26.ダマスコへの道
P169
私たちは誰でもなんだか気持がよくないとか、なんだか楽しい気分になれないとか、落ちつかないなどということがあります。どうしてでしょう。その原因はいろいろあるでしょうが、その一つは調和がとれていないということではないでしょうか。うまく調和しないときに気持が悪いのではないでしょうか。
音楽とか絵とか彫刻をなさる方は、調和ということにきびしいでしょう。私たち素人には何でもないつもりでも、音楽家は音が調和していないと、気分が悪く、むかむかするような気持になるかも知れません。絵を描く人は色が調和しないと落ちつかない、彫刻家や陶芸家は、他の人が見てどんなに立派であろうとも、線や形や色合いがちょっとでも調和していなければ、折角の作品を惜しげもなくこわしてしまいます。文学を愛する人は、言葉づかいや文字一つでもその調和が気になるでしょう。
しかし、このようなことは芸術など専門の分野だけでなく、普通の暮らしの中でも経験することです。日常生活の小さなことでも、うまく調和していないと落ちつかず気持が悪いでしょう。たとえばテレビの配線が調和が悪いと、その絵や音が楽しくない。また夫と妻との食事の味、一方が辛すぎると言い、一方は甘すぎると言って調和しないと楽しくない。
私たちの毎日の生活の中で小さいことから大きなことまで調和がとれないと気持が落ちつかず、楽しくありません。それが度を越してひどくなると生きる勇気も望もなくなることがあります。
こう申しますと、まさか? 調和がうまく行かぬので生きられないなんて………と言う人もあるかも知れませんが、実はそうなのです。
聖書の中に次のように記されてあります。
我はわがうち、すなわちわが肉のうちに善の宿らぬを知る。
善を欲すること、我にあれど、これを行うことなければなり、
わが欲するところの善は、これをなさず、
かえって欲せぬところの悪は、これをなすなり。
(ロマ書7・18~19)
P170
これはパウロが書いた「ローマ人への手紙」の中の言葉です。これは、パウロの信仰が深まり円熟してきた頃に書かれたものです。信仰が深くなればなるはどパウロには、神さまと自分とのことが、はっきりとまたきびしく見えてくるのでした。善とは何か、悪とは何か、神さまを信じているパウロは、神さまのおきてによって、それははっきりと知っている。そしてそれに忠実に生きよう
とつとめてきた。しかし善を行い、悪を行わないという生き方ができない。信仰による良心というか、わが心に与えられている神さまのおきてと自分の行いとが調和しない、一致しない。自分の心のうちに矛盾を感じ、自分の中にもう一人の自分が住んでいるような苦しい気持になってパウロはつづけて書きました。
われ、内なる人にては、神のおきてを喜べど、
わが肢体のうちに、他の法(のり)ありて、わが心の
法と戦い、
我を肢体のうちにある罪の法の下に、とりことする
を見る。
あゝわれ悩める人なるかな。
この死の体より我を救わん者は誰ぞ。
(ロマ書7・22~24)
これはパウロの信仰の未熟さからの言葉ではありません。信仰があつくなり円熟すればするほどこの悩みが切実になるのです。恐らくパウロはその生涯を通じて、しばしばこの悩みにぶつかり、それに打ち勝ち乗り越えて行ったことでしょう。自分自身の中に不調和と矛盾を認め、それを取り除くことは、一度や二度でできることではありません。私たちは一生を通じて、死ぬまで何回
でもこれをくりかえさねばならないでしょうが、そのたびごとにそれを乗り越えて生きて行きたいと思います。
それにはどうしたらよいでしょう。
「あゝわれ悩める人なるかな。
この死の体より我を救わん者は誰ぞ。」
と言ったパウロはさらにつづけてこう書いています。
我らの主イエスキリストによりて、神に感謝す。
されば、我みずから、心にては神のおきてにつかえ、
肉にては罪の法に仕うるなり。
この故に、今やキリストイエスにある者は、罪に
定めらるることなし。
キリストイエスにある生命の御霊の法(のり)は、なんじらを
罪と死との法より解放したれぱなり。
P171
主イエスキリストさまによって、悩める人、死の体の状態から救われます、いや、現に私は救われたのです、あなた方も早くこの救いをいただきなさいとパウロはすすめているのです。
パウロは主イエスさまを救主と信じて救われたのですが、どのようにして主イエスさまを信ずるようになったのでしょう。そのことが使徒行伝第九章に記されてあります。それは次のようでした。
パウロはタルソの人で、はじめはサウロという名前でした。彼は幼ない時から神さまを信じ、また厳格な信仰の訓練を受けて、その頃の自分と同年配の誰にも劣らないほど神さまの教えを忠実に守り実行してきたと公言しております。
その若者サウロの前に驚くべきことがおこりました。ナザレの村から出たイエスという人間が十字架につけられて殺された。ところが、まもなくその男がよみがえったとか、それが神の子だとか救主だとかいう噂がパッとひろがり、それを本気で信ずる者が日ごとにふえてくる。
これはただごとでない。サウロはそれこそ身ぶるいするような怒をおぼえました。
ナザレのイエスとその弟子たちのことを聞いても、ははア、そんなものがまた出たか、というぐらいにしか思わない人も多いかもしれません。山の神、海の神、田の神、井戸の神、かまどの神、七福神とか厄病神など八百よろずの神々という考え方や習慣になれている人々には、キリストさまの弟子たちに対して、サウロの持ったこの嫌悪感と怒のはげしさは理解し難いかも知れません。
サウロは聖書の教にもとずいて真剣に神さまに忠実に生きようとする信仰者でした。当然のことながら、彼は、神と人とは、はっきりと区別していました。神は神、人は人、神は人ではない、人は神になれない。それだのにあのナザレのイエスが神の子だとか救主だとか、実にけしからん。神が人間イエスになるものか、十字架にかけられた罪人イエスが救主であるものか、神の子であってたまるものか。そんなことを言うとは、神を冒涜(ぼうとく)するもはなはだしい、恐るべきことだ、というのでかっかと怒ったわけです。
そこでサウロは、こういうけしからんことを言う者どもを生かしてはおけないと考えて、追っかけ探しだし、皆つかまえて牢屋に入れようとしました。
P172
その頃ステパノという一人の弟子が捕まえられて、こいつはイエスという男を信じておる。イエスが救主だと言ったり、神聖なモーセの律法やエルサレムの宮を軽視する、けしからん奴だというので、みんなから石を投げかけられ打ち殺されました。
そのとき石を投げっける男たちは、身軽に動くために着ていた上衣を脱ぎ、それを若者サウロの足下において番をさせました。サウロは皆が脱いでいった上衣の番をしながら、ステパノの打ち殺されるところを見ていました。怒り狂った人々は歯ぎしりしながらステパノに押し迫る。一方ステパノは「聖霊にて満ち、天に目を注ぎ、神の栄光およびイエスの神の右に立ちだもうを見て」、
ひざまずいて、
「神さま、どうぞこの人たちをゆるしてやって下ざい」
と祈りながら死んで行きました。
ステパノを迫害する人たちは鬼のような顔をして打ちかかる、ところが、殺されるステパノは聖霊に満ち、祈りつつ、平安のうちに目をとじる。このステパノの殉教を目撃したタルソの若者サウロは心を強く打たれたことでしょう。
しかし、サウロは神の子が人間になって生れたとか、神の子が十字架にかかった、そして三日目によみがえったなど、ばかばかしいひどいことを言うあの者どもはゆるしておけない、という気持はどうしても捨て去ることはできませんでした。ステパノの迫害のために多くの者がエルサレムを逃げてあちこちへ散らばってゆく、その連中がダマスコヘ行ったという噂を聞いたので、サウロは彼らを迫いかけて、ダマスコヘ行くことになりました。
ところがサウロはその途中で、天からの強い光に照らされて目がくらみ、馬から落ちました。そして目が見えなくなり、人事不省(じんじふせい:知覚や意識を失うこと)になっていると。
「サウロ、サウロ、なんぞわれを迫害するか」
という声が聞こえる。びっくりしてあなたは誰ですかとたずねると。
「われは汝が迫害するイエスなり。起きて町に入れ。
さらば汝なすべきことを告げらるべし」
とお答えがある。いっしよに行った人たちはその声は聞いたけれども、誰の姿も見えずただそこに横たわっているサウロだけが見えました。その人たちに助けられて、サウロはダマスコの町に入り、ある家に泊まって、目が見えないまま、三日の間飲まず食わず、ひたすら祈っていました。
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そのサウロの所へ、ダマスコにおる信者の一人アナニヤという人が訪ねてきました。彼は部屋にはいってくると、祈っているサウロの肩に手をおいて、
「兄弟サウロよ、主すなわち汝が来る道にて現われたまいしイエス、われをつかわしたまえり」
と来意を告げました。するとサウロの目が開き、アナニヤに励まされすすめられて洗礼を受け、主の弟子たちの仲間入りをしました。
さて、この改心の話によって、私たちは、どのようにしてサウロがキリストさまを信ずるようになったか、その心の動きを考えてみたいと思います。
まずステパノの殉教であります。迫害者たちの着物の番をしながら座って見ていたあの時に受けた強い感動と驚きが改心へとっながったでしょう。若者サウロは、自分はこれでよいのかと自分に問いかけねばならなかったでしょう。
ステノバは間違っている。あんな考えはゆるされない、あのような者を除くことは神さまのためだ、とサウロは考えていました。ですからステパノが殺されるのは当然だ、いいことだと認めていました(使徒行伝8・1)。
けれどもその殺される人が聖霊に満たされ、殺す人だちのために祈りながら、死んでゆくとは、これは一体どうしたことだろう。あのナザレのイエスという男を信ずる信仰が、ステバノをあれ程までに支えているのだろうか。ステバノはその人のために殺されてもそれを悔いない。悔いないどころか満足しきって顔を輝やかせながら、イエスのために死んでゆく。私は一体どうだろうか、私は神さまを信じておる、神さまのためだといってあの人たちを追っかけておる。しかし、その神さまのために、あのような死にかたが私にできるだろうか。
私はステバノになれるだろうか。サウロの信仰は根底からゆり動かされ、足もとから崩れるように感じたに違いありません。それでもなお、いやあれは殺さねばならない、あの連中を生かしておいてはならない、と自分自身に言い聞かせ自信を取りもどそうとしながら、不安と迷いに動揺するような気持でダマスコヘの道を進んで行く。
そのとき強い光にてらされてひっくりかえる。そして聞いた言葉は「お前が迫っかけているのはイエスだ、私なんだ」というのでした。これはサウロにとって驚きでした。イエスを信ずる者どもはイエスがよみがえったと言う。サウロは神をおそれず人を馬鹿にしたそんな不合理な愚かな話をやめさせるためにここまで彼らを追っかけてきた。そして聞いたのは、
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「われは汝が迫害するイエスなり」
というイエス自身の声でした。
十字架にかかって死んだあのイエスが生きておる。しかも迫害者である自分に真正面から近づき声をかけられた。迫害される弟子たちを背後にかばい、自分に向って立ちはだかるかのごとき生けるイエスを感じてサウロは愕然としたでしょう。イエスが生きておると信じないわけにはいかなくなったのでした。
「われは汝が迫害するイエスなり」
サウロはとまどい驚いたことでしょう。自分は面と向ってイエスを迫害したことはない。自分が追っかけてきたのはイエスを信ずるあの連中だった。それだのに、それがそのままイエス自身への迫害であったと言われる。それでは、イエスはあの人たちと共に今も生きており、あの連中は苦しみも、生き死にも、イエスと共にしておるということになるのか。イエスとその弟子たちは生き死にを共にし苦楽を共にする。これは何という驚くべきことだろう、と目の見えなくなったタルソのサウロは盲目の暗闇の中で、祈りつつそのことを考えたでしょう。
サウロは思ったでしょう。私から追っかけられて逃げるあの人たちと一緒にイエスが歩いておる。私は神を信じておる、しかし、そのような身近な神さまを私は信じておるだろうか。私は小さい時から神についてのことは勉強し聖書もよく研究してきた。しかしその神のために、私はステハノのように命がけになれるだろうか。また私は何か苦しいことに会うときに、イエスさまがいっしょだというあの人たちのように「神さまが一緒にいて下さる、神さまと共に苦しんでおる」と言えるだろうか。あるいはまた、うれしいときに、神さまと一緒に喜ぶだろうか。私の毎日の歩みの中で、苦しみも、痛みも、喜びも、悲しみも、神さまと共に味わっているという、そういう実感があるだろうか。サウロはこのことをいくたびもくりかえし自分自身に問いかけずにはおれなかったでしょう。
そして三日がたちます。そこにアナニヤという弟子がきて。
「兄弟サウロよ」
と言って肩をたたき、しっかりしなさいイエスさまがあなたと共にいまして、語りかけお招きになっておられるのだ、と励まして、信仰へとみちびいてくれます。
そこでまたタルソのサウロは考えたでしょう。私は神さまを信じておる、神さまを知っておると思っておる、しかし今私が迫いかけ捕え牢屋に入れようと思っていたイエスの弟子アナニヤが、私に向って「兄弟サウロ」と呼びかける。私は神さまを信じておる、神さまを知っておると言うが、しかし見も知らない人たちに「兄弟!」と呼びかけるようなそんなことができるだろうか、まして自分を迫害する敵に対してそういう愛情が持てるだろうか、私の信仰はアナニヤたちの信仰のようなおおらかな温かいものになっておるだろうか、どうだろうか、とまた考えねばならなかったでしょう。
ナザレのイエスをよみがえりの主、いま生きてともにいます救主と信ずるアナエヤの、信仰による兄弟愛にふれて、サウロは肉体の目とともに心の目も開かれました。
そして、この方こそ救主だ。今生きて私たちと共に進み行きたもうこの方こそ私の力、私の望みなんだ、と信ずるようになりました。
これがタルソのサウロのクリスチャンになったときのいきさつでございますが、そののち彼はその信仰を一人でも多くの人にすすめねばならないという気持になって伝道に出発します。そしてその伝道旅行のあいだに、サウロという名をパウロと変えました。これがのちの大伝道者パウロでございます。
キリストさまを信じなくてはならないようにタルソのサウロの心を根底からゆり動かし変えたものは何であったかを考えながら私たちもまたそのあとにならい、
「われら主イエスキリストによりて神に感謝す」
と言えるように生きていきたいと思うのでございます。
1983年 1月25日
聖パウロ改心日
大口聖公会にて