦しみもあり、叫びもある今のこの私たちの地球上のどこかが、少しでも明るくなるのではないでしょうか。それに向かって今年一年を歩いて行きましょう。そうするとき今年という年が本当に新しい年になるでしょう。
どうぞ皆さんこの一九八二年を、あなたのための新しい年として迎えて下さい。今年もまた神様の年キリスト様の年です。そしてそれゆえにこれはあなたのために日毎に新しい年となるでしょう。どうぞ希望と感謝と喜びをもってこの年をお過ごし下さい。そして今年の終りに
「ああ神様、今年は大晦日まで新年おめでとうございいました」
と言えるようにしていただきたいと思います。
1982年1月24日
顕現後第三主日
大口聖公会にて