31.柴は燃え尽きず


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主はとこしえの神、地の果の創造者であって、

弱ることなく、また疲れることなく、

その知慧ははかりがたい。

弱った者には力を与え、

勢いのない者には強さを増し加えられる。

年若い者も弱り、かつ疲れ、

壮年の者も疲れはてて倒れる。

しかし

主を待ち望む者は、新たなる力を得、

わしのように翼をはって、のぼることができる。

走っても疲れることなく、

歩いても弱ることはない。

 (旧約聖書イザヤ書40・28~31)

 

新しい年を迎えました おめでとうございます。

 永遠にして創造者である神さまを信じ仰ぎつつ、ことしもまた新しい力を得、わしのように翼をはって舞い上がり、走っても疲れず歩いても弱ることのない一年を過ごさせていただきたいと思います。

このような走りかた歩きかたをした人のひとりであるイスラエル民族の偉大な指導者モーセについて考えてみましょう。

 むかしヘブル人たらがエジプトに移住していたとき、エジプト王パロは、この異民族が強くなるのを押えふせぐために、ヘブル人の子供が生まれたならば、女の子だけ生かしておき、男の子はみんなナイル川に投げこんで殺してしまえと、命令を出しました。

 そのころパロ王の王女がナイル川に水浴にきました。川岸の葦の茂みの中に一つのかごがかくされてあり、そこから赤ん坊の泣き声がするので、侍女にそれを取ってこさせ開いてみると、生まれて三ヶ月くらいのヘブル人の男の子が入れてありました。王女はかわいそうに思ってその赤ん坊を助け、自分の子としてその母親にあずけておき、乳ばなれしてから王宮の自分のところに引き取って養い育てました。ナイル川の岸辺の草むらの中から引き出したので、その名をモーセ(引き出し)と名づけたと言われています。

 王女の子として育てられたモーセは、「エジプト人のすべての学術を教えられ、ことばとわざとに能力」ある人になりました(使徒行伝7・22)。エジプトでの最高の学問知識を習得し。言わば第一級のエリート、口も八丁手も八丁という有能な人物になりました。

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 四十才になったとき、知力も体力も十分に、指導者として起つに必要な条件もすべて備えられていると確信して、モーセは、エジプトでパロ王に苦しめられている同胞イスラエル民族を救い出す解放運動を起そうとします。

自分の力に十分の自信をもって熟慮して行動したのですが失敗し、身の危険を避けるためにアラビヤに逃げて行き、そこでミデアン族の酋長である祭司エテロのもとに保護され、エテロの羊を飼って四十年のあいだ亡命生活をします。

 その間にモーセは何を考えていたでしょう。エジプトで暮らしたときのさまざまなこと、ことに四十才のときのあの事件は忘れようとしても忘れられないことだったでしょう。ことばと知慧とに満ち、確信をもって力強く起ちあがったあのときに、見つめ追い求めていた同胞イスラエル民族解放の幻は、年月がたつにつれてだんだん影がうすれ遠のいてゆくかのようである。

 しかし、当然成るべくして成らなかったあのことは、忘れようとしても忘れられず、おりおりに思いおこされ、そのたびに記憶はあざやかによみがえり、体内に熱いかたまりが煮えくりかえるような思いがしたでしょう。あんなはずはなかった、なぜ失敗したのだろう、何が足りなかったのだろう、彼は失敗のあとをふりかえり反省するたびに、あのことは夢まぼろしと消え去らせてはならない、どうしても実現させねばならない、成功する方法がかならずあるはずだ、と思ったでしょう。

  しかし、もう八十才、この老体ではどうにもならぬ。やっぱりみんな過ぎ去った夢だったのか、と思うようになりました。そんな思いのするある日、羊の群をつれて森の奥へはいってホレプの山へ行きます。するとそこに火が燃えている。柴が燃えている、近よってよく見るとその柴は燃えても燃えても、燃えつきない、灰にならない。これは不思議だ、もっとよく見ようと思ってモーセが近よります。するとその燃えている柴の中から神さまの声が聞こえました。

  「モーセよ、モーセよ、ここに近よるなかれ。なんじの足よりくつを脱ぐべし。なんじが立つ所は聖き地なればなり」

いまお前の立っているこの所に神さまがいますということでした。モーセはびっくりして足からくつを脱ぎ、燃えている火の前につつしんでひざまずきます。すると神さまは、

 「我はなんじの父の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神なり」

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と仰せになり、つづいて重大な命令をおあたえになりました。

 それは、これからエジプトへ行き、パロ王に苦しめられている神さまの民イスラエル民族を救い出せということでした。四十年前血気さかんなころ、自信をもって立ちあがり、もろくも敗れ、志成らず挫折したあのことを、またやり直せとのご命令でした。

 八十才の老人となった自分に、そんなことはもうできるはずはない、とモーセは身をちぢめ頭をたれました。しかし、そこに火が燃えている、枯柴が燃えても燃えても灰にならず燃えつづけている。神さまがいますという聖なるその所で。

 じっと火を見つめているうちに、モーセは四十年のあいだ自分の心の中でくすぶり燃えつづけていた民族解放の火が、ふたたびはげしく燃えあがるのを感じた。いま目の前で燃えている枯柴の枝のように、自分の老骨も燃えるだろう、いや燃えねばならない、燃えつきることはないのだ、起たねぱならない、起ってエジプトへ行かねばならない。モーセの心ははげしくゆすぶられるようで

した。

 しかし、大丈夫だろうか、モーセはなお一抹の不安を感じます。四十年前のあの時は、すべての条件はととのっていた、若くもあり、知力も体力もあり確信もあった。きっと成功すると思っていた。それにもかかわらず失敗した。何故だろう? モーセは今またそのことを考えねばならなかったでしょう。

 モーセはエジプトで王女の子として最高の教育を受けました。しかし、それは神さま抜きの教育、神さまを知らない人間中心の学術でした。どのように人間の知識が進み能力が発達しても、神さまと無関係の、神さま抜きの学識と能力は、必ず行きづまります。そして、人々を不幸にしたり、社会生活を混乱させることになります。それのみではなく、地球を破壊したり、人類を滅亡させ

るかも知れません。

 神さま抜きの教育や文化の危険なことは、モーセ時代のエジプトだけではなく、今のわたしたちに身近な重要問題であることを忘れてはならないと思います。

 モーセは神さまを知らず、神さま抜きの行動をして失敗したのでしたが、幸いなことに、ミデアンの祭司エテロの指導と感化を受けて信仰に導かれ、だんだん神さまがわかるようになりました。そして今八十才にして神さまのお召しの声がかかったのでした。

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 まだ神さまを知らなかったとき、モーセは自分の力をたのみ自分で起ち、そして敗れた。しかし今度は、神さまが、起ちあがれ、エジプトへ行けと命じたもう。若さも自信もなくなったモーセは、今は八十才の老体だけを献げてその命令に従おうとする。

 しかし、これでよいのだろうか、大丈夫だろうか、と不安でまだ立ち上がることができない。

 そこで神さまは仰せになりました。

 

 「我かならず汝とともにあるべし」

   (出エジプト記3・14)

 

神さまがきっとモーセとともにいて下さるというお約束です。

 それでもまだモーセは動けません、不安なのです。神さまは、汝とともにおるぞと約束して下さる、それはありがたい。しかし、その神さまをモーセはまだよく知らないのです。それでモーセは神さまにおたずねします。

 「わたしはエジプトへ行ったとき、わたしの同胞イスラエル人たちから。モーセよ、お前の言うその神は、 いったい何というなまえだと問われたら、何と答えましょうか」

すると神さまは次のようにお答えになりました。

 

 「我は有りて在る者なり、……なんじかくイスラエルの人びとに言うべし。(我有り)という者我をなんじらにつかわしたもうと」

(出エジプト記3・14)

 

神さまはまた仰せになりました。

 

「我はエホバなり。われ全能の神といいてアブラハム、イサク、ヤコブに現われたり。されどわが名のエホバのことは彼ら知らざりき)

 (出エジプト記6・2~3)

 

〔日本語の文語訳聖書では、神の名としてエホバという語を使っていますが、これは正確な発音ではありません。旧約聖書では、神の名としてヘブル語文字の四つの子音YHWHが使われてありますが、子音だけですから何と発音するのか正確には分りません。聖書学者たらの研究の結果エホバは誤読で、ヤハウェと発音するのが正しい読み方に近いとされています〕

 

モーセは、自分の先祖たちが代々信じてきたのはエルジヤダイ(全能の神)という神だ、と祭司エテロかち教えられていました。ところが神さまはモーセにもう一つの名を教えて下さいました。それはエホバ(ヤハウエ)という名でした。それば「有りて在る者」という意味だというのでした。

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 ヤハウエ即ち(有りて在る者)とば、(有り)ということのもとです。そのお方によってこそ、ありとあちゆるものが存在する。あらゆる存在のもと、そして永遠の過去から永遠の未来まで、即ち(時)の始めかち終りまで、いつでもどこにでもいます、有りて在りたもうお方、それが神さまだと教えちれたのでした。

 モーセの目は開かれました。全能にして、有りて在りたもう神さまが、自分を呼び出し、エジプトへ行けと命じたもう。そしてその神さまご自身が「我かならず汝とともにあるべし」とお約束して下さる。これでモーセは起ちあがる自信と勇気が与えられました。

 モーセは目の前で燃えつづける枯柴の火を見て思ったでしょう。そうだ、わたしも燃えねばならない、いのち終るまで燃えて燃えて燃えつづけねばならない、と思ったでしょう。このときモーセばもう老人ではなく、八十の青年になったのでした。

 今年一九八五年ば国際青年年と言われています。それは全世界の人々が協力して青年を考え、青年を発見し、青年として成長し生きようとする年でばないかと思います。それでわたしは、燃ゆる柴の前にひざまずいた八十の青年モーセをふりかえってみたのでありますが、さて青年とは何でしょうか。

 青年とは若い人のことにきまっているではないか、と言う人もあるでしょう。しかし、わたしは必ずしもそうだとは思いません。年の若い人が青年だとは限りません。若年寄りと言われるような若者もいますからねえ。

  (青年)ということばは、りっぱな日本語ですが、しかしそれは昔からあった日本語でばありません。万葉集の時代とか平安時代とか徳川時代とかいうような昔からあった言葉ではありません。

  (青年)という言葉ができたのば明治時代だということです。それは日本語の研究家とか国語教育の専門家が考え作り出したものではなくて、あるキリスト教の牧師がはじめて使った言葉だそうです。明治のころはまだ今のように立派な英語の辞書が無かったので、その牧師はあるとき、英語のライジング ゼネレイション(rising generation)ということばにぶつかって苦労しまし

た。

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(ライジンダ)とば(立ちあがりつつある)、(ゼネレイション)とは(世代)または(年代)という意味である。するとこれは(起ちあがりつつある世代)ということになるが、それは一体何のことだろう、と思ってその前後の文のつづき具合を見ながち、幾度も読みかえし考えてみると、それは、これから起ちあがり成長してゆく人たち、青々とした若芽のように伸びゆく人たちのことらしいと分りました。それでその言葉を(青年)と訳したそうです。

 ところが大変です、偉い国学者や漢学者の先生たちから、はげしく非難され軽べつされたそうです。ヤソの牧師(その頃はまだキリスト教をヤソ教と言っていました)はおかしなことを言うものだ。若い者のことをアオトシ(青年)などと言う。日本には昔かち(若者)とか(若い衆)というりっぱな日本語がある。それだのにアオトシとは何ごとだ。ヤソの牧師という奴は、日本語をろくに知らないで、バタ臭い青二才みたいなカタコト日本語を使うものだ、と悪口を言われたそうです。ところがどうでしょう、それが今日ではりっぱな日本語になっています。

 しかし、その青年ということばは、このごろはどうなっているでしょうか。青年と呼ばれる人々の中に、セイネンというにふさわしい意味内容が生きつづけているでしょうか。そのことばがはじめて日本語の中に現われたときに持っていた、ライジング ゼネレイション即ち(起ちあがりつつある世代)という意味精神が生きておるでしょうか。もしそうでないならば、その若い人たちは、セイネンではなく、アオトシとして笑われることになるかもしれません。

 くりかえして申し上げます。青年とは年の若い人、若ければ青年、というのではありません。起ちあがりつつある世代を生きる人、それが青年です。

 ことしは国際青年年だと、声を大にして呼びかける人たち、またその呼び声を聞かされ動きだす人たち、みんなほんとうに起ちあがりつつある世代を生きようとしているでしょうか。いくら年が若くても、起ちあがろうとしなければ、青年ではありません。若年寄りです。老人でも、足腰おぼつかなく弱っていても、起ちあがりつつあるならば、その人はりっばな青年です。ことしは老い

も若きもみな青年になる年、起ちあがるべき年だとおもいます。

 ではどのように起ちあがりましょうか。モーセがホレブの山からエジプトへと出ていったあの仕方を学ぶべきでしょう、彼の模範にならって、有りて在りたもう全能の神さまをかたく信じ、神さまがお召しになり、お命じになるその方向にむかって、神さまのみこころの実現を目ざして、今日も明日も、起ちあがりつつ進む、今年も来年もたゆまず進む、そしてお墓にはいるときには永遠

へ向かって、更に燃えあがり起ちあがって行くものでありたいと思います。

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 起ちあがって行く、それは必ずしも手や足を動かして活動することとはかぎりません。病床で一生を過ごさねばならぬ人もあり、年老いて起き伏しが自分で自由にできない人も多いでしょう。それでもなお起ちあがることができるのです。

 有りて在りたもう全能の神さまが、今日もともにいて下さる、そして、

 「今日という日を、わがために生きよ。われと共に生きよ、我かなちず汝とともにあるべし」

と呼びかけ招いて下さる、そう信じて生きることが、起ちあがって行くことだと思います。

 しかし、これはただ一人一人のことだけではありません。教会もまた、起ちあがりつつある世代を生きて行くべきではないでしょうか。このごろ教会には若い人が少くなったとか、青年がいない、ここも老令者社会だなど言う人たちがいます。そんな人は、八十才にして燃えて起ちあがっだモーセのことを、ただ昔話と考えているのでしょう。わたしたちの教会にも今、燃えても燃えつき

ない枯柴が燃えさかっているのが見えないのでしょうか。その燃ゆる柴の中から呼びかけておられる神さまのみことばが聞こえないのでしょうか。

 あなたもわたしも、そしてわたしたちの教会もみんなことしは青年になりたい。そしてライジング ゼネレイション、起ちあがりつつある世代を生きてゆく年にしたいと思います。

 

 1985年1月20日

  顕現後第二主日

大口聖公会にて