23.エリコの石垣


P157

「信仰によりて七日のあいだ廻りたれば

 エリコの石垣は崩れたり」

  (ヘブル書 11・30)

 

 旧約聖書の中に有名なイスラエル民族のエジプト脱出物語が書かれてあります。その中にエリコという町を攻め取った話があります。石垣を積み上げた城壁にかこまれ有力な軍隊に守られていたエリコの町を、武力のほとんど無い人々が攻め落とすことができたことは、民族の歴史の中では忘れられない出来事として世々に語り伝えられてきました。その話は旧約聖書のヨシュア記第五章と六章によれば、大体次のようになっています。

 パロ王の暴逆を逃れて脱出し、モーセに導かれて、神さまから約束された「乳と蜜との流れる地」を目ざして、イスラエルの民は、四十年間荒野で移住の旅をつゞけました、ようやくその約束の土地に近づいたとき、指導者モーセは老令のために死に、若いヨシュアがその後を引き継ぎ、民衆をはげまして、神さまの契約の箱を先頭にし、その後に皆が従ってヨルダン川を渡り、新しい約束の地へと進んで行きます。

 川を渡ると、その行く手には堅固な二重の城壁にかこまれた町エリコがあり、それを攻め取らねばなりませんでした。さらにその向うには、アモリ人の王たちやカナン人の王たちが、イスラエルの民族の進出をさまたげようと待ちかまえているのでした。烏合の衆のような民を引き連れて、これらに立ち向って行くのは容易なことではありません。

 エリコの近くのギルガルという所まで来たとき、ヨシュアは祈りのうちに示された神さまのご命令に従って、イスラエルの人々すべてに割礼を受けさせ、そのあとで過越の祭をしました。これは、彼らが神さまの民として、神さまに忠実に生きて行くことを誓うおごそかな契約の行事でありました。これによって、イスラエルの民は神さまの民としての確信と団結を与えられました。

 いよいよエリコを攻めることになり、ヨシュアは祈りつつ考え策を練っていました。ふと目を上げて見ると、ひとりの人が抜き身の剣を持って自分の前に立っていました。ヨシュアはその人にたずねました、

 「あなたは私たちを助けるのですか、それとも私たちの敵を助けるのですか」

P158

するとその人は言いました。

 「わたしは主なる神さまの軍勢の将として、今ここに来たのだ」

これを聞いてヨシュアは、神さまが共にいますとの確信を与えられ勇気づけられて、祈りの中に示された神さまのご指示に従い、エリコを攻めることになりました。その攻め方は次のようでした。

 まずいちばん先に、武装した人たちが行きます。これは主の契約の箱を守るための兵士でした。

 そのつぎに、祭司たちが七人、羊の角のラッパを吹き鳴らしながら行きます、それはお祈りのためのラッパです。言わば、祈りや礼拝の時を知らせて、人びとを呼び集めるための教会の鐘のようなものです。

 そのあとから、祭司たちにかつがれた箱が行きます。「主の契約の箱」と呼ばれた箱です。

 そしてそのあとに、イスラエルの人たちがついて行きます。男も女も、大人も子供も、みんな黙って、ただラッパの音を聞きながら、祈りに心を合わせながら、箱のあとについて、エリコの町のまわりを一日一度まわりました。

 それを六日つづけ、七日目には夜明けに起きて、同じようにして町を廻りましたが、この日は七回まわり、七回目に、「大声で呼ばわれ」とヨシュフは人々に命じました。そこでイスラエルの民はみんな、祭司たちがいちだんと高く吹きならすラッパの音に合わせて、大声を挙げました、すると、それと同時に城の石垣が崩れ落ち、エリコはイスラエルの人々によって占領されました。

 新約聖書の中の「ヘブル人への書」を書いた人はこの出来事を回顧して。

 

 「信仰によりて七日のあいだ廻りたれば

エリコの石垣は崩れたり」

 

と書き送って、苦難の中にあった信仰者たちをはげましております。イスラエルの民が進んで行く道の行く手に、攻め破らねばならないエリコの町があったように、私たちの前にもいろいろの難しいことがあります。家庭のこと、育児のこと、学校教育のこと、仕事のこと、社会的な人間関係や国際的な世界の問題など、まるで二重の石垣にかこまれたエリコのように、なかなか容易に処理したり解決したりできないことがたくさんあります。それらを乗り越え、打ち勝って生きて行くためには、どうしたらよいでしょうか、エリコを攻め落としたイスラエルの人々の仕方に学ぶべき点を見出したいと思います。

P159

 ヨシュアはエリコに近づく前に、イスラエルの人々に割礼を行い、そしてそのあとで、民族にとっての大切な大祭である過越の祭をいたしました。これは、前にも申しましたように、イスラエルの人々全体が、神さまに対して、契約の民として忠実に生きろ決心をし、信仰の姿勢態度をしっかり確立するためでありました。これはいま、私たちが日常の生活において、さまざまなむつかしいことにぶつかるときに、まず第一にしなければならない大切なことではないでしょうか。神さまを信ずる信仰に固く立つということです。

 われらは主の民、主はわれらと共にいます。という信仰を与えられて、イスラエルの人々は城を攻めにかかりました。

 そのとき、護衛の兵士に守られ祭司にかつがれた、「神のひつ」または「主の契約の箱」と言われた箱が進み、その後にイスラエルの民衆が続いて行きました。

 この箱には、モーセがシナイ山の上で神さまから与えられた「十戒」を彫り記した二枚の石の板が入れてありました。(旧約聖書申命記十章)

 この箱はイスラエルの民が行動を始め、前進するときには、いつもその先頭に行き、行動を終り滞在しておる間は、幕屋の奥の最も神聖な至聖所と呼ばれる場所に安置されてありました。そしてこの箱は、四人の祭司がかついで運ぶために、二本のかつぎ棒がつけられてあり、その棒はイザという時にはいっでもかつがれるように、箱につけたままにしてあり、また、幕屋の入口の方から、

その端がよく見えるようにしてありました。イザという時はいっでも直ぐにかつぎ出されるためでした。

 イスラエルの民が荒野を移住して行くときは、必ずこの箱が先頭に行きました。他の民族と戦うときには、その戦いの先頭にこの箱をかついで進めば、必ず勝つのでした。ヨルダン川を渡るときには、箱をかついだ祭司たちの足が水に踏み入れられると同時に、その流れが止まり川が干あがって渡ることができました。イスラエルの人たちは祈りをすすめるラッパの音を聞きながら、黙ってこの契約の箱の後について行き、エリコのまわりを廻りました。そして勝ったのでした。

 この箱は長い間大切に保存されてあったのですが、どこで失われてしまったのか、今はもうありません。しかしそれに代る、それよりももっとすぐれたものを私たちは与えちれています。聖書という神さまのみことばの書です。私たちの行くべき道の先頭に輝き進み、どんな困難でも突き抜けて進ませてくれる神さまのみことぱの書である聖書、これこそ今私たちに与えられている契約の箱だと思います。私たちの日常生活の中で、いつどこにでも、必要なとき、必要なところにサッと運べるように、わたしたちの聖書には棒がちゃんとさし入れてあるでしょうか。

P160

 主の契約の箱の構造について、旧約聖書出エジプト記の三十七章にくわしく記されてあります。それによると、その箱の上に一枚の金の延べ板をのせてあり、それは、「贖罪所(しょくざいしょ)」 と呼ばれました。その板の上に、罪のあがないのためのいけにえを献げ、その血をぬりつけ、煙のためにその板も箱も見えなくなるほどに、香をたき祈りをする、そのたちこめた煙の中で、神さまがイスラエルの民に近ずき、彼らの祈りにこたえて、その罪をあがない赦し、彼らと共にいまして進み行きたもうと考えられていました。

 昔イスフエルの民が大切にしていた「主の契約の箱」にもあたるべき私なちの聖書には、贖罪所という金の延べ板がつけてあるでしょうか。

 私たちは聖書をどのように読んでいるでしょうか。

 こんな笑い話があります。ある人に何か困ったことが起ったとき、その人は、こんなときには聖書を見ればきっと好いみことばが示されるであろうと期待して、しばらく目をつぶって心を落ちつけ、聖書をパッと開きました、すぐに目にっいたのはマタイによる福音書第二十七章五節「首をつって死んだ」ということぱでした。イエスさまを裏切って売った弟子イスカリオテのユダの最期でした。これはよくない、とその人は聖書を閉じて、もう一度やり直しました、こんど目についたのは、ルカによる福音書十章三十七節にある「あなたも行って同じようにしなさい」というイエスさまのお言葉でした。「おおとんでもない」とその人は聖書を投げ捨てたということです。この笑い話は私たちに、あなたは聖書をどのように読んでいますか、と問いかけているようですが、私たちはその問いかけに対して何と答えましょうか。

 

 「主よ。

  なんじのみことばは

  わが足のともし火

わが道の光なり」

 

と歌った旧約の詩人と同じ思いをもって、多くの人々が聖書を愛読しています。しかしその読み方はいかがでしょうか、この笑い話の中の人と同じような読み方になってはいないでしょうか。聖書を読むことによって私たちはきっと慰められ、励まされ、希望を与えられ、力づけられるでしょう。しかし、そのためにはどのような読み方をしたらよいのでしょうか。聖書の中に、自分の好みに合うみことばのみを求めたり、自分を慰め励まし強めてくれるみことばは無いかと、探し読み、または拾い読みする仕方では、聖書は「わが足のともし火、わが道の光」にはなりません。

P161

 ではどんな読み方をしたらよいのでしょうか。

 イスラエルの民が荒野を進むとき、いつもその先頭に仰ぎつゝ進んだ「主の契約の箱」の上に、金の延べ板の贖罪所がつけてあったように、私たちの聖書の上にも贖罪所があるべきだと思います。罪のあがないのために祈る香の煙が、契約の箱の上に立ちこめたように、懺悔と悔改めの祈りをもって聖書のみことばを読み、味わい、信じ、受けとるときにこそ、それは本当に私たちにとって

「わが足のともし火、わが道の光」となるでしょう。

 エリコ攻略の物語の中で学ぶべきことが、もう一つあります。それは、城壁の外側をまわったイスラエルの民衆のまわり方であります。自分たちに先立って、祈りのラッパを吹き鳴らしてゆく祭司たちの後にしたがって、静かに黙って歩きました。それはラッパに耳をかたむけながらついて行く祈りの歩調でした。その廻り方を七日続けました。そして七日目には七回まわり、その終りのときに大声を挙げました。それは、神さまの戦いに参与する勝ちどきの叫びであり、感謝と賛美の声でありました。そのどよめきの中にエリコの城は崩れ落ちました。

 イスラエルの人々は、神さまがともにいますと確く信じ、黙って祈りつつ歩きました。私たちの祈りはどうでしょうか、願いごとも多く、ことば数も多く、煩雑な騒騒しい祈りになっておることはないでしょうか、旧約の詩のなかに。

 「汝らしずまりて我の神たるを知れ」

という一句があります、祈りの中に静まるとき、私たちは、神さまとその恵みのみわざを知ることができるでしょう。

 そのような行進をイスラエルの人々は七日つづけ、七日目には七度まわりました。聖書では「七」という数は神聖な数「完全」を意味する数とされていました。したがって七日まわっだとか七度まわったというのは、完全にまわった、徹底的にまわったという意味です。途中で休んだり止めたり、代りの人を頼んで歩いてもらったりしないで、始めから終りまで、完全に徹底的にまわったということです。

P162

 私たらは何かむつかしいことや、苦しいこと、悲しいことにぶつかったときに、不平や泣き言、自分中心の祈りを言わないで、ほんとうの祈りに深まり静まり、黙って七日七たび廻って進むことができるでしょうか。

 信仰の一つの仕方は、黙って神さまを仰ぎ、見上げつつ神さまのみことばに耳を傾けながら、その日その日を歩むことだと思います。いま神さまのお声が聞こえなくても、み姿が見えなくてもいいのです。いつかきっと聞こえるはずです。昨日もまわってみたけれども見えなかった、今日もまわったけれども聞こえなかった。それでやめないで、七日まわるのです。七たびまわるのです。

徹底的に神さまを信じ仰ぎながら、自分の願い自分の意見を第一にしないで、まず黙って廻ることです。

 黙って、祈りをうちにたたえながらまわってごらんなさい、きっとそれが歌になり、信仰の勝ち歌、神さまへの賛美の歌に変わります。祈りをするときは、感謝が湧くまで、賛美の歌に変わるまで祈ることです。途中で「ああ、神さま、これだけ祈ったけれども、あなたは聞いて下さらなかった」など言って投げ出さないことです。七日で駄目なら一ヶ月、一ヶ月で駄目なら一ヶ年、一ヶ年で駄目なら何ケ年でも、私がこの世を終るまででもと、腹をきめて祈り続けることです。ことに、これは皆さんの身近な人たらのためには大切なことでしょう。家族の人々のために、子供たちのために、孫たちのために、私たちは何年祈れますか。お互に百年も二百年も生きられるわけではありません。私が子供のために祈れる年があと何年あるでしょう、私が孫のためにお祈りしてやれる日があと何日あるでしょう、と聖なるおののきをもって、それまで祈り続けることです。そうするとき、そういう祈りはきっと賛美に変わってきます。そうすれば勝利の日は近いのです。

 イスラエルの人たらは、七日目に、みんなでいっしょに喜びの声をあげてエリコの城を突き抜けて行きました。

 「信仰によりて七日のあいだ廻りたれば

  エリコの石垣は崩れたり」

昔のイスラエルの人々のみでなく、今の私たちもまた、まいにち信仰によってわが歩むべき道をふみしめて歩み、勝ち進んで行きたいと思うのでございます。

 

 1983年7月22日

  熊本聖三一教会婦人会にて