≪ 村上豊吉 説教集 「ともしび」 ≫
はじめに
これは故村上豊吉先生の二冊目の説教集です。先生が語られるといきいきと輝きを増すいのちのみ言葉を、ひとりでも多くの方々へお伝えせずにはおられないという止むに止まれぬ木尾姉の思いが実ったものです。そのささやかなお手伝いをさせて頂いた故にかこのような文を先生のご本に書かせて頂く光栄に浴しました。
この世には神さまと直接お話し出来る恵みを与えられた方々もおられますが、私たちの多くは、神さまとお付き合いすることを妨げるこの世のもろもろの力のために卒直に″神様″と呼びかけることが出来ません。村上先生は実にそのような私たちを神さまのみ前に導いて下さる真の牧者でした。
その説教を聞く者は皆それぞれひとりひとりが、自分に語りかけて下さっている神さまのメッセージと受け取り、それぞれの置かれた条件の中で、ホレブの山で燃えて起ち上がった八十才の青年モーセのように、起ち上がって進むことが出来ました。その説教は聞く者ひとりひとりの魂を据えて離さぬ迫力のあるものでした。
先生のお話を聞くと通念という垢のしみついた聖書の言葉が、今生まれたような透明な輝きをもった確かな言葉として立ち顕われ、問題の所在を明らかにし、照らしそれに突き刺さり、アーメンが自然に口から出ました。
その平易な言葉は深い学殖に裏付けられながら遥かにそれを越えるものでした。学者のようにではなく、ただ神に拠り頼む権威ある者のように語られました。先生は常に「聖書を読んで心が燃えなければなりません、それには神さまとご一緒に読んでいただくことです」 (第一説教集「エマオヘの道」)と言われました。
「イエスさまは大変疲れていらしたので、ロバを借りてきてくれと弟子たちにおっしゃったのでしょう……」
「神のものでないカイザルのものがあるか」
「主イエスさまはこのとき人の家に泊めてもらったのではありません、弟子たちと一緒に野宿なさったのでした」(何れも本書「受難週の日々」から)など暖かな目と鋭い視点は先生ならではのもので、心が燃えていなければ、神さまとご一緒に読んでいただかなくては、とうてい達し得ない言葉だと思います。
先生はご上京の折、あるときふと私に「私はもう二度と今日出席された皆様とお目に掛かれないと思ってお話(説教)をしております」といつもの温顔で言われました。実に一回一回の説教は今、この時に全てを賭した、人一倍小柄な先生の体から搾り出された私たちへの愛の贈物でした。本当に有難いことだと思いました。
「地獄があるとするならば、地獄も又神さまのみ手の中にあり、それは天国の待合室だ」 (本書「大斎始日の祈り」から)と言い切られた先生、天国で先生は可愛がって飼っておられた犬や猫たち、又最近天国に引越された奥様、愛嬢恩様に囲まれて、ニコニコ笑っておられることでしょう。
混迷と闇が私たちを覆っており、キリスト教会も又今あらゆる面で挑戦を受け根底から揺れ動いているようです。
しかし教義や神学がどんなに揺れ動こうとも、神さまと私たちとの関係は揺ぎない確かなもの、それを村上先生は示していて下さっていると思います。
最後に構成、成立について申し述べます。先生は「季節料理で皆様を養っている」と言われた由、年代順でなく教会暦に沿った所以です。ただ私たちの非力で通年を覆うに至りませんでした。第一説教集「はじめに神」と合わせてお読みいただければ幸いです。
原稿は全て先生の説教テープを木尾姉が活字に起こしたものです。生前先生に目を通していただいたものと、ご逝去後原稿にしたものから成ります。後者についてはテープの意味の取れないところや不明の個所があり、先生の語り口調などから私共の判断で決めさせていただいた部分があります。止むを得ないこととはいえ天国の先生にお許しを乞うと共に、不備があれば一切は私どもの
責任です。
先生を通してのみ言葉、香しい生けるいのちの言葉を皆さまにお届け出来ればと願っております。
ルカ岩坪哲哉
1995年 5月
村上先生ご逝去五年を前に
御礼の詞
本説教集を印刷するにあたり、今日まで説教の小冊子を印刷する度に、絶大なるご支援を賜わり又激励して下さった大口教会、岩坪先生、村上先生ご家族、ほか多くの皆さま方に心からの感謝を申し上げます。 (木尾)