「17.さしのべられた手」、「18.み栄えとわに」、「19.弓の歌」、この三つは「歌い上げし人」と題した小冊子にして、
1982年12月 郡山 淳先生 御逝去10周年を記念して捧げられたものである。
郡山老師をしのびて
たたへ歌口ずさみつつ杖ひきて
河頭(こがしら)の山を師は越えましぬ
師の君の行き交ひましし山の道
バスには乗らずひとり越えゆく
17.さしのべられた手
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きょう郡山先生がおなくなりになりました。予期しない時に、まだまだもっと後にと願っていたことがおこりました。
長い御生涯を神様の深いおめぐみと不思議なお導きの中でお過ごしになり、いま天のみ国にお帰りになる先生。
この先生のために私たちが今しなければならないことは何でしょうか。それは神様のみもとにお帰りなる先生を皆でいっしょに心をこめてお見送りすることでしょう。
どのようにお見送りしたらよいでしょうか。考えてみたいのでございます。
いつでしたかお見舞に上りたいと思って、ご都合をお伺いしましたところ、
「父はおしゃれですから、みっともない姿を人に見られたくないのですよ。今すこし気分のよくなるまでお待ち下さい」
と静枝先生からおことわりのお返事がありました。しばらくしてご気分がよくなり、時々おゆるしを得てお訪ねし、お顔を拝見したりお話をおうかがいしたりしたものです。ついこの頃も、心配しながらどうでしょうかと、薬師町のお家にお尋ねしてみましたら、光子さんから、まあいい方ですと聞かされて、よかったと安心して帰ってまいりました。
先週の土曜日、私に会いたいとおっしゃるとのお電話をいただきましたので、早速参上して聖餐式をしてから、しばらくいろいろお話をお聞きして帰りましたが、先生はその時しきりに、人差し指を立てて天井の方を指差しておられました。その指がとても印象的でした。
数年前草牟田の病院に入院され心配な状態になられたとき、やはりあのお手でした。私かお見舞に参りますと、泊り込んで御看病しておられた静枝先生が、
「手、手、手と言ってしきりに手を上げますけどあれは何でしょうか」
と言われました。私は先生に、
「先生、それは祈りの手でしょう」
と言いますと、先生はうなずいてにっこりされました。
「多くの方がたの祈りの手に支えられていますよね」
と申しますと、先生は満足されたようで嬉しそうなお顔をなさいました。病気の重態のとき、多くの祈りの手が差し出され支えとなっていることを感じる、祈りのたしかさを信じている。それが先生にとっては何よりもまさ
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る慰めであり、力であり、喜びであったのです。草牟田の病院にお訪ねした時、さし上げておられた手を私は忘れられません。
今度もまたあの手でした。人差し指を立てておられるあの手でした。先生の枕もとで私は天を指さしながら、
「あすこでしょう、きまっていますね」
と言いました。すると先生は力強く、
「そうです」
と返事をなさいました。私に会いたいから来いと言われたのは、その手のことで上ってこいとおっしゃったのだとよくわかりました。
郡山先生は召されます一週間か、十日前にそういう手の動かしかたをするようになったというのではありません。先年婦人会の方々がみんなで先生のお宅におじゃまして、集りをした時、いま北九州に行っておられる当房さん御夫妻がお出になっておられたのを、先生は大変お喜びになりました。何十年か前に先生がそのお二人の仲人をされたので、
「やあよくきたね、この頃はどうかね」
と子供に話すように楽しく話しておられましたが、その中で先生はこう言われました、
「大丈夫だよねえ君。行くところはちゃんときまっているんじゃないか、こんな嬉しいことはないねえ」
すると当房さんはにこにこしながら、
「私もそう思っています」
とお答えしていました。そばで聞いていますと、天国に帰ることがどこか楽しい所にいっしょに出かけることででもあるかのようなお二人の語らいです。信仰の友の語らいは何とまあ楽しいものかと羨ましく思いました。このことからも、先生はずっと前から、みずから天を指差して準備をしていらしたのだということがわかります。
指差した方に向って、まっしぐらにあそこだ、あそこだと見つめながらお歩きになり、ご自分でその近いのをお感じになり、
「時が来た。もう行くぞ」
と声をかけて下さるために、私をお呼び下さったのだと思いました。
普通の言い方をしますと、大往生、安らかな素晴らしい召されかただったと思います。神様のお召しの近いことを知っておられた先生は、主治医の先生が最後に来診された時には、
「行くところはちゃんときまっているのだから、今さ
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ら必要はないのだが、それでもまあ、せっかくだから・・・・・」
と言って診てもらわれたということです。死ぬることは、恐れでも不安でもなく普通のこととして、死を自分のものにしていらしたのだと思います。
もう一度元気になって、教会に礼拝に行きたいと言っていらした先生は、皆が教会に集る日曜日に、天にお帰りになるということになりました。
この先生をどのようにお送りしたらよいのでしょう。
私たち先生の指差した手を見つめながらお送りしたいと思います。先生が手、手、と言われたお祈りの手、病気の支えとなっていた手を思いたい、多くの人に支えられていた先生の手は、今は逆に多くの人々を、そしてあなたを、わたしを、しっかりと支えていてくれるでしょう。
先週の日曜日私が呼ばれていった時、先ず私におっしゃったことは、
「めぐみさんは元気ですか」
と私の娘の病気の事を案じてのお言葉でした。先生はいつも私の娘の安否を問われ、
「いずれが先に召さるるも……ですよえ、先生」
とおっしゃっていらっしゃいました。先生の手は大きな手でした。ご自分が支えられている手の温かさと確かさを知っておられた先生は、同時にご自分の手で多くの人たちを支えていらっしゃいました。
もう終りの近いことを覚悟しておられた時も、私といっしよに行った岡積さんを見ると、
「正子どんは元気か」
と奥さんのことを聞かれるし、安永さんを見られると安永さんのお父さん、お母さんの病気のことを尋ねられるのです。まるで逆です。重態の先生の方が、一人一人に手を差し出して支えられました。
一入一人を支えていただいた手、その手は天をさし示す手でした。今私たちは先生をお送りする時、先生の差し出された御手が、いまだに私たちを温かく支え上げ、天を指さし示しつつ励ましていて下さることを、教会の皆様といっしょに感謝したいと思います。
もう一つ感謝したいことは、
「わたしも元気を出します、元気になって重富ににゆきたいのです」
と重富の村で信仰に励む人たちのことを、その手の上に乗せていて下さいました。先生はあたたかい大きな手をひろげて、重富伝導を抱き持って神様のもとへ帰って行かれました。そのお手はなぐさめの手、励ましの手、そ
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して伝導の手でした。私たちは世を去るまで伝導の手をさしのべておられた先生を、しっかりと見つめつつお送りしたいと思います。素晴らしい歩みをなさった先生のために感謝して下さい。子供として、妻として、友として、先生に感謝なさることが沢山あるでしょう。
ここから河頭(こがしら)までの山道を歩いて上り下りして、神様のために尽しなさった先生。この先生にならって、私たちもまた祈りの手、感謝の手、伝道の思いに燃ゆる手をさしのべ打ち振りながら、永遠の生命の輝かしい門出を、お見送りしたいと思うのでございます。
1973年 12月8日
郡山 淳先生お通夜