重蔵神社付近の一般家屋
排水路、側溝に溜まった泥の撤去
・8月に来たときは、少しずつ復興の兆しが見えていた町だった。しかし、今日輪島に来て豪雨被害に遭った輪島をみて、本当に心が痛くなった。助けたいと思った。力と元気を分けてあげたい。
・初めての泥掃除で苦戦した。大学がたくさん装備をしてくれたので、おもいっきり汚れも気にせずに飛び込んで行きたいとおもう。
・初めて泥の撤去を行ったが、泥の重さが想像以上に重く、重労働だった。泥の撤去のような作業が、ここまで大変なことはやってみないと分からないなと感じた。
・1月1日の地震から約8ヶ月も経っているのに、家屋や道路が修復されておらず、豪雨の影響でさらに被害が酷くなっている現状。街の静けさ。
・活動場所が狭かったため、最初は思うように作業ができなかった。活動を進めるうちに、それぞれが役割を決めて、バケツリレーのように作業をすると効率がいいことに気がついた。
・土砂の中には瓦や大きな石など土砂以外のものも含まれており、非常に危険なものであると感じ、豪雨災害は地震災害とは異なる恐ろしさがあると思った。それにともない、豪雨災害と地震災害とはボランティアの活動、また、復興や支援の仕方は異なるのではないかと考えた。
・平日ということもあるが、ボランティアの数が夏休みに訪れた時よりも少なく、今回の活動は力作業が多く、若者の力が必要であるため、ボランティアに行くことができる誰かが行って活動することが大切だと考えた。
・少し町に元気がないように感じた。自分からたくさん挨拶をして、少しでも活気付けたい。
・もし自分の家が浸水被害に遭ったとしたら、どのように対応していくのか考えさせられる1日だった。到底自分たちだけでは終わりが見えず、人手が必要だと感じた。また、自分たちは3日間の活動でまだ楽しく笑顔で動けているが、これが毎日続くとなると、相当体力的にも精神的にもきついと思った。
・どこまでボランティアとして担うかについてはこれから考えるべき課題だと思う。
重蔵神社付近の一般家屋
非常用品整理整頓・簡易テントハウスの設置・一般家屋の泥かき
・一般家屋が浸水被害に合うとどのようになるのか、初めて見た。一度水に浸かってしまうと、簡単にはもとに戻らないし、使えなくなってしまうものの方が多い。そのような状況を、その家の家族だけで綺麗にしていくのはかなり大変だと思った。
・簡易テントハウスを設置するときに、インパクトドライバーで仮止めしている釘を抜く作業があったが、素人の私にはやり方や抜き方・釘の位置が把握できず、混乱したため、建築の技術・知識を持っておくと活躍できると感じた。
・ボランティアはインパクトやバールなどの工具を使う機会もあるのであらかじめ学習してもよいと思う。泥は思ったよりも厄介で匂いと粉塵により装備がより重要となってくるが、機械などで吸い込めるのであればより便利になると感じた。
・第三者である私たちボランティアのみが片付けをやるから、迷いなく物を捨てたりできるが、ここに本人やその親戚が関わると作業が中々進まないのではないかと考えた。私たちでさえ、これは残しておいた方がいいかなどを考えたので、それが本人たちならば尚更である。
また、実際に被害に遭われた民家に入り、被害状況を見たことで、改めて水害の恐ろしさを感じた。浸水した跡が残っており、その高さは私自身の目線の高さまであり、少しでも避難が遅くなったら、命が危険だなと感じた。
・震災より水害の方が、ダメージが大きそうにみえた。水害のボランティアにも積極的に参加したいと思った。 水害のニュースはあまり、メディアで取り上げられていないのか、ボランティアや支援が少なく感じた。
・三連休の初日ということもあり、ボランティアの数が昨日よりも増えたように感じた。しかしながら、若者の数はそう多くないとかんじた。そのため、どれだけ多くの学生等といった若者を巻き込んで復興のために活動できるかということが大切であるのではないか。
重蔵神社付近の一般家屋
家の中の家具の運び出し、床や壁の清掃
・本当に大事なものはもちろん取ってあるが、それ以外のものはほとんどを捨ててしまった。家主の方がいれば、聞くことができたが、今回それが叶わなかったのが心残りだ。
・床下や壁・風呂・窓枠などの泥を最も効率よく剥がすには高圧洗浄機が必須だと感じた。倉庫には1つしかなかったので、台数を増やすと手間が省ける。
・昨日に引き続き、同じ民家の片付けを行ったが、2日かけてやっと元の状態に近い形にすることができた。この大人数でやってもこれだけ時間がかかるということは、復興するためにはまだ時間がかかってしまうのではないかと感じた。個人的には、時間はかかるが、1つの民家を片付ける事ができたという意味では、達成感があった。しかし、被害に遭われた民家に住んでいた方々にとっては、家の中にあった物がなくなってしまったという現実があり、その現実は虚しいことで悲しいものである。私たちが、片付ける前にこの民家に住んでいた方に会い、声を実際に聞いてから活動をしていたら、今回のように淡々と作業できていなかったのではないかと感じた。
・泥にまみれた写真やパソコンをみて、あらためて、暮らしていた人の気持ちを考えて活動をおこなった。