16.クリスマスの木
2022.12.24(S.I改定)
(P116)
この地に野宿して、夜、群を守りおる羊飼ありしが、主の使そのかたわらに立ち、主の栄光そのまわりを照らしたれば、いたく恐る。
み使かれらに言う
「恐るな。見よ、この民一般におよぶべき大なる喜びのおとずれを、われなんじらに告ぐ、今日ダビデの町にて、なんじらのためお救主うまれたまえり。これ主キリストなり。
なんじら布にて包まれ飼葉おけの中に臥しおるみどり子を見ん、これ主キリストなり」
たちまちあまたの天の軍勢、み使に加わり、神をさんびして言う
「いと高きところには栄光、
神にあれ。
地には平和、
主のよろこびたもう人にあれ」
(ルカ伝2・8~14)
皆さん、クリスマスおめでとうございます。
クリスマスとはクリストマスすなわちキリストの祭であります。しかし、それはただ単にキリスト様がお生れになったことを記念するお誕生のお祭ではありません。
お誕生を記念しお祝いするとともに、これからキリス卜様をお迎えし、キリスト様にお会いするためのお祭でございます。ではキリスト様をどのようにお迎えしたらよいでしょうか。そのことを考えるために私たちはあのクリスマスの物語を毎年毎年思いおこすわけでございます。
救主がおいでになるならば正義と公平が行われるであろう。どうかわたしたちの社会に正義と公平が行われますように、どうかこのとらわれの民がもういちど故国に帰ることができて、平和と自由が得られますように、どうかその方がおいでになって、打ち亡ぼされたわたしたちの国がふたたびあのダビデ王の栄光の時代のように輝かしい国になりますようにという願いをこめて、やがておいでになるそのお方を待ち望み、そしてそのおいでが早くなりますようにと祈っておりました。それが旧約聖書の時代の人々でありました。そのお方は一体どういうお方であろうか、どのようにしておいで下さるでしょうか。そのことを一番よく彼らに示し教え励ましたのは旧(P117)約聖書のイザヤ書であると思いますが、それによると待ちに待っていた平和の君、救主、それはこの世の国を支配する王者ではなく、悩めるしもべの姿をとっておいでになるだろうと教え、その方のおいでを待つようにとすすめています。人々は長い間この予言の実現する日を待っていました。
長い年月が過ぎ去りました。そしてあるとき神様のお定めにより誰も知らない夜、ベツレヘムの町はずれの馬小屋の中で一人の男の子が生れました。その赤ん坊のことを一番先に知らされたのは羊飼たちでありました。その夜、羊の番をしていた羊飼たちに天の使が現われて、
きょうダビデの町にて汝らのために救主うまれたまえり、これ主キリストなり
(ルカ伝2・11)
と教えてくれました。早く行ってみなさい、飼葉おけの中に寝かされておるその方を見なさい、と言われた、羊飼たちは急いで行き、そのみどり児を見てよろこびにあふれ、歌をうたい神様を賛美しながら帰ってゆきます。
天もよろこび地もおどり上がるような大変な出来事が、誰にも知られないそういう仕方でおこりました。しかしそのできごとのために天はいつもより大きな星をかがやかせて喜びの知らせをしました、それをいち早く見つけたのは三人の博士たちでした。待っていた方が生れなさったと知り、博士たちはそれを尋ねて東の方から星を目あてに旅をしてきました。
こういうようなクリスマスの物語を私たちはもう一度思いおこしてあの羊飼たちと一緒に、博士たちと一緒に、星に導かれて、ベツレヘムの馬小屋までたどりついてみたいと思うのでございますが、しかしそれだけがクリスマスであってはならない。そこから出発しなければならない、前進しなければならない、それが今クリスマスのときに私たちのすべきことでしょう。
待っていたそのお方は三十幾年の間わたしたちの世界の中で、私たちと同じような暮しをし、いや、私たちと同じようなどころではありません、わたしたちよりもっとひどい暮しかたをし、もっとひどい苦しみかたをして、そして十字架にかけられてしまいます。待って待っていたお方を、これはそんなものではないぞ、これが救主であってたまるものか、と消し去るように十字架につけてしまいました。
(P118)
こうしてこの世の力が勝ち誇ったのも二晩三日、十字架に殺してしまったと思っていたそのお方が三日目によみがえり、そのよみがえりによって生かされ慰められ強められ励まされた人たちが、よみがえりなさったそのお方を信じ仰ぎつつ、生きることによって、この二千年のあいだ世界中にどのような喜びが、またどのように深い慰めが、またどのように輝かしい望がずっと与えられてきたことでしょう。
あの待ちに待っていたお方、馬小屋に生れなさってこの世の生涯を十字架まで歩き続けなさったお方を亡ぼし消し去ったと思ったこの世の力は、いつの間にが消えてしまいました。キリスト様に反対してそれを亡ぼそうとしたローマの政治の力は勿論のこと、わたしたちの国でも、あの徹底的な迫害で消し去ろうとした暗い豊臣・徳川の時代にずっと政治の力を持っていた人たちも皆消えてしまいました。その人たちのしたことで、何が今私たちの中に生きていますか、何がいま私たちを救い、私たちを生かしておるでしょうか。時代の流れとともにこの世の権威この世の力は消えてしまった。しかし目に見えないまことに微々たるものだと思われていたキリスト様の弟子たちの伝道が二千年のあいだ消え去らないで、いや消えないだけではなくて、ますます世界のすがずみま
で行きわたり深くしみ込み、そして、いまもなお世界の多くの人々の救いになっておる。そして、世界中いたるところでクリスマスを祝うこの時、わたしたちはどのよりにクリスマスをお祝いしたらよいでしょうか。
キリス卜様は弟子たちに、「また来る、また来るから待ってなさい」とおっしゃった。キリスト様は向かうむいて行ってしまったのではありません。十字架に向かって進み行きたもうときに、「また来るがら待ってなさい」とおっしゃった。そしてそのお言葉のとおりにキリスト様はまたおいでになりました。キリスト様がおいでになったからこそ、あのようにロマの恐しい力による迫害にもめげないで、あるいは徳川時代のあのきびしい弾圧にもくじけないで生きてきたのでしょう。また来るとお約束くださり、その約束どおりにおいで下さった方を迎えて、そのお方と共に生きてきた多くの人たちが、毎年毎年それを忘れないで記念し、またそれを新にして進むようにと残してくれたのがクリスマスの祭です。それをいま私たちは受け継いでお祝をしておるのですが、さて私たちは今そのクリスマスのお祭りをどのようにしたらよいのでしょうか。
P119
クリスマスが近づくとか菓子屋さんは一生懸命クリスマスケーキを作ります。植木屋さんはクリスマスツリーの用意をします。そのほが多くの人たちがそれぞれに準備をします。私たちはどんなにしてくリスマスを迎えましょうか。クリスマスケーキを作りますか、ツリーを立てますか、いろいろな仕方があるでしょう。今年はどんなクリスマスにしましょうか。クリスマスの迎えかた毎年同じではどうでしょうかと私は思います。いつの昔からクリスマスがきちんときまった仕方になってしまっていて、十二月二十五日にはその上にたまったカビくさいほこりを払ってお祝いするというようなクリスマスは面白くも楽しくもなく、ましてやありがたくもないでしょう。
ことしもクリスマスの時となりました。そこでまず第一にせねばならぬことは、キリスト様をお迎えすることです。どのよりな迎え方をしましょうか。
人をお迎えする時には声を出さねばいけないと思います。どこかの家に行って「ごめん下さい」と言っても返事がない。いるのかいないのかわからないので、もう一ぺん大きな声で「ごめん下さい」と言ってみると、そっと玄関の戸が開いて疑いぶがそうな顔が出た。「今日は」と言うと、その顔が黙って深々とおじぎをした。こんな迎えかたをされたらどうですが、皆さん。気味が悪いでしょう。私たちはキリスト様をお迎えするとき、うっかりするとそういう迎えかたをしているかもしれません。
キリスト様は私たちに向かって「また来るよ、待ってなさい。またくるよ、目をさまして、祈りをたやさず待ってなさい」と言って下さった。その方がおいでになった時にどんな仕方でお迎えしますか、黙ってお迎えしますか。やっぱり声を出すべきでしょう。「いらっしゃい」とか、「お待ちしてました」とが、何とか言わなきゃいけないでしょう。
聖書をずっとお読みになってごらんなさい。聖書は神様が語りかけ呼びかけて下さったみ言葉の記録でしょう。
その一番終り、ヨハネ黙示録の最後の所に次のように書いてあります。
御霊(みたま)も花嫁も言う「きたりたまえ」
聞く者も言え「きたりたまえ」と。
渇く者はきたれ
望むものは価(あたい)なくして生命の水を受けよ。
これらのことを証しする者言いたもう、
「しかり、われ速かにいたらん」
(P120)
アアメン、主イエスよ、きたりたまえ。
ヨハネ黙示録(21・17~20)←(22.17~20)
花婿を迎え待つ花嫁のように教会の人々は、「きたりたまえ」と主イエス様を呼び求めます、主はその呼びかけを無視なさらず、「しかり、われ速かにいたらん」と仰せになる。これに対してヨハネ黙示録の著者は「アーメン、主イエスよ、きたりたまえ」と言っています。クリマスのこのとき私たちもまた思いを新にして、「われ速かにいたらん」と仰せになるお言葉を聞き、その方に向かって「アーメン、主イエスよきたりたまえ」と申し上げるべきではないでしょうか。
わたしたちは主イエス様をお迎えするときに「アーメン」を言っておりますか、どんなアーメンを言っておるでしょうか。口を動かしてはおるが、人に聞こえないようなアーメンを言っておるかもしれません。隣の人にも聞こえないような静かな細々とした蚊のなくような声でアーメンを言っておる、そんなことはありませんか。それは一人一人だけではなくて教会だってそうでしよう。教会でアーメンと言うお祈りの声がとなりまで聞こえますか。アーメンの歌がこの町のどこまで聞こえますか。わたしたちの「アーメン、主イエスよ来たりたまえ」という答えを、もっと大きくもっと力強く言いながら迎えるクリスマスでありたいと思います。
毎年のことながら、十二月にもなるとと交響楽メサヤに耳をかたむけたり、ハレルヤコーラスを歌ったりして、クリスマス気分を楽しもうというわけで、多くの人たちがあちこちでクリスマス音楽会とか合唱祭とかをさかんにいたします。その人たちは、教会や聖書と関係なくキリスト様のキの字も知らない人たちが多いのです。しかし、あの人たちは精魂をかたむけてやっています、そしてすばらしい。教会の合唱隊や聖歌隊などおよびもつかないほどに素晴らしい。
キリスト様のキの字も知らない人たちでもあのようにするのに、どうでしょうか、キリスト様に救われて、キリス卜様から「行くよ、待ってなさい」と約束をいただいたわたしたちがアーメンの声を出さないで、出しても二・三人の人にしか聞きとれないような細々としたアーメンの声で迎えてよいでしょうか。もっと生き生きとした腹の底から、それこそ命がけで答えるアーメンを言わねばならぬはずです、言えるはずです。どうでしょうか。
私たちの先輩たちは、ことに身近には私たち同じ九州で(P121)のあのキリシタンたちの答えた答えぶりはどうだったでしょう。人が笑おうと、馬鹿にしようと、あるいはそれで殺されようと、そういうことはおかまいなしに、「アーメン、主イエスよ来たりたまえ」というこのこたえをし続けてきた人たちでした。クリスマス、なによりもまず第一に「アーメン、主イエスよ来たりたまえ」という祈りの準備をしたいと思います。
クリスマスにはサンタクロースとクリスマスツリーがつきもののようですから、次にクリスマスツリーについてお話しいたしましょう。
もうずいぶん前のことですが、ある日曜学校でクリスマス礼拝が行われました。ふだんはうす暗い修道院風な礼拝堂にクリスマスツリーが立てられ、先生たちと生徒たちは明るく楽しい気持で、おごそかにきれいなクリスマス礼拝をいたしました。ところがそのあとで日曜学校の先生たちは、アメリカ人の宣教師の方に注意されました。教会堂や礼拝堂の中にはクリスマスツリーを立てるべきでないというのでした。なぜかというとそれはキリスト教のものではない、クリスマスツリーは教会の信仰から出たものではなく、異教の風習からきたものだと言われるのです。それはそうでしょうねえ。聖書を旧約から新約まで読んでみても、どこにもクリスマスツリーは一本も立っていません。
たしかにそれは異教社会の風習から出てきたものでした。その先生の言われる通りです。しかし、だからと言ってそれをキリスト教に取り入れ、教会や礼拝堂の中に立ててはいけないという考え方はいかがなものでしょう。なんてまあ、ちっぼけなつまらぬことを言うのだろう、このアメリカの大先生はと、失礼ながら私は心の中であきれた思いをいたしました。
聖書にもなく教会の信仰や教義から始まったものでもないクリスマスツリーがどうして飾られるようになったのか、それについてはいろいろな言い伝えがありますが、その一つにこんな伝説があるそうです。
ずっと昔のことキリスト教がヨーロツパに伝わってゆき、田舎の村々までしみこんでいって、その伝道の結果ある一つの村の人が皆クリスチャン になりました。その村ではそれまではキリスト教のことは知られてなかったのですから、古い自分たちの仕方で昔からの異教の信仰をもって暮らしておりました。その村の丘の上に一本の古い大きな木が立っていました。この木が私たちの小さな村を見おろして守っていてくれる。うちのじいさんや(P122)ひいじいさんの頃、いやそれよりももっと昔からあるこの木、これはこの村の守り神だ、この木には神様の霊が宿っている、とその村の人たちは信じきっていました。日本でもそうでしょう、まわりにしめ繩をはった御神木という木があるでしょう、そういう木があったのです。春の頃になると村の人たちみんながその木のもとに集ってきて、今年の豊作の祈願をする、そしてご馳走を食べて、歌って踊ってお祭りをする。秋になると収穫が終って皆がまたそこにきて、木のまわりをきれいに掃除し、お祭りをし、ご馳走を食べて歌ったり踊っりする。そういうところにキリスト教が伝わりました。そして、その木がその村を守って豊作にするのではないのだ。天地の造り主全能の父なる神様が、私たちを守り導いて下さるのだという信仰を植えつけたのです。
ところでどうでしょうか、クリスマスツリーを教会の中に立てるのをとがめなさるそういう方の考え方からゆくと、ここはキリスト教の村になったのだから、もう今まであなたたちが迷わされていたようにこんな木はこわくもありかたくもないでしょう。これがどうして神様の木であるものですか、これは悪魔の木なんだ、こんなものは切り倒し捨てて、ここに教会でも建てるのだというように多分持ってゆくでしょう。日本でもそういうことがあったでしょう。生えている木ではありませんが、お家の中に位牌という木がまつってある。これは偶像だ。こんな木は焼き捨てなさいと言った。いや、今でもそんな人がいないとはかぎりません。生えている木と生えていない木との違いだけですが、考え方は同じでしょう。
ところがその村に伝道した人たちはそういうやりかたはしなかった。木を切り倒してこれはつまらんとは言わなかったですね、村人たちがずっとやっていた春祭のその時、みんなを木の下に集めて、天地の造り主なる神様のことをこんこんと話して、神様が今年も豊作にして下さるように、皆でここでか祈りをしました。今までその木が神様だろうと思って木にお祈りしていた人たちの心を天にまで向けて、喜びにあふれて皆が神様をたたえる歌を歌い楽しんだ。収穫のころになるとまたそこにきて村ぢゅうの人が一緒に御神木ではなく、天地の造り主なる神様に収穫感謝をしました。こういうふうに昔からの木のまわりに皆が集るが、昔とは違った信仰をもって、本当の神様を仰ぐ習慣ができました。御神木とされていた迷信の木をクリスマスの祝の木に変えたのでした。そ
れがクリスマスツリーの始まりだと言われております。
P122
私はこれは本当にすばらしいことだと思っております。私はクリスマスツリーを、異教の風習、キリスト教とは異質のものだときめつける考え方には、賛成できません。
異教の信仰からはじまった習慣だってかまわないではありませんか、丘の上のあの木を神様を賛美するための木にかえて使った、それで人々が本当の信仰に生きた、すばらしいとは思いませんか。あれは異教的だ、これは邪教の色合いだ、折伏(しゃくふく:自己の誤りを悟らせる)しろというような行きかたはいかがなものでしょうかと思います。そうでなくてあれにも間違いがあるでしょう、これにもいかがか。というところはあるでしょう。しかし、キリスト様を信じてごらん。間違ったところがなおってくるのだ、と大きく抱きこんで活かしてゆく、キリスト教の信仰はそんなものだと思います。ですから私はクリスマスツリーを見ると誇りを感じます。あの村に伝道した人たちがせまい気持で、あれはいけない、これはいけない、自分たちの道だけが純粋だというような考えかたをしなかった、そのおおらかな伝道の仕方を尊敬しそれに誇りを感じます。クリスマスツリー、それはあの異教の村をクリスチャンの村にした伝道の勝利のしるしだと思います。私はクリススツリーを見る時にこれは伝道の勝利の記念碑であり、これから後もいつまでも伝道の戦いの旗じるしとなるべきものだと思っています。
今では姶良町となっていますが、昔から重富と呼ばれている小さな山村で、大正時代のはじめ頃から、鹿児島の教会の出張伝道が続けられています。そこでは婦人たち数名だけで信仰を守り続けていましたが、いつの間にかみんなお婆さんになってしまいました。若い人たちのように元気な活動はできませんが、しかし、どうにかして孫たちと近隣の子供たちを信仰に導きたいとの願いから、毎月一回か二回、教会から牧師や青年たちを迎えて集会を続けていました。毎年クリスマスは子供たちはもちろんお婆さんたちにとっても、うれしい楽しい時でした。
ある年のクリスマス、例年のように集会場になっている大きな旧家のお座敷にはいってみると、そのお部屋はきれいな色テープで飾りつけがされてあり、正面の柱にはクリスマスツリーが結びつけられてありました。それはみんな数名のお婆さんたちがいっしょに考え、いろいろなものを持ち寄っての合作でした。幼稚園のように飾りつけられたそのお部屋を見まわして、クリスマスツリーに目がとまったときは感激でした。それはそのお家の山から切ってきたものでした。それに七夕まつりの飾りよ(P124)ろしく、お婆さんたちの手芸品?がさまざまぶら下げてありました。
「豆電球がないのであんなものを下げました、見て下さい」
と、ひとりのお婆さんが笑いながら指さし説明してくれました。それはそのお座敷の前の庭に植えてある金柑の木になつた黄色に熟した実でした。
金柑の実の五つ六つ吊るしあり
姐(おみな)のたてしクリスマスツリー
うす暗い電球の光をうけてにぶく輝く金柑の実が印象的でした。そしてあのクリスマスツリーにこめたお婆さんたちの若々しく意欲的であつた伝道の熱情は、その後いくとせクリスマスのたびごとに私を新しく感動させ励ましてくれています。
今年もあちこちにクリママスツリーが立っています。これは今年の伝道の労苦と勝利のしるしとして立てられたのでしょうか、それともただの飾りとして立てられたでしょうか。
今年は私の家では孫が生れたので、孫をつれてきてここで産後感謝をし洗礼をしていただき神様の祝福にあずかりました、これが私のささやかなことしの伝道の一つでございました。クリスマスツリーの飾りの一部分のつもりでこの孫をつれてきましたと言う方もあるかもしれません。あるいはまた私の所ではお葬式を出しました。しかし、お葬式は神様のところにあの親しい人を無事に送りとどけたしるしでした。あれも、私の家で悲しみの中で涙なからにした伝道の一つのいとなみとなりました。その記念としてうれし涙とともに感謝をもってクリスマスツリーを立てました、と言う方もあるかもしれ
ません。どうでしょうか、今わたしたちの教会に飾ってあるクリスマスツリー、これを、教会の伝道のシンボル、病気という苦しみにも負けないで、死別という悲しみをも越えて打ち立てられた素晴らしいクリスマスツリーだとして見つめることができましょうか。
クリスマスを迎えるときにそれぞれクリスマスの木を心の中に植えて、それをそれぞれの仕方で飾って迎えたいというような思いがいたします。あのアメリカの先生はクリママスツリーは礼拝堂の中においていけないと言いましたけれども私はそうは思いません。礼拝堂には、ああ、あそこにはあの人のお家のクリスマスツリー、(P125)ああ、ここにはまたことし新しくお立てになったこの方のクリスマスツリーがある、ずらっとこの教会いっぱいクリスマスツリーが立ち並ぶといいと思いますね。そういようなクリスマスはいかがでしょうか、皆様。
今年はこういうツリーが立ちました、来年はどういうツリーを立てましょうか。私たちはこういうツリーを立てたのですが、うちの子たちにはどういうツリーを立てさせましょうか。うちの孫たちはどんなツリーを立てて「また来るよ」と約束し、そして実際においで下さったイエス様を迎えるのでしょうか。クリスマスにそういう夢を持ちたいと私は思います。伝道の夢です、証しの夢です。これなしでクリスマスをお祝いしどんな盛大なクリスマスをしたって、ほんとうの楽しいタリスマスにならないでしょう。
ホワイトハウスの庭にびっくりするような世界一豪勢なクリスマスツリーが立っても、あんなもの何にもならないのです。あんなものを打ち立てて、ほれ見ろおれの所はこんな立派なクリスマスツリーを立てるほどの力があるのだ、こんな力で原子力を開発しているのだ、これだけの力で原子力空母や爆弾がまたできた、ほら、お前のところに売ってやるぞ、これを使ってもっと戦争をやらないかと両方に武器を売りこんで、知らん顔して戦争させてもうけようとするような、そんな姿勢で立派な世界一のクリスマスツリーを庭に立てたって何になるものですか。私たちはあれに負けないで本物のツリーを立てたい。伝道の木です、証しの木です。その木のまわりに集って、大きく誰にでも聞こえるようにアーメンと言える木です。誰でもがそれを聞いて、私もアーメンと言いたいなという気持にきっとなると信じ願いつつ。
「アーメン、主イエスょきたりたまえ」
と祈りつづけ、歌いつづけて祝うクリスマスにしたいと思うのでございます。
1981年12月25日
クリスマス
鹿児島復活教会にて