25.我を誰と言うか

 

P163

 六月二十九日は聖ペテロ聖パウロの殉教の記念日でございます。ペテロもパウロも二人ともローマで迫害されて殉教いたしました。いろいろの伝説は残っていますがくわしいほんとうのことは、もう今からは知るよしもありません。ほぼ確かなことは紀元六十年代のネロ皇帝の迫害の時に二人とも殺されたということでございます。

 そのペテロについて非常に有名な小説があります。シエンキピッテという人の書いた「クオパディス」という物語です。それは大体こんなことでした。

 ロマで大迫害が起ったときに、ロマにおるクリスチャンたちがペテロの身を案じて、どうか都の外に逃げて下さいとたのみました。みんながいっしょうけんめいすすめたので、ペテロはロマの都から出て行きます。そしてしばらく行くと、向うから一人の人がやってくる、近づいてみると、それは主イエスさまだったのです。ペテロはびっくりして、 

「クオパディス、ドミニ (主よいずこえ?)」

とたずねました。すると主イエスさまは、

「お前のかわりにローマへ行く」

とお答えになりました。それでペテロはびっくりし、恥じいり恐縮して、急いでローマへ引き返し、つかまえられ殺されたという話であります。その時にペテロは、

 「主イエスさまと同じような殺されかたはおそれ多い、もったいないことだ。どうか逆さのはりつけにしてもらいたい」。

と言って逆さのはりつけになって殺された、という伝説も残っております。

 このペテロはガリラヤの湖のほとりで漁をして暮らしていた人ですが、イエスさまに召されて十二弟子の一人にされました。彼が主イエスさまとはじめてお会いし、弟子になったいきさつは、次のようでした。

 主イエスさまが活動を始められる前に、パプテスマのヨハネ(パプテスマとは洗礼の意味。イエスに洗礼を施したパプテスマのヨハネです。使徒ヨハネをではありません。 記:市來)が、メシヤを迎える心の準備をするように、と一般の人々に呼びかけていました。この偉大な預言者のもとに集ってきてその弟子になっていた人々の中から二・三人が、のちに主イエスさまの弟子になりました。ヨハネ伝福音書の第一章によれば、バプテスマのヨハネは、イエスさまこそ「世の罪を取り除く神の小羊」であると考えました。そしてある日、自分のふたりの弟子たちにイエスさまを指し示して、「見よ神の小羊」、と言いました。それで、そのふたりの弟子はイエスさまについて行き、一晩ゆっくり語り合ってみました。そのうちのひとりアンデレという人は、非常に感銘を受けて、この人こそメシヤ(キリスト)であるとの確信をもって、自分の兄弟シモンを主イエスさまのところにつれてきます。これが主イエスさまとシモン (のちのペテロ)との最初の出会いでした。

P164

 それから何日かたった後のこと、ガリラヤ湖のほとりで、父親ヨナとともに漁師の仕事をしていたシモンのところに主イエスさまがおいでになって、

 「どうだ私についてこないか、この魚取りの仕事をするかわりに、これから人間を取る仕事を一緒にしようじゃないか」

とお召しになりました。するとシモシはすぐに綱を捨てて従って行き、主イエスさまの弟子になります。

 イエスさまはそのシモンに、

 「バルヨナシモン、君はこれからペテロだよ」

と、ペテロという新しい名前をおつけになりました。

 主イエスさまはどうしてシモンにペテロという名をつけたのでしょうか。ペテロというのは「岩」という意味ですから、ペテロがよはど頑固者であったのを主イエスさまが見抜いてのことかもしれません。のちのペテロの言動や教会での働き方をみますと、まことに適切なぴったりの名前だったと思われます。「岩」と名づけられたシモンペテロは、本当に教会の土台石となるような大事

な働きをしました。主イエスさまは、シモンの頑固な性質を指摘して、シモン自身にそれを自覚させるとともに、その自分の性質の欠点に失望せず、むしろそれを主にささげ、主のご用のために活用するようにと「ペテロ」と命名されたのかも知れません。

 しかし、ヨナの子シモンが一朝一夕で教会の土台石ペテロになるわけではありませんでした。それまでには長い間、風に吹かれ雨に打たれて、あっちこっちころがされたり、おっこちたりせねばならない大きな岩ペテロでした。ペテロの生涯を福音書の中で見ますと、何か大きな岩があっちに流されこっちにころがされして、やっと何とか静まり落ちついた、というような感じが致します。

 それだけにペテロの動きには劇的な場面が多いのであります。ですから聖書をお読みになるときに、こんな読み方をなさったら楽しいでしょうと思います。それは聖書をただずっと読むのではなくて、ペテロがどこに出てくるだろうか、ペテロが何をするだろうか、ペテロがどんなことを言ってるだろうかと、ペテロに焦点を合わせて聖書をお読みになってはいかがでしょう。そうしますといろいろな姿のペテロに出会います。始めから押しても引いても動かない教会の土台石として、でんと重きをなしていたペテロではありませんでした。たびたびふらふらゆれて失敗し、時にはつまずきころんだり、イエス様から叱られたり、というような生き方のペテロでした。

P165

 ペテロについていろいろなことが見られますが、今朝は聖ペテロ日の福音書として選ばれてある聖マタイ伝福音書第十六章13~20をもう一度見てみましょう。これはペテロの生涯の一つの山場であったと思います。

 ピリポカイザリヤという地方に弟子たちと共においでになったとき、そこで主イエスさまは弟子たちにおたずねになりました。

 「人々は人の子を誰と言うか」

聖書の中によく「人の子」という言葉が出てきます。

そのときは主イエスさまが「わたしは」とご自分のことを言っておられるのだと思って読めば良いでしょう。弟子たちは主イエスさまの問いに対して答えました、

 「ある人は、へロデ王から首を切られたパプテスマのヨハネが生き返ったのだと言い、ある人は、昔の大預言者エリヤ(列王記上17章)の再来だとか、エレミヤ(エレミヤ書1章)がまた出てきたのだとか、名前は分らないが昔から待望されているあの預言者であるとか言っています」

それをお聞きになつて主イエスさまは、

 「なんじらは我を誰と言うか」

とおたずねになりました。すると、ペテロが答えました。

 「なんじはキリスト、生ける神の子なり」

主イエスさまはこの答を喜ばれて、ペテロに仰せになりました。

 「パルヨナシモシ、汝は幸なり。汝にこれを示したるは血肉にあらず、天にいますわが父なり」。

ペテロのこの答は、彼の人間的な思索とか研究から出たものではなく、父なる神さまのおみちびき、お示しによるものでした。

 弟子たちは主イエスさまをいかに理解しておるか、信じておるかを問われました。これはまた私たちに対する問いかけでもあります。私たちは主イエスさまをどのように見ているでしょう。何とお答えしましょうか。

 小説家は小説家の立場からイエスという人を書こうとします。画家は画家の立場から、彫刻家は彫刻家の立場から、イエスという人を表現しようとします。そしてまた学者たちはそれぞれの専門の立場に立って、イエスと(P166)いう男はこんな男だったろうと、心理学的に、哲学的にあるいは宗教学的に、あるいはまた考古学的に、また歴史的に論述して、イエス像をはっきりさせようとします。それはそれで好いでしょう。それによって私たちはいろいろと教えられます。ある小説家は、イエスの生涯の物語を、聖書よりももっと面白く生き生きと書いてくれるでしょう。音楽家や彫刻家は、その作品によって、イエ

スという人を私たちにもっと身近に、印象的に、感動的に示してくれるでしょう。しかし、それで満足し立ちどまってはなりません。

 「なんじらは我を誰と言うか」

と問いかけられます。この問いを避けてはならない、これに対して答えをせねばならないのです。小説や絵画や音楽が与える答ではありません。あなたは何とお答えしますか、私は何とお答えしましょうか。

 普通一般には、「キリスト教信者」とか「キリスト教を信じる」などと言いますが、しかし私はそう言いたくないのです。私は自分では、キリスト教信者ではありたくないと思っています。私が信じているのは、キリスト教ではなくてキリストさま、福音の主なるキリストさまなのです。私たちはキリスト教によって救われるのではありません。福音によって救われるのです。

 私はキリスト教と福音を区別して考えています。キリスト教というのはキリストについての教でしょう。キリストとはどんな人か、キリストは何を教え何をしたとか、いわばキリストについての説明や理論がキリスト教でしょう。

 私はそれを信じるのではなく、キリストさまを信じています。神さまの福音そのものでいますキリストさまを信じているのです。この人を通して神さまが私たちに喜びの知らせを聞かせて下さる、この人を通して、ほんとうの喜びの知らせを現実に私たちに与え、味わわせて下さる、その人がキリストさまです。だからこの方、キリストさまを信じてこそ救われるのです。

 そのキリストさまが今もなお私たらに問いかけておられます。

 「なんじらは我を誰と言うか」

これに対して私たちはペテロと同じように答えることが

できるなら幸ですが、いかがでしょう。

 「なんじはキリスト生ける神の子なり」

ペテロのこの答えの中で大切なことは、「生ける神の子」ということです。

P167

 このごろは「死んだ神」などと耳あたらしいことばを使う人もおるらしいが、神さまは決して死んだ神ではありません。

 旧約聖書の中に、「イスラエル(後述参照)を守りだもう者はまどろむこともなく眠ることもなからん」と記されてあります。神さまは眠ることさえしない、まして死ぬることなどあり得ません。

 神さまは生きています。それもただあえぎあえぎ生きているのではありません。私たちの魂の底からゆり動かすように、生き生きと力強く語りかけ働きかけておられる「生ける神」です。私たちはこの神さまに生かされて生きています。

 主イエスさま、あなたはその生ける神さまから私たちのためにお出下さった方です、生ける神さまの御子です。

 これがシモンペテロの告白でした。私たちもペテロとともにそう告白したいと思います。

 次に考えたいことは「なんじはキリスト」という告白

であります。

 「キリスト」とは、もともとは「油をそそがれた者」という意味、そしてのちには「救主」という意味にもなったヘブル語「メシヤ」のギリツヤ語訳であります。だから「キリスト」とは「油をそそがれた者、すなわちメシャ、救主」という意味です。

 では、「油をそそがれた者」(後述参照)とは何でしょうか。旧約聖書時代から、頭に油をそそぐ習わしがありました。それは次の三つの場合に行われた仕来たりでした。王さまになるとき、祭司の職に任ぜられるとき、そして預言者として神さまのお召しを受けたときでした。それゆえにシモンペテロが主イエスさまに「なんじはキリスト」とお答えしたのは、

 「イエスさま、あなたは私たちのために、王さまとなり、祭司となり、預言者となって下さるために油をそそがれた方、メシャです。救主です。」

という思いからでした。私たちは、イエスさまとかキリストさまとか簡単に言い慣れていますが、「イエスキリスト」というときには、キリスト即ち私たちの王として、祭司として、預言者として、油をそそがれなさったイエスさまを、心の目で鮮かに仰ぎ見つめていたいと思います。

 王さま、それは国を治め支配する者、最高絶対的な主権をもって、人民を守り指導すべき者でした。

 主イエスさま、あなたは私の王さま、私の支配者でございます。どうぞ私を御心のままに治めお導き下さい。

P168

主よ、あなたのみ国を来たらしめたまえ。そしてあなたのみ国の御支配の中に私をお守り下さい。あなたの御心が私の生活のすみずみまで行きわたり実現するようにして下さい。

 祭司、それは、イスラエルの民を代表して、民の罪やとがのあがないのため、また赦しのため、神さまに供え物をささげて祭をし、神さまとイスラエルの民との関係を調整する、言わば、神さまと人との間を正しくつなぐパイプ役のようなものでした。

 主イエスさま、あなたは私のために真実の祭司でございます。神さまの前に私の罪をあがない、取りなし、神さまからのお赦しをいただかせて下さる方でございます。そのあなたの前に、私は自分の罪、とが、過ちをほんとうに心から悲しみさんげしてきたでしょうか、さんげしなくてあなたのお取りなしをいただくことはできません、主よ、どうぞ私にあなたの前で悔ゆる心を、自分の罪を認め悲しむ心をお与え下さい。

 つぎに預言者、それは、現在ではまだ分っていない未来のととを、前もって占い予告する人ではありません。「預言者」とは、言葉を預る者、神さまのみことばをお預りして、人びとに取りつぎ知らせる者です。すなわち、神さまのみ心を人びとに知らせ、警告や指導を与える人が預言者でした。

 主イエスさま、あなたは私のために預言者として油そそがれた方でございます。神さまのみことばを常に示し与えて下さいますことを感謝いたします。天地は過ぎ行くとも変ることのないそのみことばを固く信じ、それをわが生活の指針として、生きて行くようお導き下さい。

 このような祈り心をもって、主イエスさまを仰ぎ「われらの主イエスキリスト」と呼びまつりたいと思います。主イエスさまは今もなお、くりかえしくりかえし、次のように私たちに問いかけておられるでしょう。

 「人びとは我を誰と言うか、

 なんじは我を誰と言うか、

 なんじはほんとうに我をイエスキリストと言うか」

私たちはこの問いかけを聞きもらしてはならない、これに耳をとざしてはならない、聖ぺテロにならって、

 「主よ、なんじはキリスト、生きるける神の子なり」

と答え告白し、賛美しつつ主にお従いしたいと思うのでございます。

 

 1983年 6月29日

聖ぺテロ聖パウロ日・大口聖公会にて

 

*****

【ご参考】

■イスラエルとは

『旧約聖書』には,イサクの子でありアブラハムの孫であるヤコブに,主がイスラエルという名を与えられたことが記されている(創世32:2835:10)。このイスラエルという名は,ヤコブやその子孫に対して,またその子孫がかつて旧約の時代に築いた王国に対して用いられる(サ下1:2423:3)。イスラエルの子らは,モーセによってエジプトの奴隷の状態から導き出された(出エ3-14章)後,300年以上にわたって士師により治められた。サウル王から始まりソロモンの死に至るまで,統一イスラエルは王による統治を受けた。ソロモンの死に際して,10の部族がレハベアムに背いて,別の国を作った。イスラエル王国の分裂後,数において勝っていた北の諸部族はイスラエルの名を継承したが,一方,南の王国はユダと呼ばれた。今日では,カナンの地もイスラエルと呼ばれている。別の意味で,イスラエルはキリストを心から信じる者を指す(ロマ10:111:7ガラ6:16エペ2:12

出典:聖句ガイド(https://www.churchofjesuschrist.org/study/scriptures/gs/israel?lang=jpn)

 

■油を注ぐとはどういうこと?油を注がれたものとは?

聖書の時代に人々が油を注がれるとそれは神の祝福や召しを示していました(出エジプト29:7; 40:9; II列王記9:6; 伝道者9:8; ヤコブ5:14)。人々は王、預言者や建築家など、特別な役割や目的のために油を注がれたのです。現代に油を注ぐ事は決して間違ってはいませんが、誰かに油を注ぐ際に、その理由が聖書のそれと同じであるように気をつける必要があります。油を注ぐ事は「魔法の薬」のようにみなされるべきではありません。油を注ぐという行動自体には何も力はありませんし、特別な目的のために人に油を注ぐ事ができるのは神のみであり、油を注ぐという行動は神に働きを象徴しているだけなのです


油を注がれた者には「選ばれた者」という意味もあります。聖書にはイエスキリストは福音を広め、罪に囚われた人々を解放するために、神によって聖霊をもって油注がれた者であると書いてあります(ルカ4:18-19; 使徒10:38)。キリストはこの世を去ってから、聖霊を下さいました(ヨハネ14:16)。よって全てのキリスト者は神によって油注がれた者であり、御国を建設するという目的をもっているのです(Iヨハネ2:20)。「私たちをあなたがたといっしょにキリストのうちに堅く保ち、私たちに油をそそがれた方は神です。

神はまた、確認の印を私たちに押し、保証として、御霊を私たちの心に与えてくださいました。」(IIコリント1:21-22)

出典:Got Question(https://www.gotquestions.org/Japanese/Japanese-anointed.html)より

(記:市來)

*****