◆祖先のまつり

◆祖先のまつりについて◆

亡くなられた方の霊は、この世にとどまって、いつでも子孫を見守ってくれているという、日本の伝統的な考え方は、今も生き続けています。

何代も前の祖先の顔は見たことはないけれど、祖先たちがいなければ、私達は生まれておりません。祖先のまつりとは、そんな生命のつながりの大切さを身近に感じるものなのです。

→神葬祭・祖霊祭についてはこちらへ

・喪中と神棚

→家族に不幸があった場合は、神棚(宮形)に半紙を貼って、毎日のおまつりを中断します。また、神社へのお参りやお祝い事への参加も遠慮します。これは、葬儀の間、遺族が亡くなられた方に対するおまつりに専念するためです。

今日では、一般に五十日祭(仏式では四十九日)が過ぎると忌明けといって、神棚のおまつりや神社へのお参りを再開しますが、地方によっては、一年を忌明けとするところもあります。

・『喪』の期間

→実父母 …50日

配偶者・祖父母・配偶者の父母 …30日

伯叔父母・曽祖父母・兄弟姉妹 …20日

孫・配偶者の祖父母 …10日

甥・姪・いとこ(従兄弟姉妹) … 3日となります。

・家でお葬式を出しました(同居家族がなくなりました)

→50日(仏式49日)までは喪中ですので、神棚に白紙を貼り、神まつりを遠慮します。50日(仏式49日)を過ぎましたら(喪明け)、白紙をはずし、神まつりを再開します。

・親戚(身内)に不幸がありました

→親戚(身内)は別の家ですので、神棚に白紙を貼りません。自分の家の神まつりはいつも通りします。お正月についても例年通りします。

・喪中にお正月を迎える年は

→喪中ですので、お正月とはいえ神まつりを遠慮します。ただ、大神宮様の御神札(神宮大麻)や氏神様(鎮守様)の御神札は例年通りお受けいただき、喪が明けた後、御神札を取り替えおまつりします。

また喪中の家では、新年会・祝事などの参加は慎みます。正月飾りや松飾り、お供餅は行いません。

・御霊舎(みたまや)でのまつりかた

→祖先のまつりは、神棚とは別に御霊舎(みたまや)で行います。これは仏式の仏壇にあたるもので、祖先の霊が鎮まる霊璽(れいじ/仏式では位牌)を納めるところです。御霊舎には御櫝(おとく)といわれる白木造りの箱をすえ、霊璽を納めます。

御霊舎は、神棚とは別のところに設けるようにしますが、家の間取りとの関係で、神棚の下や神棚の隣に設けることもあります。御霊舎を神棚の下に設ける場合は、神棚を大人が見上げるくらいの高さに、御霊舎は上半身の高さに設けます。また、神棚の隣に設ける場合は、御霊舎の高さをやや低くするか、それができない場合は、神棚の向かって左に設けます。

・神葬祭の場合、のし袋(不祝儀袋)の上書きは?

→「御玉串料」「御霊前」などの書き方になります。

のし袋(不祝儀袋)は白無地の包みに、白黒、または双白の結び切りの水引をかけます。

※蓮の花柄などの袋は仏式の物ですから注意しましょう。

・神葬祭の時の拝礼作法は?

→神葬祭では、神主から玉串を受けたら、御霊前の案(あん/台のこと)の前まで進み、軽くお辞儀をして玉串を案の上に置きます。この時玉串は根本が御霊前の方を向くように置きます。

次に、二礼二拍手一礼ですが、この時の拍手は、「忍び手」といい、音を出さないようにします。

次に軽くお辞儀をして元に位置に戻ります。

この忍び手は、亡くなられた方を偲び慎む心を表します。忍び手でお参りをする期間は地域差があるようですが、一般的には五十日祭が終わるまでは、忍び手でお参りすることが多いようです。

・お彼岸

→「暑さ寒さも彼岸まで」の言葉通り、彼岸は季節の変わり目であると同時に、祖先をまつる大事な行事でもあります。

お彼岸は、春分の日(3月21日頃)と秋分の日(9月23日頃)をはさんだ前後の3日間ずつ、計7日間のことで、それぞれ春彼岸・秋彼岸といい、彼岸の最初の日を「彼岸の入り」、最後の日を「彼岸の明け」、春分・秋分の日を「彼岸の中日」といいます。

お彼岸には、お墓参りをする習慣があり、祖先の霊を家に迎える盆とは違って、祖先に会いに行く行事としての色彩が濃いようです。

仏教に由来する行事と考えられているお彼岸は、日本にしかない行事で、豊作に欠かすことのできない太陽をまつり、祖霊の加護を祈る古くからの儀礼と結びついたものといわれています。

またお彼岸には「おはぎ」や「ぼたもち」を供え、お下がりとして食します。いずれも同じものですが、春の牡丹、秋の萩、と季節の花に例えて呼ぶところに、日本人らしい感性がうかがわれます。

・お盆

・神社神道の死生観とは、どのようなものですか?

→神道は、祖先を崇敬する信仰が基になっています。氏族の始祖を氏神として崇拝し、祖先を自分たちの守り神として崇敬します。このように人は死後、家族や親族を見守る霊となって祖先神の仲間入りをすると考えられます。この、人と神との連続性は、神道の大きな特徴といえます。

江戸時代の豊受大神宮の祀官であった、中西直方は『死道百首』の中で、「日の本に生まれ出にし益人(ますびと)は神より出でて神に入るなり」と詠んでいます。これは、祖先の神々から出たものは、やがて一生を終えると祖先の神々のところへ帰っていくのだという意味であり、この歌は実に明確に日本人の死生観を表しています。つまり、日本人の生命は、祖先から自分へ、自分から子孫へと永遠に「血」と「心」の連続を形成するのです。言いかえれば、これは霊魂の不滅、霊魂の引き継ぎともいえるでしょう。

そして、私たち日本人の「霊」は、我が家、我が郷土、我が国土にとどまって、祖先と共に子孫の繁栄を見守り、子孫からのお祭りを受けるのです。

※神葬祭や祖先のまつりは地域、神社によっても様々に異なります。

何かご質問がごさいましたら、神社社務所にご連絡下さいませ。

→お盆は、旧暦の7月15日を中心に行われる祖先をまつる行事で、7月13日の迎え火に始まり、7月16日の送り火に終わります。多くの地方で8月13日の「迎え盆」から16日の「送り盆」までの4日間をお盆としていますが、地方によっては7月いっぱいをお盆とする地域や、旧暦通り7月15日を中心に行う地域など、様々な地域性があるようです。 また、お盆の歴史ですが、日本では仏教伝来以前から「御霊祭(みたままつり)」など、祖先の霊を迎える儀式が存在しました。推古天皇(606年)の時代、僧と尼を招いて、食事や様々な仏事を行う「斎会(さいえ)」が設けられ、この様式が現在の「お盆」の原型になったと考えられています。朝廷で始まったお盆はその後、武家・貴族・僧侶・宮廷などの上層階級で主に催され、一般庶民に広まったのは江戸時代になってからのようです。江戸時代に入り町人がある程度の財政力をもってきたため、仏壇の普及や盆提灯に使われるロウソクの大量生産とともにお盆行事が広く根付きました。

このようにお盆は、元々日本人が持ち合わせていた「先祖をまつる」という日本古来の信仰と、仏教行事が結びつき、今日まで受け継がれてきています。家・地域によってお迎えの仕方や準備する物などが異なったりしますので、調べてみると面白いかもしれませんね。

そして、ご先祖様方をお迎えする前には、御霊舎やお墓をきちんと掃除し、神饌をお供えし、準備をしておきましょう。