1)活動日程 第1クール 2025年2月13日(木)~17日(月)・第2クール 2025年2月22日(木)~26日(水)・第3クール 2025年2月27日(木)~3月3日(月)・第4クール 2025年3月6日(木)~10日(月)・第5クール 2025年3月13日(木)~17日(月)・第6クール 2025年3月20日(木)~24日(月) ※最終日は移動日
2)活動場所 輪島市内各地
3)活動内容 除雪作業・交流会・避難所の撤去作業・個人宅荷物の運び出し等
4)活動人数 学生24名、教職員8名 合計32名
第1クール
・夏にボランティアとして能登を訪れた後に豪雨の被害があったため、とてもショックで複雑な思いだった。夏に訪れた場所が被害を受けていることをメディアを通して知り、またボランティアとして少しでも力になりたいと思っていたため、今回の活動に参加出来て本当に良かった。日々の活動後に現地の方に「ありがとう」や「また来てね」と声を掛けて貰えたことが嬉しかった。(福祉社会デザイン学部社会福祉学科1年 Mさん)
・まず、仮設住宅での交流を通して、能登や輪島の特産品について知ることができた。例えば、魚醤の「いしり」や「いしる」である。能登といえば輪島塗や海鮮のイメージだったが、新たに伝統や特産品について知ることができ、会話も盛り上がった。地元のものについて話す皆さんは、とても嬉しそうな表情をしていた。こちらが能登について知ろうとする姿勢も大切だと感じた。また、石川県や能登に関するクイズを一緒に行ったが、現地の方でも知らない問題もあり、私たちも勉強になった。
ボランティアセンターでの活動では、車庫の土砂のかき出しや、住宅の屋根裏の片付けを行った。衝撃的だったのは、車庫の土砂のかき出しを行った住宅のすぐ前と後ろに木を巻き込んだ土砂が積もっていたことである。自然災害の恐ろしさを目の当たりにした。土砂のかき出しは体力勝負で大変だったが、達成感があった。住宅の屋根裏の片付けでは、住民の方から地震や豪雨の当時の話を聴くことができた。印象的だったのは、地震よりも豪雨の水害の方が大変だったということである。リアルな声を聴ける貴重な時間だった。
また、重蔵神社では支援物資の配布を行った。519人ほどの人が集まったと聞き、驚いた。地元の方同士の貴重な交流の場の一つでもあるという。まだまだ物資配布自体にはニーズがあることを学んだ。
今回の活動で得た経験や話を他の人に伝えることもボランティアに参加した人の役割である。多くの人に能登に関心を持って貰えるようにこれからも活動していきたい。(福祉社会デザイン学部社会福祉学科1年 Mさん)
・人的支援が長期休暇中に限られるため、"必要な"物資、募金と共に、今回始まる文通プロジェクトのように、現地の方々とのコミュニケーションを切れ目なく継続するということが大切であろうと考えます。(教職員)
第2クール
・2回目の輪島市でのボランティアでした。前回とは違った仮設住宅の住民の方々とお話をする機会が多くあり、今困っていることや必要としている支援の声を聞くことができました。公費解体は少しずつ進み街の様子が変わってきていたが、これから先の漠然とした不安を持った人が多かったように感じた。ずっと輪島で活動し関わり続けることができないため、離れた地でできることが何かを今回の活動を振り返り考えていきたいと思いました。(福祉社会デザイン学部社会福祉学科3年 Tさん)
・高山先生もおっしゃっていたが、「これから先何ができるかを考えることが大事」ということを忘れないようにしなければいけないと改めて気付かされた。思い出に留めないようにこれからの生活でも考えていきたい。(福祉社会デザイン学部社会福祉学科4年 Nさん)
・今回のボランティアで、被災者の人と直接お会いする機会があり、とても良い経験となった。メディアの報道で目にすることと、現状の課題にズレがあり、被災者そして行政それぞれ抱えてる困り事があると感じた。実際に現地に行くことで、現状を知ることができるだけでなく、現地の人の気持ちが少しでも理解できると感じた。これからも、ただニュースを見るだけでなく、実際に行動を起こしてボランティア活動に参加していきたい。(福祉社会デザイン学部社会福祉学科4年 Hさん)
第3クール
・参加できたことが本当に嬉しかった。カリキュラムも、コミュニケーションから家財の運び出し、配給、仮設住宅での聞き取りといった、少しずつ専門性が高くなってきて、勉強になることが多かった。5日間は長いと思っていたが、本当にあっという間に感じ、もっといたいと思えた。
このボランティアで一番印象に残ったことは、人との繋がりだと思う。輪島の人たちは自然災害で自分達の日常を壊されてしまったのに、誰かを責めるなんてことはなく、どこへ行っても感謝の言葉をかけてくださり心が温かくなった。ボランティアに来た他の団体の人たちも、ボランティアに来ているのではなく、どこか遊びに来ているような、楽しさに溢れていて、私自身この活動をとても楽しんで行うことができた。(福祉社会デザイン学部社会福祉学科2年 Mさん)
・地震から1年、豪雨から半年が経った能登は、テレビで見なくなったこともあり、復興してきているのだと思っていた。しかし、あの時テレビで見ていた風景が目の前に広がり、テレビで映されなかった以上の悲惨な状況が今も続いていた。家財の運び出しをする中、どうしてこの状態が1年も続いていたのだろうと思うことばかりだった。つい最近災害が起きたように時が止まっているようだった。この光景を私は忘れないようにしたいと思った。そんな中でも生活をする輪島の人たちは本当に優しく温かな人たちだった。「このお菓子食べな。」や「これ持っていきな。」とこちらのことを気遣う言葉に触れるたびに、とても嬉しくなった。(福祉社会デザイン学部社会福祉学科2年 Mさん)
・ボランティア団体を多く知ることができた。今回は東洋大学として参加したが、勇気を出して集まる人の年齢や職業が異なるような、多くの人が参加する団体に参加してみたいと思った。とにかく皆さん心の底から楽しんで活動しているところが印象的だった。(福祉社会デザイン学部社会福祉学科2年 Mさん)
・私の学ぶ福祉を目の前でみることができた。特に仮設住宅の聞き取りでは、高齢化が進みどこを留意しなければならないのか、要支援・要介護などの介護についてなど大学での学びが実際に展開されていて、大学で学んでいてよかったと思った。これから実習が始まり、参加が難しくなるが、絶対にまた参加したいと心の底から思った。(福祉社会デザイン学部社会福祉学科2年 Mさん)
第4クール
・今回のボランティア活動では、能登の方と直接関わる交流会が最初に行われ、私は仮設住宅に住む方のお話を聞いて、正直ショックで圧倒されてしまい、頭が真っ白になってしまった時がありました。そんなとき、第4クールのメンバーのそれぞれが持っていた強みにたくさん救われました。また、メンバーだけでなく、引率者として5日間ずっと支え続けてくれたSさんとジェイムズ先生が1日の振り返りでかけてくれた言葉や、先生方の経験から出たアドバイスから、初日よりも成長することを目標に掲げ、動くことができました。
その後、地震と豪雨による被災の状況を見たことや輪島の方との交流の中でそのまま受け取ってしまうとショックが大きいことも、自分で対処の仕方を身につけることができました。また、現状を自分の目で確認することで、青いビブスの文通プロジェクトの課題も見つけることができました。輪島への関心が薄くなってしまっている今日の社会、まずは東洋の学生に関心を持ってもらえるように動ける団体としてありたいと思いました。(福祉社会デザイン学部社会福祉学科2年 Tさん)
・この4日間で、自分の考えを曖昧にせず、明確に発言ができるようになった。また、礼節を重んじる態度は自身のよいところであると気づくことができた。今回のボランティアは、活動することはもちろん、自身を見つめるきっかけにもなった。また、実際に現地を訪れることで、能登の現状や、今後ボランティア活動がどうあるべきか意見を出し合えた。(文学部日本文学文化学科1年 Fさん)
・大学の春休み期間だからこそ、5日間(実働4日間)という比較的長い支援に入れた。大変貴重な経験となった。活動中に、普段地元で参加しているボランティアのスキルが役立つ場面が何度もあった(テント設営やダンボール解体、コミュニケーションスキルなど)。日頃のボランティア活動の経験も、災ボラに活きてくるのだと身をもって感じた。(法学部企業法学科2年 Sさん)
第5クール
・輪島市の人たちの中には、「もう沢山支援をいただいているし、何もできないわけじゃないから、一緒に清掃したり、お茶代払ったりしたい。してもらうばかりじゃ申し訳ない」と感じている人もいて、お互い気持ち良い関係でいるためには、ギブアンドテイクも大事なのではないかと思いました。勿論、自分のしていることに、対価が欲しいわけではなく、輪島市の人たちが本当に求めていることをしたいと思います。輪島市の人たちの生の声を聞いて、輪島市は自立して発展していく力が欲しい、また市の発展のための支援をすることが、地域の人の未来のためになるのではないかと思いました。(社会学部社会心理学科1年 Sさん)
第6クール
・11月の豪雨ボラから4ヶ月が経ち、復旧に向けて着実に進んでいると実感しました。どれほど衣食住が完備された状態が幸せなことであるのか、それが当たり前ではない生活を余儀なくされている人もいることに深く考えさせられました。心が満たされると自然と笑顔になるように、住民の方々が少しずつ外に出て、震災前と近い生活を送ることができるようになってきたということはとても大きな進歩であると考えます。そこにあった建物や人、風景は変わってしまったけれど、変わらずあり続けるなにかも存在すると思っています。そのなにかが誰かの支えとなって、いつかの明るい能登の復興に繋がればいいなと心から思っております。(生命科学部生物資源学科1年 Aさん)
・初めての災害ボランティアで、始まるまでは支援物資の運搬、瓦礫の撤去、泥かきなどといったざっくりとした活動のイメージがあったが、この5日間で個人宅での家財撤去、神社の道具移動・清掃、物資の配布、仮設住宅の筵撤去など、様々な支援活動、対象があったことに驚いた。小さな作業をしているように見えても、実際はとても多くの労力が必須で、また迅速に進めていくにはより多くの人手が必要ということを現場で見て初めて感じ、より継続的に人材を流していかなければならないと思った。また、50〜70代のボランティアが若手よりも数多く参加しているように見えたため、もっと若い人材が行かなければいけないと思った。今、全国での報道が減ってしまった分、そのためにSNSでの発信や声掛けを行い、ボランティアを促すようにしたいと思った。
また現地で驚いたこととして、倒壊した家や、液状化などで大きく形が変化してしまった道路、歩道が未だ残っており、そのまま人々が生活していたことである。活動中訪れたドラッグストアの正面に1階部分が全て潰れ、2階部分が地面についている建物があった。そんな家を前にしてもドラッグストアは普通に営業しており、市民も普通に車を運転していたことに衝撃を受けた。それだけ復旧はまだ全然手付かずで、元の街になることがとても難しいことを強く気付かされた。
共に活動したメンバーがそれぞれ素敵な意志、人柄を持っていて、互いに刺激をもらいながら活動できたこともとても良かった。全員互いに初対面だったが5日間でとても仲良くなり、その絆が活動を円滑にしていくための力として大きく働いた。
全国での報道は大きく減ったが、現地ではまだ多くの助けが必要で、やらなければいけないことがたくさんあることがわかった。今後もっと長い期間でボランティアに参加し復興活動をしていきたいと思った。また周囲に活動内容や被災地の現状を広め、ボランティアを促していきたいと思った。(国際観光学部国際観光学科2年 Sさん)