1)活動日程 第1クール 2025年2月21日(金)~2月25日(火)・第2クール 2025年2月27日(木)~3月3日(月)・第3クール 2025年3月6日(木)~3月10日(月) ※最終日は移動日
2)活動場所 珠洲市内各地
3)活動内容 除雪作業・交流会・避難所の撤去作業・個人宅荷物の運び出し等
4)活動人数 学生15名、教職員3名 合計18名
第1クール
正院町第4団地(うじま公園)
仮設住宅にお住まいの方との交流会、文通プロジェクトの紹介
・文通プロジェクトの説明をした際、企画の趣旨を伝えても実際に取り組んでもらえる確信が持てず、交流がなんとなくで終わってしまったと感じた。
・緊張してしまい、話すのがぎこちなくなってしまった。もっと積極的に、相手から聞いた話を発展させて、自分の話をしてもいい。「出身地」と言うより、「生まれたところ」など伝わりやすい言葉を選ぶ。
・発災から1年が経ち、被災経験を自ら話してくださる方が増えた印象を受けた。一方で、仮設住宅の暮らしの中の楽しみとして、皆が会するこのような場所や機会が必要であると感じた。
・企画で人が集まるか非常に不安だったが、集まってくれて本当に安心した。また、コミュニケーションを必要としている高齢者の方が意外にもいることに驚いた。明日からの活動も頑張りたいと思います。
・ピースウィンズ・ジャパンの方から、「夏のときはありがとう。今回も頼りにしています!」と声をかけてもらった。
宝立地区、蛸島地区、上戸地区、正院地区の仮設住宅
仮設住宅の入り口付近、スロープの雪かき
・珠洲市内全ての仮設住宅を回ることはできなかったが、今日回ることができた仮設住宅の雪かきのニーズに応えることができた。初めて雪かきを経験し、その肉体労働の厳しさに驚いた。現地の方々がこれを日々こなしていることに、改めてその大変さを感じた。私たちが短い期間でできることを全力でやり、微力ながら貢献したいと感じた。
・活動地に行っても作業がすでに完了している、または充分な人数の中、活動が行われている場面があったので横の連携がうまく取れると作業員の負担を減らせるのではないかと思う。
・仮設住宅の団地ごとに、作業が終わっている場所や手付かずの場所もあった。住民個人が自分の場所はやる、住民皆で協力してやるなど、それぞれの仮設住宅によって違った。仮設住宅で団地が形成されており、コミュニティ作りが必要不可欠であると感じた。また、それぞれの団地ごとに集会場所のような施設もあり、この場所がコミュニティ作りに生かされているようだった。
・たくさんの仮設住宅を回り、除雪作業を必要としている住民の多さに驚いた。また、作業中に住宅の方から感謝されることが多く、非常にやりがいのある1日であった。
・地域住民の方以外にも、ボランティアセンターの方やボランティアの方と話す機会が必要だと感じた。またボランティアセンターの方が行っていた氷の除去法を観察して身につけられたのは非常に良い経験だったと思う。
・居住者の多くは、自身での雪かきが困難であり、ボランティアなどの助けを必要としている。仮設住宅は、各所に点在しており、場所によって居住者はまちまちであるが、今もなお仮設での生活を余儀なくされている現状を見て、1年経過してもまだ変わらないと改めて感じた。
三崎町周辺の仮設住宅
仮設住宅のスロープなどの雪かき
・地震の影響以外にも雪がかなりの障害となっていた。歩くだけでも体力を消耗する上、雪かきをしても翌朝には元通りになっていた。また、地震の影響から凹凸が激しい部分もあるので大変だった。
・まだまだボランティアの需要はある。長期戦に突入している現在、季節ごとにやることが変わる。今は雪かきが需要高め。
・ご高齢により、雪かきが困難な方の住宅に伺い雪かきを行い、今後も高齢者が増える中で継続的な支援が必要だと考えさせられた。
・二日目の活動で広範囲での雪かき作業をしたため、三日目は午前中で作業が終了した。ピースウィンズのみなさんと、禄剛埼灯台やランプの宿、珠洲製塩に連れて行っていただき、珠洲の歴史や文化を学ぶ機会も作れた。
・漁港寄りの地域では地震、豪雨の影響により未だ解体されていない家や、流されたままの車などを見た。実際に現地に行かないとわからない能登の現状を自分の目で見ることができたことで、より能登復興に携わりたいという気持ちが強くなった。
蛸島第6団地 飯田第1団地
交流会
・公費解体については問題が多いとのことだった。地震を乗り越えても豪雨で壊れてしまった場合、解体費は自費となってしまうとのことだった。少なくとも珠洲市では地震と豪雨の両方の被害を免れた所は無く、復興に向けた大きな課題になっているとのことであった。今回の地震、豪雨では例外的に家を切って、無問題の部分は保存し、損壊が激しいところだけを解体するという手法が用いられるようになった。
復興に向けた取り組みを進める中で直面する課題が 「建て直しを行うのか否か」であるとのこと。復興を行う上で、全壊した家屋の処理は重要だが、家主さんが建て直しや取り壊しを拒否する場合が多く、倒壊した建物がそのまま残っているという。それらを除いた回復率はおよそ30%程らしい。
・雑談している際に住民の方が泣いているのを見て、心にくるものがあった。家族やペットが亡くなったり、長年過ごしてきた家が壊れたにも関わらず、以前通り仕事をして行かなければならないのは厳しいと感じた。だからこそ、復興団体の一員として物的、心理的な支援を継続していきたいと考えた。
・住み慣れた地域を離れ仮設住宅で住むことに加えて、希望した仮設住宅に行けるわけでもない、また、集落全員で同じ場所に行けるわけでもない。このような状況では、仮設住宅で暮らせるようになっても、団地内で孤立してしまう。交流会が定期的に開催され、団地の中で顔の見える関係を作りあげる必要があると感じた。
・仮設住宅に篭りがち・天候の問題、雪などの影響で鬱になってしまう方々が多くいるとNPOの方にお話を聞きました。今回のような交流会イベントを行い外に出るきっかけを作ることで、少しではありますが心のケアを行えたのかなと思います。
・東京からボランティアなんて気持ちだけでも十分ありがたいですと言ってもらえた。
・孫みたい!とかわいがってもらった。
第2クール
三崎町第2団地
仮設にお住まいの方との交流会、文通プロジェクトの紹介
・ボランティア団体の方の高齢者への接し方は、相手のことをしっかり考えられていて良かった。相手に合わせて、話しやすく聞きやすいよう真似しようと思った。
・珠洲市の高齢化がとても進んでいることを知ったとともに、やはり高齢の方々はみんな若者が帰ってきたり珠洲市の人口がもっと増えたりすることを期待しているのだな、と短い活動時間を通して知ることができた。
・珠洲市の方は地震、豪雨などの経験を自ら話してくれることも多く、わざわざ私が身構える必要は無いと感じた。移動中外を見ていると、まだ家が壊れたままの状態のところもあった。その現状を見て、私に出来ることは全力で努めたいと思いました。
・被災地だからといつまでも下を向いているのではなく、前向きでポジティブな発言や考え方をされている方々と交流し、自分たちも明るく接することが大切だと気づいた。また、活動場所では私たちだけでなく、移動販売や高校生などの色々な人が見受けられ、改めて助け合うことの重要性を感じた。
・どの年齢層の方とも会話をする時は笑顔が大切だと実感しました。最初は硬い表情で接してしまいましたが、笑顔を意識した途端に会話が弾むようになったと感じました。これからは、笑顔を特に意識して人と接しようと思います。
珠洲市若山町
個人宅敷地内の除雪
・地震・豪雨災害の経験から、人々がどのようなことに重きをおいているか、大切にしているかは異なっている。例えば、不自由ない生活(水も電気も何もかも自由に使える)を大切にしている人、たとえ水や電気が使えなくても自分の家で過ごしたい人など。どちらが正しいとかは全くなく、いかにその人らしく生活することを可能にしていくかがボランティアとしての役割である。
・学生が大変積極的に取り組んでいた。ほとんどの学生が今回のような雪の壁をみたことが無く、積雪により玄関にたどり着けない状況がどのようなものか深く理解できたと思う。(職員)
・そのお宅は地震や豪雨の被害で水電気ガスが止まってしまったけど、おばあちゃんは「どうしても家にいたい」と言って聞かなかったようで、不便な生活でも「昭和に戻っただけ」と言って、自宅で生活していたそうです。私は普段便利な生活をしているので、水電気ガスやトイレが使えない生活はできればしたくないと思うけど、そのお宅のおばあちゃんはどんなに不便でも家にいたいと言ったという話が印象に残った。人はそれぞれ価値観が全く異なると気付いた。おばあちゃんが早く家に戻る手助けができたと思うと嬉しい。
・雪かきという単純な作業であったが、こんなにも雪によって生活が困難になるのだなと実際に現場に行って感じた。また、山間部は、地震や豪雨、積雪などの自然災害によって道路の整備がまだまだなところや、危険な部分もたくさんあったため、一刻も早い道路整備などの活動も必要であるなと考えた。
①珠洲市若山町出田(個人宅) ②珠洲市上戸町北方(個人宅)
①個人宅の家具等搬出と集積場への運搬 ②個人宅の倒壊ブロック塀の積込みおよび集積場への運搬
・震災から1年以上たっているが、部屋の中がそのままになっていたり瓦礫の片付けを必要としてる場所が多くあることを知り、予想していたよりも復興が進んでおらず驚いた。家具などの運搬では、壊れていたりするものでも人によっては思い出が沢山詰まっているものもあるため、慎重に相手のことを思いやりながら活動することが大切だと感じた。ブロック塀の運搬では、一つ一つのブロックが重く量も多いことから役割を分担して効率よく体に負荷をかけないようにすることが重要だと感じた。
・今日活動したボランティアセンターでは、あらゆる所からボランティアがきていた。特に地元の方、能登の方も多くいらっしゃり、同じ想いをだからこそお互いに助け合って生活している様子が伺われた。テレビなどでは過去の事として報道されているが、現地の人にとっては今も現実であり、今後も向き合っていくことであるため、決して私たちも風化してはいけないと感じた。
・1人1人の生活やニーズ、被害状況に合わせてボランティア支援を行い、被災した方々誰1人こぼさず支援を行うことができていて、とても素敵だなと思った。また、他のボランティア団体の方々の様子を見て、被災したことを引きずることなく、前向きに活動している様子を感じて心にぐっとくるものがあった。
全国から色々な企業の方々がボランティアに参加していて、人の温かさを活動を通してとても強く感じた。珠洲市の一人一人の素敵なストーリーや思い出があり、その思い出を引き継げるようなボランティア活動に少しでも貢献できたことがなによりも嬉しかった。
珠洲市上戸町北方(個人宅)
個人宅の倒壊ブロックブロック塀の積込み及び集積場への運搬
・ブロック塀の運搬で今日の段階でまだ沢山あったが、同じクールの子と話しながら楽しくしっかりと最後まで行うことができたので、達成感がありつつ被災者の役に立つことができいい経験になりました。また、活動の際にコミュニケーションをとる大切さを改めて実感しました。
・今日は終わらないだろうと思われていましたが、メンバーと協力して完了させることが出来ました。引率者曰く、集積場の方もあまりのスピードに驚き、機械でやっているのでは??と疑われるほどでした。やり残したまま東京に絶対に戻りたくなかったので、全力で取り組み、やり遂げることができてよかったです。
・昨日から引き続き瓦礫の撤去作業を行い、身体が筋肉痛になるくらい動いた。昨日の時点では、あと1日では終わらないだろうとみんな考えていたが、昨日の反省も活かして作業に取りかかれたことで、スムーズに効率よく行い無事に撤去作業を完了することができた。また、作業を諦めずに、絶対に終わらせるといったみんなの強い意志のもと作業することができ、仲間との団結力も増して作業に取りかかることができてとてもよかった。完了させた宅の家主さんに会うことはなかったが、喜んでもらえるととても嬉しい。
・倒壊したブロック塀の数が多く今日中に終わらないと思いましたが、仲間と話し合い工夫をしながら作業を行なったおかげで、かなりスムーズに作業を進めることができブロック塀を全て片付けることができました。仲間との会話も増えたのでとても嬉しかったです。
・学生たちが一生懸命作業を行った結果、昨日の午後から本日1日かけて全て集積場へ持ち込むことができた。中途半端な状況で終わりたくないという気持ちが、結果完全終了に繋がった。家主はこの両日とも不在であったが、家主の気持ちを考え丁寧な作業を心掛けた。
・集積所の方々が私がトラックで出入り(9往復)して入り際に、現場は重機を使用しているのか聞かれ、「いいえ、人手で積んでます」とこたえたら、「えっ」と驚いていました。また、男子学生2名、女子学生3名で作業している伝えると、さらにびっくりしていました。集積場は気合の入った感じの方が多くいましたが、すごく丁寧にご対応いただきました。
第3クール
宝立第一集会場
仮設にお住まいの方との交流会、文通プロジェクトの紹介
・生活において困っている点を尋ねると、交通の便が悪い点が挙げられた。その方曰く半日に1本しかないため中心地に行くために朝から行かなければならない。昼から出ようと思ってもできないとのこと。意外にも、日用品には困っていないようだった。近くにコンビニやゲンキー(ドラッグストア)、更には週一で移動式スーパーが来るそうだ。私が一番驚いたのは、近所の人の名前がたくさん出てくることだ。私の実家のある東京は近所付き合いが薄いので、少し新鮮に見えた。
・今回の活動を通じて、被災後の人々にとって「安心して過ごせる時間」がどれほど大切かを実感した。被災された方々にお菓子や飲み物を提供し、クイズ大会や交流を行う中で、最も印象的だったのは「笑いながら楽しんでくれた」ということだった。地震による大きなストレスを抱えながらも、少しの時間でも笑顔になれる場があることの意義を感じた。また、飲み物の温度やお菓子の硬さに配慮する細やかな気遣いが安心感につながると学んだ。特に、高齢の方々にとってはちょっとした違いが快適さを左右するため、こうした配慮は今後の支援活動にも活かせると感じた。
・クイズ大会では、私は「あくまで楽しむ主役は地域の方々」だと考え、あまり助言をせずに進めた。しかし、その結果、私のチームは最下位になってしまった。笑顔が見られたことは良かったが、もう少し積極的に関わることで、より一体感を生むこともできたのではないかと感じた。次回は、相手のペースを尊重しながら、適切なサポートを意識したい。
交流会では、時間が限られていたため、より詳しく聞くことが難しかった。支援だけでなく、心のケアとして「話をじっくり聞く場」を設けることも重要だと感じた。
・今まで仮設住宅のデメリットばかりを考えていたが、「仮設住宅がなかったら、関われてなかった人もいる。今までは顔だけ知っている人や地区が違うからと関わらなかった人もいたが、仮設住宅での交流で関わることができた人もできた。震災がなかったらおこらなかったことだと思う」「仮設住宅は狭いけど、手の届く範囲で生活が成り立つから楽。慣れた」という言葉を聞き、仮設住宅のメリットも知ることができた。
・震災はないに越したことはないけれど、震災をきっかけに仮設住宅に入居したことで、人間関係が広がったとのプラスの意見もあった。その一方で、近くに住んでいる人の中には、ノイローゼのようになってしまっている人もいるとの声もあり、極端に明暗が分かれているなと感じた。
洲市若山町(個人宅)
荷物の運び出し、廃棄場所への運搬
・搬入作業では、1人ずつ運ぶよりも、リレー方式で手渡しするほうが効率的だった。また、重いものを降ろす際には、紐でゆっくり下ろす工夫をしたことで、安全に作業を進めることができた。
・被災者の方が「輪島塗を捨てがたい」と話していたのが印象的だった。思い出が詰まったものを手放すのは辛いが、それが再活用されるなら、と前向きに考えようとしている様子に心を打たれた。最後に差し入れをいただき、「助かりました」と言われたことで、少しでも役に立てたと実感した。今回の活動を通じて、単に作業をするだけでなく、現地の方の気持ちに寄り添うことの大切さを学んだ。今後も被災地支援に関わる際は、効率だけでなく、安全面や被災者の気持ちも意識しながら取り組みたい。
・現場に向かう道路の損壊が激しかった。道路が凸凹していたり、橋が崩落していたりしていてインフラの復旧が追い付いていないことを実感した。付近に住民が少なく後回しにしていることが原因だと思うが、付近に住む人は生活が大変だろうと思った。現場の家は法面が崩壊していて、玄関の前がいつ崩れてもおかしくない状況だった。他にも階段が壊れていたり、玄関まで向かう道がブルーシートで覆われていたりと震災の爪痕を色濃く残していた。また裏手がそこそこ大きな川であり、おそらく水害にも見舞われていたと考える。
・行動を共にしたボラキャンの女性の方からいろいろ話を聞くことができた。その中でも、興味を引いた話がある。その女性は、介護ボランティアとして7月ごろから金沢市内で活動していた。その時、医療ボランティアの人たちと壁があったらしい。業種に関わらず相互で協力体制を築けるとよかったのかなと思った。ボランティアの業種間の協力は今後の災害ボランティアの課題だと感じた。
・ボランティアセンターで「東洋大学?駅伝の。青学に負けちゃってねぇー。お互いに頑張ってね」と笑顔で話しかけられた。
珠洲市上戸町(個人宅) 珠洲市ボランティアセンター
家具・金属・生活ゴミの分別と搬入作業、ボランティアセンターの駐車場の雪かき
・今日メインで行った部屋が17、8年前に亡くなっている方のものだった。同時にどのお家で作業したとしてもそこにはちゃんと人が生きていて、思い出がたくさん詰まっているということを再認識させられた。
・生活ゴミの分別が非常に大変だったため、作業前にどのように仕分けるかを住人と確認しておけば、よりスムーズに進められたと感じた。特にアルバムや陶器など、捨てるかどうか迷うものが多く、そのたびに作業が中断してしまった。事前に「保留するもの」や「迷ったときの判断基準」を決めておけば、住人の負担を減らしながら効率的に進められたのではと感じた。
・運び出しを行った部屋が、15年ほど前に亡くなった家主の奥様の部屋だったそうで、昔のご夫婦の写真や、結婚当時の周囲からの祝福の年賀状や子供の描いた絵が出てきて心が傷んだ。家主の方が「形のあるものは全て処分してください。嫁もいないのに残してもしょうがない」とおっしゃっていたのが心に残っている。きっと能登中に、同じような状況の人がまだ沢山いる。この数日間車窓から見える傾き倒壊した家や、仮置き場で見た積み上がった家財にも、きっと誰かの思い出やストーリーがあると考えると、とても言葉に出来ない感情になる。
・「どうせ誰も使わん」と陶器を手放す言葉には、孤独感や諦めのようなものを感じた。単に物を運ぶのではなく、こうした気持ちに寄り添うことも大切だと改めて感じた。
珠洲市生涯学習センター(避難所)
避難所の撤去作業
・解体作業を通して、避難所がどれほど多くの人々にとって単なる避難の場以上の存在であったのかを実感した。住民たちは避難所内で自然にコミュニティを形成し、共に過ごす時間の中で精神的な支えを得ていた。この活動を通じて、物理的な支援だけではなく、心のケアがいかに大切かを改めて認識できた。さらに、避難所の運営に関わる人々の温かい配慮や柔軟な対応が、住民同士の信頼関係を築く要因となり、より良い避難所環境が作られていたことにも気づき、支援活動における柔軟さと人間的な接し方の重要性を学んだ。また、生涯学習センターで行われていたピースウィンズさんが提供する栄養士による講習会やお茶会、足湯などは今後の長期的支援において非常に参考になった。掲示板に表示される形式ばらないLINE風のイベント情報や食事メニューも、避難者が自然に参加しやすい環境を作り出していた。こうした活動が、避難者にとっての安らぎの時間を提供し、コミュニティの一員としての帰属意識を育んでいることを実感した。支援が単なる物資の提供にとどまらず、住民の心と体の両方に配慮されたものであることに深く感銘を受けた。今後は、支援活動を進める中で、目に見える作業だけではなく、被災者一人ひとりの心の変化やその後の生活に与える影響についても考慮することが必要だと感じた。支援の形をより柔軟に、かつ個々のニーズに応じたものにしていくべきだという思いが強くなった。
・避難所は思ったよりも雰囲気が明るく、避難所で生活をしていた人は出ていくことを惜しんでいる様子だった。また、撤去作業をしている際にテントで隠れていた壁に2023年の年間カレンダーが貼られていた。なぜ?と思い夕方くらいまでなんとなく頭から離れなかったが、思い返せば震災が起きたのが2024年の元旦、2023年のカレンダーを外す前にセンターが正月休みに入り休館、震災が起き外す間もなく避難所として機能しはじめたのではないかと予想した。あくまで予想に過ぎないが、カレンダーの一枚すら外す間もなく一年以上が過ぎていることになんとも言えない気持ちになった。
・作業を終えた後皆で海岸にいった。海岸沿いは津波で90度に折れ曲がった柵や折れた電柱があり、一年以上そのままであることが見て取れた。また、海岸沿いに津波か地震でかろうじて原型をとどめた平屋住宅があった。窓は全てなく、家の家具はほとんどない。木材が剥き出しで内部の構造やまとめられたゴミが見えている中で、玄関の上に風に揺れる正月飾りが見えた。作業の際に取り忘れているのか敢えてつけたままにしているのかはわからないが、震災当日からおそらくそのままになっている正月飾りは、家一軒の時間を止めているように思えた。
・避難所を撤収する時、滞在していた方が集まって談笑していた。不本意とはいえ、1年以上滞在していた場所なので愛着がわいていたようで少し寂しそうにしていた。この光景を見て、避難所生活はできるだけないほうがいいけど、避難所生活が悪いことばかりでもないのだろうと思った。
珠洲市内の避難所がすべて閉鎖されたことは復興に向けた大きな一歩ではないかと考える。避難所が閉鎖されたということはひとまず、珠洲市のすべての住民が仮設住宅なり元の家を再建するなり自分の住処を得られたことを意味すると考える。ここから少しずつ元通りになるといいと思う。
第1クール
・外部から来るボランティアが気付く些細な違和感こそが、住民を救う重要なきっかけとなる。ただの雪かきではなく、仮設住宅を回ることは住民の安否確認にもつながる。また、仮設住宅で開催されるイベントは孤立防止のために重要な手段であり、住民同士の繋がりを築くために欠かせない機会となる。このような活動は、顔の見える関係を構築するために必要不可欠であるという気付きを得た。
お話を伺った中で特に印象的だったのは、被災前には自宅で友達を気軽に招待できたのに、今の仮設住宅はワンルームで狭く、他の家族がいるとますます友達を呼びづらくなったということである。そのため、交流が減少してしまったと語る住民も多い。また、仮設住宅に入る際、同じ地域の住民全員が一緒に住むわけではなく、時には知らない地域の人たちとだけの団地に入ってしまうこともある。それでも、そこで知り合いや友達ができ、「ここに来ることが楽しみだ」と語る住民もいた。
さらに、私たちが開催したお茶会では、住民にとってそれが単なるイベント以上の意味を持っていた。東京から人が来ただけで、住民の皆さんは喜んでくれていたが、さらに私たちがイベントを企画したことに対して、感謝の気持ちで涙ぐむ方もいた。私たちにとっては単なるボランティア活動に過ぎなかったが、住民の方々にとっては、そのひとときが心を温め、支えとなる大切な時間であったのだと感じた。(福祉社会デザイン学部社会福祉学科1年 Tさん)
・実際に現地の方々の声を汲み取り、同じ方向を向いて活動することが大切。今訪れることができる観光地をSNSで積極的に発信し、地域の魅力を広めることが求められる。また、能登半島の歴史について皆で学ぶ機会を設け、地域への理解を深めることも重要である。(福祉社会デザイン学部社会福祉学科1年 Tさん)
・能登の復興の難しい部分も最後に教えていただきましたが、珠洲の人々の温かさと復興への情熱を感じ逆に僕たちがパワーをもらった5日間でした。たくさんの前向きな方々に出会えて本当によかったです。ありがとうございました。(経済学部国際経済学科2年 Eさん)
・お茶会では寂しさを紛らわせたり、話しづらいことを話せたことで心が軽くなったと言ってくれる方が多く、活動に参加して良かったと感じた。特にクイズ大会はかなり盛り上がった様子で学生と住民の方の距離が一気に縮まったり、住民の方同士で新しい友人が作れたように見えた。新しい人間関係を構築するきっかけになったように感じられ、災害後の新しいコミュニティ形成に貢献できたのではないかと思う。(法学部法律学科2部1年 Kさん)
・活動は大変でしたが、非常に良い経験になったと思います。楽しかったという気持ちが大きいですが、それを遥かに超えるやりがいを感じました。活動をすることで笑顔になってくださる方が多く非常に嬉しかったですし、自分はやはり笑顔になってもらうことが好きなのだなと改めて実感することができました。個人的に旅行でまた珠洲市を訪れたいと思ったほど、素晴らしい場所でした。珠洲の復興、能登半島の復興を目指して、これからも継続的な支援を行っていきたいと思います。(文学部東洋思想文化学科1年 Yさん)
・銭湯「あみだの湯」は、薪と地下水でお湯を沸かしているため、発災から約2週間で営業を再開したそう。NHKドキュメント72時間では、私たちが聞けなかったことも、インタビューされていて、とても勉強になったし、ボランティア活動に参加できてよかったなと思った。次にここを訪れた時は、「ドキュメント72時間見ました!」と伝えたい。(社会学部社会心理学科1年 Bさん)
第2クール
・今回のボランティア活動に参加して、参加する前の自分にはなかった考えや発見が、毎日たくさんあった。日数を重ねていくごとに仲間とも打ちとけたり、活動を通して自分の役割を見つけて行動に移すことの大切さを学んだりすることができた。また、ボランティア活動の中でたくさんの人の出会いや交流があり、人の温かさを感じた5日間だった。次もボランティアの募集がかかった際にはぜひ参加したい。(健康スポーツ学部健康スポーツ学科1年 Kさん)
・夏休みに訪れた輪島市門前町に比べたら、復興が進んでいて道路や個人宅も綺麗だと感じ、少し嬉しかったです。4日間で私がやれたことはほんの小さなことだと思うけれど、少しでもボランティアを通して能登の支援をすることができてよかったです。珠洲は海が近くてご飯も美味しくて良い場所でした。これからも自分にできることを考えて、支援したいと思いました。(法学部法律学科1年 Sさん)
・珠洲市はまだまだ倒壊家屋が多く、また珠洲市を出てしまい家主が不在で作業が進んでいない地域もあるようです。現地の方々とのコミュニケーションの場でのボランティアや、家主不在宅の解体作業が進んでくればそれなりのボランティアが必要になることと思います。今回は家主不在宅での作業でしたが、家主からボランティアセンターに片づけの依頼があり作業を行いました。(教職員)
第3クール
・4泊5日の能登半島地震ボランティアを通じて、支援の本質について深く考えさせられた。物資を届けるだけでなく、被災者が安心できる時間を提供することも重要であり、クイズ大会や交流を通じて、少しでも心の負担を和らげられたのではないかと感じた。
また、防災意識の甘さが被害を拡大させることを、被災者のリアルな声から学んだ。「まさか自分の地域で」と考えてしまうのは、どこでも起こりうる課題だ。防災訓練を形だけのものにせず、実践的にする重要性を改めて認識した。
さらに、復興は短期的な支援だけではなく、地域に人が戻り、生活を再建することが必要不可欠だと実感した。今後は一時的な助けだけでなく、継続的な関わり方を模索していきたい。(理工学部生体医工学科2年 Tさん)
・進んでいるようで進んでいない、そう感じることが多々あった。正月飾りがついたままの住宅、瓦礫がまだ庭に広がる住宅、家の中が散乱している家や地割れが治っていない道路。これらを見るたびに復興のゴールについて考えさせられた。私にできることは何か、どうしたら少しでも早く復興に向かっていくか、引き続き考えていきたい。(文学部第二部日本文学文化学科3年 Oさん)