◆国民の祝日の意味

◆国民の祝日の意味◆

国民の祝日に関する法律(昭和23年法律第178号:以下祝日法と記す)より定められています。

第1条:自由と平和を求めてやまない日本国民は、美しい風習を育てつつ、よりよき社会、より豊かな生活を築きあげるために、ここに国民こぞって祝い、感謝し、又は記念する日を定め、これを「国民の祝日」と名づける。

多くは明治節、神嘗祭などそれまであった祭日に対応して定められており、現在定められている国民の祝日は以下の15種類。

国民の祝日

※日曜日の祝日は月曜日振替休日。

・成人の日―――1月第2月曜日

→祝日法では「おとなになったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます」ことを趣旨としています。1月15日は小正月であり、元服の儀式を小正月に行っていたことから、この日が成人の日とされました。

この成人に達した人達を祝う儀式が「成人式」です。 現在では国民の祝日として、1月15日に「成人の日」が定められていますが、この日には各地で成人に達した人達を祝う式典が催されたり、神社でも成人祭が行われ、神様に成人となったことを奉告する姿が見受けられます。このように、成人となったことを社会から公認されるわけですが、日本には古来から「元服」という、現在の成人式に該当する儀式がありました。元服とは、男子が成人となった証として、成人の装束を着て髪を結い、冠をかぶる儀式です。12~16歳までの間に行われ、このときに幼名を廃して烏帽子をつけます。また、貴人の子息の場合は、この際に位を授けられました。室町中期以降になると、身分の高い人の他は前髪を剃ったり、袖を短くするなど、様々な形式の儀式が行われていました。

・元日―――1月1日→祝日法では元日の趣旨を「年のはじめを祝う」と定めています。元日の早朝には、天皇陛下が一年間の豊作と無病息災を祈る四方拝という祭祀を行うので、戦前は「四方節」と呼ばれていました。

「元日」は1月1日のこと、「元旦」は1月1日の朝の事です。古来より私達は年神様をお迎えするために門松を飾り、鏡餅を備え、おせち料理を食べたりしています。また古来大晦日の夜は、年神様を迎えるために寝ていては失礼だということで、人々は一晩中起きている事が多かったようです。そのため、元日はほとんどの家庭が「寝正月」で過ごしました。そして新年に言う「明けましておめでとうございます」という言葉は、年が明け年神様を迎える際の祝福の言葉でした。神様への感謝の言葉を人々の間で交わすことにより、心から年神様を迎えたことを喜びあったのです。

戦前の祝祭日で、現在残っていないものについてご紹介いたします。

・元始祭(1月3日)

皇位が永く続いていることを祝い、さらなる発展を祈る宮中祭祀が行われる日

・新年宴会(1月5日)

新年の到来を祝う行事が宮中で行われる日

・神武天皇祭(4月3日)

初代天皇である神武天皇を祀る祭祀が行われる日。この日は神武天皇が崩御された日にあたる。

・神嘗祭(10月17日)

五穀豊穣を感謝する祭祀が行われる日。

・大正天皇祭(12月25日)

大正天皇の御誕生日。先代の天皇の誕生日を「先帝祭」として祭日にしていたために、休日となっていた。

日本が永き歴史を経て祝ってきたこの祝祭日。これら全ての復活を望みたいところですね。

・建国記念の日―――2月11日→祝日法では、「建国をしのび、国を愛する心を養う」ことを趣旨として定めています。本来は「紀元節」と言われ、紀元前660年に初代天皇である神武天皇が橿原の宮において即位されたことを奉祝する日です。

先の敗戦後、GHQ(連合国軍総司令部)によって紀元節は廃止され、建国にかかわる神話も学校では教えなくなりましたが、昭和42年に国民の強い要望によって、2月11日に「建国記念の日」として復活したのです。名称は変わったものの、祝日法に「建国をしのび、国を愛する心を養う」と明記されたのは、誠に意義深いことでした。

我が国は、世界最長、万世一系の天皇陛下を戴き仰ぐ、世界最古の国。国を愛す心は、家族を愛す心、友人隣人を愛す心、そしてご先祖様を大切にする心と何ら変わりのないこと。そんな大切な人達がいる日本という郷土を愛し、現代に生きる私たちは勿論、次世代の子供たちも、「日本に生まれてきて良かった」と心から自国を愛せるような、そんな国にしていきたいものですね。

・春分の日―――3月21日頃

→祝日法では「自然をたたえ、生物をいつくしむ日」とされています。 古来より人々はこの日を春の訪れを祝う日として、この日に近い戌の日には氏子が氏神神社に参詣し、五穀豊穣を祈る習わしがありました。

明治11年(1878年)に それまでの歴代天皇や主たる皇族の忌日を春と秋に纏め奉祀して以降、「春季皇霊祭」と呼ばれ、 一般市民の間でも祭日とされました。 この日には、まず歴代のご皇霊(歴代天皇の御霊)に遙拝(ようはい)をした後に、それぞれのご先祖様のお供養をいたします。

春分の日は、「彼岸の中日」ともいい、お彼岸は、春分の日をはさんだ前後の3日間ずつ、計7日間あります。お彼岸には、お墓参りをする習慣があり、祖先の霊を家に迎える盆とは違って、祖先に会いに行く行事としての色彩が濃いようです。仏教に由来する行事と考えられているお彼岸は、日本にしかない行事で、豊作に欠かすことのできない太陽をまつり、祖霊の加護を祈る古くからの儀礼と結びついたものといわれています。

・昭和の日―――4月29日

→祝日法では「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす国民の祝日。」です。

1989(昭和64)年1月7日の昭和天皇御崩御の後、それまでの天皇誕生日であった4月29日を「生物学者であり自然を愛された昭和天皇をしのぶ日」として「緑の日」とすることとなりましたが、実際に制定された法律では、昭和天皇を偲ぶという趣旨は盛り込まれませんでした。そうしたことから、国民の要望もあり、「昭和の日」に改称する法律案が国会議員によって提出され、2005年に成立し、2007年より4月29日を「昭和の日」とし、みどりの日は5月4日となった訳でございます。

自然をこよなく愛された昭和天皇は、「全国植樹祭」にも必ずご臨席になり、ご自身の手により植樹をされてきました。その伝統は、今の天皇陛下に受け継がれています。

・憲法記念日―――5月3日

→祝日法では「日本国憲法の施行を記念し、国の成長を期する日」とされています。

・みどりの日―――5月4日

→祝日法では「自然に親しむとともにその恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ日」とされています。

・こどもの日―――5月5日

→祝日法では、「こどもの人格を重んじこどもの幸福をはかるとともに母に感謝する日」とされています。

古来は、「端午の節句」といって男の子の健全な成長を祝う日でしたが、「こどもの日」として広く親しまれるようになりました。現在でも男の子のいる家では「兜」「こいのぼり」「五月人形」を飾ったりします。また、兄弟姉妹のいる家庭でも一緒にお祝いをするのが一般的になっており、更に女の子だけの家庭でも最近は「こいのぼり」を飾ったりするようですね。

・海の日―――7月第3月曜日

→海の日は近年制定された休日です。1996年に「海洋国家として広く国民に海への理解と関心を求める日」として休日に定められました。

7月は祝日が無い月ですが、海をもっとも感じる季節です。そのような理由から、海の仕事に従事している関係者の間で「海の記念日」を祝日にしようという運動が起こりました。

・敬老の日―――9月第3月曜日

→敬老の日は、1965年に「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う日」と法律で定められました。

敬老の日は、長い間社会の為に尽くしてきた高齢者を敬い、長寿を祝う日です。また、それとともに高齢者の福祉について関心を深め、高齢者の生活向上に努めるよう若い世代に促すという気持ちが込められています。これは、兵庫県にあった間谷村という村の門脇政夫村長がお年寄りからアイデアを募って村政を行うために、「としよりの日」を定めたことから始まりました。それが9月15日になったのは、9月中旬が気候が良く農閑期であることが理由でした。

・秋分の日―――9月23日

→毎年9月23日頃を秋分の日と言い「祖先を敬い、亡くなった人をしのぶ日」として1948年に法律で制定されました。古来より我が国では春分の頃に豊作を祈り、秋分の頃に豊作を祝い感謝する自然信仰があり、山の神様である祖先の霊を春分以前に山から里に迎え、秋分以降に里から山へ送る儀式が行われていました。しかし、仏教の浸透とともに秋分は「秋の彼岸」として祖先を供養する意味を持ち始めました。

秋分の日を中心とした一週間を「秋彼岸(あきひがん)」と言います。明治時代に秋分の中日を「秋季皇霊祭(しゅうきこうれいさい)」と定め、宮中において祖先をまつる日となった事がきっかけで、一般市民の間でもそのように定着していきました。1948年には、お寺参りの日・先祖供養の日など、宗教的慣例としてのまつりの日だけではなく、広い意味で「祖先を敬い、亡くなった人を忍ぶ日」として国民の祝日に制定されました。また秋分の日は、春分の日と同様に昼と夜の長さが等しくなる日ですが、実際は春分の日よりも昼の平均気温は10度程高く、まだ夏の気配が残ります。

・体育の日―――10月第2月曜日

→趣旨は「スポーツにしたしみ、健康な心身をつちかう」とされています。

元々、10月10日でしたが、ハッピーマンデー制度により現在のようになりました。10月10日は、東京オリンピックの開会式が行われた日で、1966年よりそれを記念して祝日とされました。

・文化の日―――11月3日

→趣旨は「自由と平和を愛し、文化をすすめる」とされています。

日本国憲法が公布された日であり、同憲法が自由と平和に基づく文化国家の建設を理想とするものであったことから、「文化の日」とされました。戦前は、「明治節」という明治天皇の誕生日を祝う祝日でした。日本国憲法の制定がこの日になったのは、明治節に合わせるためであったとの説があります。

・勤労感謝の日―――11月23日

→今となっては名前を変えておりますが、もともとこの日は「新嘗祭(にいなめさい)」として日本人が飛鳥時代から受け継いできた祭典の一つです。この新嘗祭は、その年の収穫に感謝する祭典で、宮中では天皇陛下が神嘉殿において新穀を皇祖はじめ神々にお供えし、神恩感謝した後に、陛下自らお召し上がりになります。国内に新穀が行き届き、国民一人一人が新米を口にした頃、一番最後に天皇陛下自身が召し上がる儀式です。ご先祖様方が受け継いできた、豊かな収穫への感謝の心を、私たちも忘れずにいたいものですね。

・天皇誕生日―――12月23日

→この日は今上天皇の御誕生日であり、その趣旨は「天皇の誕生日を祝う」sです。

慣例では、その国にとって最も記念すべきである「国家の日」とされています。アメリカの場合は、国家の日が「独立記念日」であり、イギリスにおいては「女王誕生日」がそれにあたります。天皇誕生日は戦前は「天長節」と呼ばれていました。崩御なさった天皇、すなわち過去の天皇の天皇誕生日は、現在においてもその名残をみることができます。昭和天皇の御誕生日は現在「昭和の日」であり、明治天皇の御誕生日は「文化の日」となっています。大正天皇の御誕生日は現在残っていませんが、戦前は先帝の御誕生日として「大正天皇祭」という祭日になっていました。

廃止された祝祭日について

・日本の国旗の由来や意味は?→日本では聖徳太子が遣隋使に託した文書以来、自国を「日出ずる国」とする考え方があり、中央の赤い日の丸は「日の本」の象徴である日の出の太陽を象徴しています。また、円形は日本人の円満な国民性を示し、白地は国民の純正潔白な清浄な性質とを示すものと言われていますが、その他にも、白は神聖、正義、純潔、平和、鎮静を、また赤は熱誠、活気、博愛、誠心、誠意…などを表すとも言われています。

太陽を直接、国旗にデザインした国は日本以外にはなく、国の成り立ちや理想を見事にあらわした国旗といえます。

国民の祝日には、ご家庭でも国旗を掲げてお祝いしましょう。