◆四季の行事と祭り

◆四季の行事と祭りについて◆

我が国では、季節ごとや人生や生活の節目ごとに行うまつりがたくさんございます。

日本人は、そうした節目節目に、神様や祖先をまつり、感謝と祈りを捧げてきたのです。

・門松はなぜ立てるのですか?

・お正月に鏡餅を飾るのはなぜですか?

→新年を祝って、家の門口などに飾られる「門松」とは、その年の神様をお招きするための目印であり、また、神様がお降りになった時に宿られる場所(依代)を表すものです。もともとは、松・杉・椎・榊といった常緑樹を用いていたようですが、いつしか主として松を用いるようになり、そのことから門松と呼ばれるようになりました。 現在の門松は、竹三本を松で囲み、荒縄で結んだ形が一般的ですが、関西方面では松の小枝に半紙を巻き、それに水引きをかけたり、紙垂や橙、柊などで飾られた門松もあります。正月の祝い物、飾り物としてその形態も様々です。

なお、門松や注連飾りなどの正月飾りを取り除く日については、1月7日に定めている地方が多く、正月をひと区切りする意味で、元日から7日までを「松の内」といいます。

→円くて平たい、大小2個の餅を重ねたものを「鏡餅」といいます。これは、豊作をもたらし五穀豊穣を守る、年神様へのお供えです。そもそも餅というのは、米から作られるもので、神様の恵みによって授けられた賜物といえるでしょう。これを年神様に供えることにより、感謝の気持ちを表すのです。まさに餅は、お正月には不可欠なものといえます。 またお正月にお餅を食べるのは、平安時代に宮中で健康と長寿を祈願して斎行された「歯固めの儀」に由来します。餅は長く伸びて切れないことから、長寿を願う意味も含まれています。

鏡餅の語源については、読んで字のごとく、餅の形が鏡に似ているからといわれていますが、諸説あります。

なお、1月11日は鏡開きの日です。本来は鏡餅は刃物で切らずに、手や槌で割って食べるのがしきたりでした。理由としては、餅が固いことと「切る」という言葉を忌むためです。ですので「開く」という縁起の良い言葉を使っている訳です。この日に年神様にお供えした鏡餅を下ろしてお供え物をいただくことで、1年の無病息災を祈ります。

(日にちは地方によって異なることもあります。)

・お年玉の「玉」とはどういう意味ですか?

→日本では古くから、新年のお祝いとして、年の始めに贈り物をし合う習慣があり、すでに室町時代には盛んに行われていたようです。贈り物としては、金子(きんす)や餅、筆や紙などの品が用いられ、これらを「年玉」と呼んでいました。つまり年玉とは「年の賜物」という意味なのです。

現在では、正月に祖父母や親から子供たちへ贈る現金のことを、主に意味するようになりましたが、お年玉は必ずしも現金とは限らず、文具やおもちゃなども用いられています。

・1月7日に七草粥を食べるのは何故ですか?→七草は「七草の節句」の略であり、「人日(じんじつ)」「若菜の節」ともいわれています。これは1月7日の朝に、七草といわれる七種類の野草・野菜を刻んで粥に入れて食べるという、日本に昔からある風習ですが、その原型となるものは中国から伝来しました。

江戸時代には将軍以下の諸公が、七草が入った粥「七草粥」を食べる儀礼があり、これは公式の行事でもありました。現在でも日本全国で行われていて、この日はお店の店頭にも、きれいにセットされた七草が並びます。

草木が萌えだした証ともいえる七草の若菜、それらが入った七草粥を食べると、邪気が祓われ万病が除かれるといわれています。

芹(せり)…解熱効果・整腸作用。

薺(なずな/ペンペン草)…殺菌作用・利尿効果。

御形(ごぎょう/母子草)…咳を緩和して、痰をきる作用。

繁縷(はこべら)…葉や茎は鎮痛作用があり、胃腸を整えてくれる作用。

仏の座(田平子)…整腸作用と解熱効果

菘(すずな/蕪)→便秘の時にお通じを良くしてくれる。

蘿蔔(すずしろ/大根)→胃腸を整え、食欲を増進させてくれる。

・鏡開きは昔から1月11日に行われてきたのですか?

→「鏡開き」とは、お正月に神様へお供えした鏡餅を、1月11日に下げて食べる風習を言います。 鏡餅は刃物で切らずに、手や槌で割って食べるのがしきたりですが、刃物を使わない理由としては、餅が固いことと「切る」という言葉を忌むためです。ですから鏡開きというように「開く」という縁起の良い言葉を使ったのです。

もともと鏡開きは、1月20日行われていましたが、徳川三代将軍家光の忌日が20日であったため、幕府が蔵開きの日であった11日に変更し、それが現在に至っているといわれています。

鏡開きの日には、割った餅を汁粉や雑煮にして食べますが、そのように神様の御霊の宿った餅を食べることで、神様の御利益をいただくわけです。

・節分は年に4回あるといいますが本当ですか?

→「節分」とは立春の前日を指します。そもそも節分という語は、立春だけに限らず立夏・立秋・立冬の前日を指し、四季の節目を意味していた言葉でした。つまり節分は1年に4回あった訳ですが、旧暦では立春が年の始まりにあたったことから、この節目が特に重要視されていつしか節分といえば、立春の前日を指すようになったのです。 節分には、災厄や邪気を祓う行事が行われますが、その代表的なものに「豆まき」があります。年男が「福は内、鬼は外」と唱えながら、煎った大豆をまいて鬼を祓うこの行事は、中国の明の時代の習慣を室町時代に取り入れたといわれています。かつては、豆まきを「追儺(ついな)」「鬼遣らい」といい、宮中の年中行事の一つでした。舎人が扮した疫鬼を追い払うことにより、災厄を祓い除くというこの儀式が、次第に民間に伝わっていったのです。

当神社でも、節分祭を執り行い、ご社殿をはじめ境内に11社あるお末社全てに豆まきをします。そして面白いのが、豆をまく際の掛け声です。こちらの地域では、「福は内、鬼は外」を繰り返し叫んだ後に「福の神でぶっとめろーっ!!」と叫び、鬼やらいをします。茨城の違う地域では「福の神でぶっ飛ばせ!」や「福でもってぶっとめろ!」など多少の違いはあるようですが…地域性とは、面白いですね。